掬迷師 翠埜真乎のヒザチグラ
美木間
第一話 ドロタボウ
猫ちぐらの子ども
猫ちぐらにおさまっている子どもを、その日、
子どもは、人の子ではない。
猫の子でもない。
ドロタボウの子だと、猫ちぐらに提げられた木札に筆書きされていた。
近隣から地場産品や手工芸品を持ち寄って開かれる週末朝市でのことだった。
その店は、ござの上に年季の入ったキリムが敷かれて、骨董とまではいかない古道具や器、地場産の手工芸品が並んでいた。
猫ちぐらは、叶恵が越してきた里町の奥山の手工芸品として人気があった。
ちぐらはゆりかごの意味で、地方によっては猫つぐらとも言う。
雪に閉ざされる冬場の手仕事として作られてきた、暮らしの中の伝統手工芸品だ。
保温性と吸湿性のある稲藁で編んだかまくらのような形をしていて、脇に出入り口のある猫ちぐらは、寒がりで暗がりの好きな猫の安心できる寝床だった。正に猫のゆりかごだ。
猫ちぐらに、大柄な猫が狭い出入り口から無理くり入り込む姿は、滑稽ながら愛嬌があり、仔猫たちが競って入り込んでじゃれ合っているのも愛らしい。
猫というのは、人の心をつかむ天性の媚態の塊だ。
その猫ちぐらは、猫のぬいぐるみが丸まっておさまっているのであれば、そのまま買う人もいるかもしれない。愛猫のためにと、自然素材のゆりかごを意外に重いにも関わらず、即日持ち帰りたいたいと、カートに括り付けて持っていく者もいるかもしれない。
しかし、使い古されて、ささくれだっている稲藁に泥の塊のようなものがおさまっているそれを買おうという物好きは、いそうになかった。
ところが、叶恵は、なぜか得体の知れないものがおさまっているその佇まいに心惹かれたのだった。
「ドロタボウ? 」
猫ではなく聞きなれない生きものの名前に、字宮叶恵が首をひねると、ござにあぐらをかいて並べた品を一つずつ端切れで磨いていた店主が手を止めた。
「泥に田んぼに坊主の坊。北の方の里山に出る妖怪ですよ」
薄気味悪い、と叶恵は伸ばした手を引っ込めた。
妖怪と聞いては触れるのもためらわれる。
「妖怪に子どもなんているんですか」
それでも気にかかって叶恵は店主に声をかけた。
「そりゃ、生きものですからね、ちまっこいのがわらわら生まれるのもいますよ」
骨董品の一部かと見まごうばかりの薄気味悪い様子の店主が答えた。
いつ切ったのかわからない脂じみた長髪を、麻ひもで一つに結わえて背にたらし、目深にかぶった山高帽は色褪せた値札がついたまま、無精ひげに鼻眼鏡、年齢不詳の容姿をしている。
彼は、一見陰気くさいが、饒舌だった。
むしろ愛想はいいと言えた。
「妖怪って、生きものなんですか」
「幽霊はあの世のものですが、妖怪は、あの世とこの世の狭間のものですから。あの世寄りのものもいれば、この世寄りのものもいるんですよ。まあ、全部が全部ってわけでもないですがね」
最初は薄気味悪いと思っていた叶恵だったが、いつの間にか店主の話に惹きこまれていた。
「おや、目覚めたみたいですよ、あなたが気に入ったんじゃないですか」
店主に言われてよく見ると、人の顔が塊に浮かんでいた。
ぷっくりとした瞼、半開きの眼、澄んだ青。
塊のでこぼこに合わせて描かれている目鼻口の配置が絶妙だ。
妙にリアルだ。
「あれ、これ、目は一つなんですか」
でこぼこの表面を見つめたが、澄んだ青い目は一つっきりだった。
その目がぎろりと叶恵を見た。
山奥の澄んだ湖水のような目に、叶恵は吸い込まれそうになった。
思わず顔を近づけたが、間近で見たぎょろ目の強すぎる眼光に、叶恵はめまいがした。
「泥田坊は、江戸中期、安永年間の『
「ひゃっき?
「ご存じですか、百鬼夜行」
意外そうな店主の表情に叶恵は何かおかしなことを言っただろうかと下を向いてしまった。
「そうですな、
店主は頷きながら言った。
「その、それは、本か何かですか、『今昔百鬼拾遺』」
「
「妖怪画家、ですか」
「妖怪ばかり描いてたわけではありませんがね、弟子には名の知られた浮世絵師や戯作者もいますしね、本人も創作力豊かだったんですよ」
「絵で身を立ててたんですね」
叶恵がぽつりと言った。
それを逃さず店主は声をかける。
「ほう、ご興味がおありですか」
あえて何にとは店主は言わなかった。
「その、ドロタボウ、ですか、絵を見ることができるんですね」
叶恵は少し間を置いてから言った。
「まあ、検索ってのにかければ、簡単に見つかりますよ」
「検索ですか。そうですね。何でも検索すれば出てきますものね」
「いや、そうですな、出てきますな、妖しい怪しいものたちは、自分たちを求めて調べてくれた人間のもとに、出てきてくれますよ」
叶恵は考え込んでいる。
店主は叶恵をちらりと見やると、
「鳥山石燕によりますとな、泥田坊は、元は人間でしてな、自分の耕した田んぼを子に残したものの、その子が耕作を怠けたあげくに売り払おうとしてね、それが悔いになって恨みになって、田んぼの中から半身を乗り出して、通りかかった人に、田を返せ、と声をかけるんだそうです」
店主の語る妖怪の説明は、叶恵の気分を一層悪くした。
「親不孝の話ですね」
「そればかりではないんですが」
説明を続けようとして、店主は口をつぐんだ。
叶恵の顔色が白くなって、ずいぶん気分が悪そうだったのだ。
「いかがなさいましたかね」
「いえ、なんでも。これは、やめておきます」
薄気味悪さが増しに増して、叶恵は猫ちぐらごと店主に押し戻そうとした。
すると店主は、「かわがってやってください」と真顔で言って受け取らなかった。
仕方なく抱えて、もう一度見ると、顔は消えていた。
いや、元より顔などなかったのだ。
光の加減で顔のように見えていたのだと、叶恵は自分に言い聞かせた。
「ごきげんみたいですよ、ほら、笑ってる」
店主に言われてのぞいてみると、塊に再び浮かんだ顔がにやりと歪んだ。
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