第580話 クロスステッチの魔女、雨に足止めされる
降り始めた雨は、次の日になっても止まなかった。ザァザァと音を立てて、空から滝のように雨が降っている。こういう日は空気もじっとりと水を含んでいて、本を開くにはあまり向かない日だった。天幕の中で一日、カバンに採取していたものの整理をして過ごす。
「もうお昼くらいのはずなのに、ぜんぜん明るくならないねえ」
「そうねえ。お昼になれば、魔法の明かりもいらなくなるかも思ったけど……そんなことなかったわ」
仕方ないので魔法の明かりはこのままにして、私はお昼のパンを齧った。午後は違うことをしようと思って、スピンドルをカバンから引っ張り出す。糸車も一瞬考えたけれど、あれを出してきたら本当に、この天幕で長逗留をしてしまいそうでできなかった。それから魔綿や様々な繊維に、ブラシ。
「これなら本を開かなくてもできるわ」
「なるほど!」
ルイス、アワユキ、キャロルの三人にも手伝ってもらって、まずは熟れた魔綿の綿花を、よくブラシにかける。それから先端をひとつまみしてスピンドルにかけ、ぶんぶんと回し始めた。そうすると自然と糸に撚りがかけられ、糸が溜まり始める。糸紡ぎをするのは好きだ。三人にもそれぞれの小さなスピンドルで紡いでもらうと、質のいい糸を紡いでくれる。陶器の指先が、何か私たち魔女にはできない良い仕事をしているのかもしれない。
「もし、ごめんください」
「ごめんください! ……レリー、ラル、イルマ」
不意に声が聞こえて、私は好きに広げていた物を少し片付けた。後半の言葉は、お師匠様から習っていたものだ。客人を入れる最低限の場所を作ってから、天幕の布の戸を開ける。
兄妹と思しき二人組が、濡れ鼠になっていた。魔法の明かりの元に引き入れると、焦茶色の髪と緑色の目が照らされる。男は背中に大剣を吊り下げていて、片腕に冒険者の腕輪。それから二人とも、腕にビーズの腕輪をしていた。女の方は簡単な旅装に、よく見ると小型の弓矢を腰に据えている。
「ありがとうございます……っ、雨を凌げる場所を、探しておりました」
「イルマを聞いたら、危機のある人を雨の中に放っておいたりできないわよ。ルイス、お客様に熱いお茶を淹れて」
「わかりました、マスター」
メルチほどの緊急性や絶対性はないが、それでもイルマも庇護を求める言葉だ。悪用する人もいたので、もうあまり使われないけれど。
魔女だ、《ドール》だ、と二人がこそこそ何かを話した後、私に向き直って「しばしお世話になります、魔女様」と頭を下げた。
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