第128話 マイペースな人たち
明らかに事務室と思われるところに連れ込まれた僕に、詰め寄るアニスさん。
その目は血走っている。
このままここで僕の初めてを彼女に奪われてしまうのではないか?
そんな不安さえ頭をよぎる。
「セージくん。いいえ、カミシタ様っ! カミシタ様よね?」
「え!? はい」
「やっぱり! まさか、セージくんがあのカミシタ様だったなんて」
カミシタ――それは僕の前世での名字であり、そして――こっちの世界では僕のペンネームでもある。
本を書き写すとき、原文の作者名とは別に、書き写した人間の名前を書くことがある。
ただし、貴族が金儲けをするために写本をするのは卑しい行為であるから、本当の名前ではなくペンネームを使わなければいけない――という古い慣習のもと、僕は本を書き写すとき、カミシタの名前を使っていた。
そのペンネームを決めたとき、ラナ姉さんが、
『カミシタ……舌を噛みそうな名前ね』
と失礼なことを言ってくれたものだ。
「アニスさん?」
「ゼロ様の本を書き写す第一人者よね?」
「ゼロ……様?」
確かに、僕はゼロの本を書き写して何冊かバズに売ってもらったことがある。
それをアニスさんが知っている?
「ゼロ様の本は、既に多くの人が書き写して、いまや王都中の人気作。しかし、その原本は誰も見たことがないと言われているの。そして、そのルーツをたどって行けば、辿り着くのが二人の作家。カミシタ様と、エナ様。きっと、この二人がゼロ様に最も近いところにいる作家だと言われているのよ」
「え!? ちょっと待ってください。ゼロの本が王都中で人気?」
「ええ、そうよ? 既に何人もの人間がゼロ様の本を書き写しているわ。ただ、書き写すたびに余計な言い回しを追加するバカが現れるせいで、ゼロ様の写本と称するには嘆かわしいような作品も溢れているけどね」
と、アニスさんは苦虫を噛み潰すかのような表情をする。
「その点、カミシタ様とエナ様の本は、二冊とも全く同じ内容でいて、文章の完成度はとても高い。恐らく原作に忠実――安心して読めるってことで人気なのよ。ほら!」
とアニスさんが見せたのは、過去に僕とエナが書き写した本を見せる。言うまでもなく、エナとはエイラ母さんのことだ。
まさか、ゼロの本がそんなことになってるなんて。
そして、僕とエイラ母さんんが書き写した本がそんなことになってるだなんて。
「セージくん! あなた知ってるの? ゼロ先生がどこの誰なのか? それともあなたか、もしくはエナ様がゼロ様本人なの!?」
「僕もエナさんもゼロ本人ではありません。それ以上はノ……ノーコメントで! ゼロ先生の秘密を明かして、ゼロ先生の執筆の邪魔をしてしまったら、僕も本を書き写すことができなくなるので」
「ぐっ、そうなったら、元も子もない……なら、ゼロ先生の原本はある? あるのなら是非売って! 見せて! 愛でさせて!」
さっきまで、優しい人だと思っていたのに、ここまで豹変するなんて。
エイラ母さんといい、ゼロの本は人をここまで豹変させる人知を超えた力があるのか?
天使だから人知を超えてるのは当然か。
僕は一度、修行空間に戻りゼロに相談することに。
結果、僕が売ったということは誰にも、僕の家族にも言わないこと、この写本を僕の家に送ることを条件に一冊売ることになった。
今日の僕の鞄、豆乳プリンを出したり本を出したり、大活躍だな。
原本だけでなく、さっき渡した写本もその場で高値で買い取ってくれて、思わぬ臨時収入となった。
入場料の精算もその場で済ませる。
それはいいのだが――
「ムヒョォォォォ、ゼロ様の本だ! ゼロ様の字だ! え? なんて綺麗な文字! これ、本当に人が書いた文字なの!?」
いいえ、人ではなく天使です。
アニスさん、あなたキャラ崩壊してますよ?
ていうか、いきなり無言になって読み始めないでください。
「あの、アニスさん、仕事中ですよね? カウンターに戻った方がいいのでは?」
「…………」
「アニスさん?」
「…………」
「それ以上無視すると、ゼロ先生の本が手に入っても写本を含めて二度と売りませんよ」
「――仕事に戻ります!」
アニスさんは突然そう言うと、本を読んだまま歩き始めた。
柱に頭をぶつけた。
そして、なんとか部屋を出ていく。
何かが崩れる音が聞こえてきた。
……日本で小学校に通っていたとき、夏休みの間に二宮金次郎の像が撤去されていたことがあったんだけど、そうか。
こういうことをする人がいるから、撤去されてしまったんだな……と僕はしみじみと思った。
「セージくん、何があったの?」
「いや、ちょっとね……本が思ったより高く売れたんだ。でも、凄く疲れたよ」
僕はそう言ってリエラを見る。
まだ豆乳プリンを食べていた。
本当に気に入ったようだ。
「リエラさん、よかったらレシピを教えましょうか?」
「……私、料理ができない」
「別に料理ができなくても、材料が揃えば、誰かに作ってもらえばいいじゃないですか。別に秘密のレシピってわけではありませんから」
「じゃあ、教えてもらう」
「はい」
僕は持っていた紙切れに料理の材料とレシピを書いて渡す。
彼女はそれをじっと見た。
「大豆はわかるけど……マクサ?」
「ここから西に行ったところにある海岸に生えている赤い海藻です。地元の人は海老がよく獲れる場所の目印にしてるそうですよ」
「そうなんだ……」
そう言うと、リエラさんは残っていた豆乳プリンを木箱の中に入れて、何もないところに入れた。
もしかして、収納魔法だろうか?
凄い魔法を使えるんだな。
「ありがとう、セージ、私はもう行くことにする」
そう言うと、彼女は本屋を出ていった。
マイペースなハイエルフだったな。
そして、マイペースな人と言えばもう一人。
「アニスさん、僕たちもう行きますね」
「…………」
「アニスさん! 保証金返してもらっていいですか?」
「…………」
「ぼそっ(本、二度と売りませんよ!)」
「――っ! ごめんなさい! 保証金お返しします! ありがとうございました、またの起こしをお待ちしています!」
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