第15話  光明

その雀荘はユウキの住んでいるプレハブのある駅から一駅離れていた。一駅と言っても2kmも離れていないし、容子や育子ちゃんにもなんの問題もなく会えると思っていたが、メンバーになると、10時間といっていた勤務が残業になったり、他のメンバーの急用でピンチに入ったりと、結構忙しかった。その分残業手当ては付くのだが彼女達と会えないのが寂しい。住む所を探してるのもあってか、少し焦っていた。3日ぶりに喫茶店に行くと容子の機嫌が悪く、注文以外口を聞いてもらえない。店のお客さんが少なくなって手が空いた頃、就職した事を告げると急に態度が変わって、

「就職祝いに何かご馳走するわ」 と言ってくれた。次の休みの日、昼から約束して容子と食事に出かけた。

「ところで、どんな仕事?」 と容子が聞いてきた。

「麻雀メンバーなんだ」 とユウキが言うと容子の顔が急に曇る。

「でも、おじさんのやっている会社のチェーン店で、各種保険も完備されていて、家賃も半分の条件付きで10万円までなら出して貰えるんだ、正社員だぜ、ボーナスもあるんだ。今度賃貸マンションでも見に行こうと思ってるんだ。そこの社員はみんな20万円くらいのマンションに住んでるんだってさ」 ユウキがそう言うと容子が、

「私も---」 と言いかけて口を閉じた。

"私も、一緒に見に行こうかな“ と彼女は言いかけたんだろうか? でもまだそんな仲じゃないし、キスさえしていないどころか、手さえ握ったことの無い二人にとって、あり得ない言葉だと彼女は思い留まったのだろう。そう思うと育子ちゃんの方が近い仲なんじゃないかと思えてくる。彼女は以前育子ちゃんと食事したグリル屋さんに連れて行ってくれた。今日、育子ちゃんがお店休みでここに来ない事を祈った。

「なんでも好きな物頼んでいいわよ」 と容子がそう言ったので、

「ナポリタンスパゲッティを」 と注文した。それを聞いた容子が、

「もっと高いの言いなさいよ」 と言ったのでユウキは、

「ナポリタンスパゲッティが好きなんだ」 

「ふ〜ん」 と容子が言い、

「私も同じもの」 とウェイトレスに告げた。ユウキが想い出したかのように、

「そういえば、容子さんの名字知らないんだけど、なんていうの?」とユウキは聞いた。「久坂、あなたは?」と言うので、

「山名です」 とユウキは答えた。もう知り合って2年以上経つのに、自己紹介らしき事を言ったのが可笑(おか)しくて、二人で大笑いした。店を出て、公園へ行き、色んな話をした。以前は幼稚園の先生をしていたが、先輩のイジメで嫌になり、以来先生を辞めてからはあの喫茶店で働いて居ると言う。もう、いい歳だし両親からお見合いの話を薦められていて、                 「1回くらいはしなくてはいけないのかも」と言った。

"俺がいるのに“ ともユウキは言えず、

「お見合いの相手が良い人だったらいいね」と言うと彼女は急に哀しい顔になって、目に涙を滲ませ、ユウキの顔を見つめたまま、もう口から言葉を発する事は無くなった。

“俺と結婚しよう” とユウキが言えば彼女は、 “うん” と言ったのだろうか?でもその言葉が出なかった。食べさせていく自信はあったが、結婚した途端に彼女が豹変するのが、恐かった。話の所々に出てくる彼女の命令口調がユウキにそう思わせるのだった。以前付き合っていた彼女の事でトラウマになり、躊躇(ちゅうちょ)する自分がいた。前の彼女も長女で気が強かったが、彼女もそうじゃないかと聞いてみると、3人妹弟の長女だった。

”芯がしっかりしていて、物事に対して心のぶれない人だな" と思い、慎重になるユウキだった。

もう16時になっていた。容子は用事があると言って帰って行った。ユウキは急に体が楽になった気分だった。独り身の気軽さと、恋人のいる幸せを両天秤にかけると、前者の方が勝(まさ)っているような気がする。

 "俺は結婚には、向いていないのかもしれないな”   なんて考えていると、自由なのが嬉しいのか、孤独が怖いのか、わからないまま、また雀荘へ行くのだった。3階の雀荘にも2週間ほど行ってなかった。久しぶりに行こうが、メンバー達は忙しくて構っていられない。雀荘に毎日の様に暇つぶしに来ていた老人達が急に来なくなると、半年もすればみんなは、"もう死んだな” なんて噂する。

