55 突然の訪問者

 ノックの音に気づいた花穂は思わず立ち上がる。

 三度素早く叩かれたドア。

「I'll open the door now」

 今の時間、この家にいるのは滞在先の家人の妻のみのはず。子供たちは学校だ。

「Hi」

 ドアを開けると相手は左手の親指をストレートパンツのポケットにひっかけ、右手を軽く上げた。

「Hi」

 思わず花穂は条件反射で挨拶をしたのだが。

「随分ラフな格好ね……ってなんでここにいるのよ」

 ここにいるはずのない相手が気まずそうに花穂の目の前に立ち、軽く肩を竦めると両手の平を少し上に向ける。ハグを求めているのだ。

「会いたくなかった?」

「会いたかったに決まっているでしょう」

 涙目になりながらも彼の胸の中に収まり、両腕をその背中に回した。


 カジュアルなストレートパンツにVネックのシャツに薄手のロングカーディガンというラフな格好だが、色合いが落ち着いていることもありお洒落にみえる。

「明後日には帰国するけれど、話したいことや聞きたいことがあって」

「わざわざ日本から来たの?」

「来たと言うか……」

 彼が言葉を濁すと後ろから咳払いが聴こえた。

「え?」

「はいはい、後ろが詰まっておりましてよ」

 それは良く知った声。花穂は何故彼が簡単にここへ来られたのかを理解した。


 数分後。突然の訪問者たちを部屋に招き入れ、花穂は飲み物を入れると深呼吸をした。

「わたくしから説明いたしますわ」

 それは花穂が手紙を託した相手、【大里愛花おおさとまなか】である。

 彼女は幼馴染たちの力を借りて花穂の居場所を突き止めたらしい。

「もっとも。パパに頼めばここへ来ることは簡単でしてよ」

 大里グループは海外にも支社を持つ。次期社長の愛花は勉強を兼ねた視察と銘打って渡航したらしい。もちろん一人では何があるか分からない。その護衛として奏斗を連れてきたのである。


「どのように連絡を取るか迷ったのですが、日本だと何かと不都合がありますでしょう? それに会って話した方が安心するかと思いまして」

 一通り経緯を話し終えた彼女は、そう言って微笑んだ。

「ではわたくしはこれで。明後日に迎えに参りますわ」

 連絡先などの交換を終えた愛花は立ち上がると、軽く手を挙げるとドアに向かう。花穂にはそのままで良いという仕草をして。


「護衛はいいの?」

「まあ、一応移動中の護衛ということだから」

 移動中とは出国、帰国の移動を差すのだろう。花穂の言葉に奏斗はソファから立ち上がりながら。慣れない場所は落ち着かないのか、窓の前に立つと外を眺めている。

「和馬には会った?」

「いや」

 花穂はベッドから立ち上がると彼の後ろに立ち、その背中に額を寄せて腰に腕を回す。欲しかった体温がここにある。

「まだ、怖い?」

「どうかな。気まずいという心境が正しい」

 二人は血が繋がっていないとはいえ、姉弟という関係。弟と別れて姉とつき合っているこの状況は冷静に考えると『気まずい』としか言いようがないだろう。

 

「和馬は友達に戻れたらいいと思っているみたい」

「そっか」

 戻りたい形が友人でも、花穂が彼に頼んだのは『恋人のフリ』である。気まずいことこの上ないだろう。そんな方法しかないのかと言われそうだが、自分が日本から離れている間に何かあっては困る。

「俺にはいまいちそうする理由が分からないんだが。二年経てば恋人同士と認められるわけで、愛美は二人の愛を試したいわけなんだろ?」

 振り返った彼は『何故そんなことを?』と不思議そうに花穂を見つめた。

「奏斗がこれ以上の面倒に巻き込まれないためよ」

 『ホントに?』と眉を寄せる彼に花穂はキスを強請る。

 色々と心配でたまらないからだ。やっと花穂との噂が流れ始めた矢先に、こうして日本から離れなければならなかった。

 奏斗がフリーだと思われたらどんな虫が寄ってくるかわからない。


『奏斗なら大丈夫だと思うけどねえ。ああ見えて塩対応だし』

 義弟の和馬は花穂の頼みに最初は難色を示した。

『だから心配なの! 奏斗の世渡りの下手さは、和馬だって知っているでしょう?』

『確かに』

 和馬が花穂の頼みを断らなかったのは、奏斗のことをよく理解していたからに他ならない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る