毎日の様に顔を併せ、家族の話など気軽にしていたりしても、殆ど何も知らないのが雀荘の知り合いだった。病気になったり死んだりしても誰も気づかないのだ。例え10年来の雀友でも。ユウキも雀ボーイになりここへも足が遠退き、来なくなったら誰かが心配でもしてくれるんだろうか、と思い店の中に目を向けた。樋口さんがいた。相変わらず美しい。 ”掃き溜めに鶴"  とはよく言ったもので、彼女は天女様のように輝き、後光が差している様に見えた。あと2,3時間もすれば彼女は帰っていく。彼女の卓に入りたくとも他の3人は終電ギリギリまで打つタイプ。今日は彼女とは一緒に打てないなと思っていたら、樋口さんと目が合い、彼女がピンチを頼んでユウキの所へやって来た。

「あと少し打ったら、お食事にでも行きませんか?」 と言ってくれたので、

「はい、喜んで、いつでもお供します」 とユウキは返し他の卓へついた。彼女が先に終わり、後ろのソファで待っていた。ユウキの卓はまだ南一局、トロイ老人が入っており、一打一打に時間が掛かる。その時間の長い事と言ったら、一日千秋の思いとはこの事かと思わんばかりだった。最後もトップを取り、飯代確保と意気揚々に雀荘を出て、いつもの居酒屋へ行った。今日は最初っから日本酒で乾杯もせず、料理を注文した。彼女は好き嫌いも無く何でも食べたが、少食だった。1時間もした頃、洋酒が飲みたいと言ったので少し歩いた所にあるスナックへ入った。客の下手くそな歌が店中に響き渡り、ろくに話も出来なかったが、彼女が隣にいるだけで幸せだった。彼女が何か話があるみたいだったので、静かな所へ行こうかと言ったら小さく頷いたので、あの500円ショットバーへ行った。いったい何杯飲んだのか、気分良くて眠そうになった時彼女が、

「今日はずっと一緒にいたいの」 と小さく呟いた。ユウキは最後のグラスを飲み干し、バーテンダーにチェックを告げて、表に出た。タクシーを拾い、少し街外れのネオン街でタクシーを降りた。彼女の手を取り、きらびやかな光をくぐる。遠い昔の出来事が蘇るようだった。タッチパネルを押し、点滅電灯に導かれ部屋に入った。彼女は弱い力でユウキを抱きしめ、顔を埋めた。何か嫌な事でもあったのだろうか?雀荘でも居酒屋でも顔が曇っていた。でもユウキはその事には一切触れず、彼女の着ているピンクのスーツのボタンをゆっくりと外していった。服を脱がせてスカートのスプリングホックを外し、ベッドの脇の椅子の背へそっと掛けた。ユウキは自分の服を脱いで先に裸になり、その間彼女はベッドに潜り込んだ。布団の中で彼女の下着を取ると、あのタトウー以外は真っ白だった。

もち肌と言うのだろうか、その美しい体に驚いていた。彼女の話では愛人を10年もしていたと言っていたが、そんな陰りは微塵もなく、少女の様に綺麗だった。キスを交わし激しく燃えた。1時間もたった頃、彼女が口を開いた。

「私の親分さんはお歳を召していて、50歳は離れていたの」 それでユウキは全てを理解し、二人はそれ以上その事については、何も語らなかった。それから二人は熱い抱擁を幾度となく交わし、彼女は先に眠ってしまった。いつも夢の中で描いていた事が現実になったこの時が、夢なんだろうかと不思議だった。朝になれば彼女が居なくなっている気がして、眠るのが怖かったけれど、この一瞬でも幸せならいいかと、彼女の寝顔を見ながら全ての事を受け入れる覚悟を決めた。ちょっとだけではあったが、幸せを握りしめ、離したくない衝動に心が揺さぶられる。彼女はとても綺麗で、自分には勿体ないくらいの女性だった。例え一緒に暮らしたとしても、一人の男が独占してはいけないと思う程、美しさを備えていた。今まで寂しそうで葉っぱの落ちた木が立ち並ぶ、モノトーンの世界で生きていた自分の人生のキャンパスに、僅かではあるが、鮮やかなカラーが着色されようとしている。深い森の中をひたすら歩き、いいことひとつもなかった自分の人生が一つの光を見つけ、その森を抜け出して、綺麗なお花畑に遭遇したような感覚にさせられた。色とりどりの綺麗な花が咲き誇っている、お花畑の真ん中に彼女が佇んでいるような。この感覚は一時的なものなのか、彼女を見失うと、又深い森の中へと逆戻りしていく様な気がした。そういえば何処かの偉大なアーティストが言ってたな〜“24時間持たない恋の熱を浚う” とかなんとか。嬉しさと共に興奮し、深い暗闇に入っている自分を遠くから眺め、そこから早く抜け出せと、応援している自分がいた。


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