第13話 キセキ
朝の7時くらいに雀荘を出て喫茶店に向かう時、丁度容子が出勤して来た。喫茶店に入るとあまり話しも出来ないし、表で颯紀ちゃんの事を聞いた。スポーツ新聞社の方は海外での写真撮影、特集ページのお願いの相談だったそうで、雑誌社は一年間の専属契約を結んで欲しいと言ってきたらしい。
「両方とも有名な会社だったので、おじいさんも両親も快諾したらしいよ」と容子が言った。何でも身長が伸びて175cmくらいになったらパリコレにも出て欲しいと言っていた。颯紀は今、16歳で171cm、あと数年あれば伸びると思ったのか、母親も乗り気で身長が伸びる食材を模索し始めた。父親は 190cmを超えているそうで、決して無理ではないかもと、容子も言っていた。二人で喫茶店に入ると珍しく仲本がやって来た。昨日スロット祭りで 19万円勝ったのだと言う。
「サウナでも行きましょうか、奢りますよ」
と言うので、二人でモーニングセットを食べた後、サウナに行った。平日のサウナは結構空いていて、テレビ付のリクライニングチェアも確保する事が出来た。ゆっくり睡眠を取り、サウナを出たあと居酒屋ヘ行った。仲本は今日はバイトが休みだから、一緒に麻雀をすると言ってついてきた。スロットで勝ち、お金に余裕があり、麻雀の方も余裕で打つ様な感じで、辺張、嵌張での速いリーチはしなくなり、勝ちを収めて行った。今日一日で彼は3ヶ月分のバイト代くらいのお金を増やしたんだろ。ユウキは仲本やポンリーの話を聞いているうち、このままではいけないと思う自分が歯痒くて、焦った気持ちが湧いてくるが、そういう感情に襲われながらも、何かをしなければいけないと判ってはいるものの、なんの手だても無かった。仲本との麻雀は二人がトップの取り合いで、いつの間に腕を上げたのか、互いに闘志むき出しだったが、終れば気持ちのいい朝を迎えていた。
朝、喫茶店に入ると珍しく颯紀がおり、なにやら母親と言い争っていた。よく聞くと颯紀が高校を辞めると言っているみたいだった。
雑誌社の契約の中には海外の写真撮影も結構あって、いっその事ヨーロッパで暮らしたいと言い出した。パパはニュージーランドが出身地だが、両親はフランスとスペインの生まれで、ヨーロッパにも親戚や知り合いは沢山おり、パパは賛成だった。雑誌社の方も海外を拠点としてもいいと言ってきたので、母親も絶対反対という雰囲気ではなくなっていった。颯紀はもちろん母親も英語は話せたので、これらの事もあってか、話は意外な方向へ向かって行きそうだった。パパは日本語も話せたが、颯紀との会話は常に英語。彼らが英語で話してる時は、おじいさんはちょっぴり寂しい顔をしていると容子は言っていた。
モーニングセットを食べ終え喫茶店から出た時、偶然にも樋口さんと会った。今日は紺色のストライプが入ったスーツに身を包み、背筋が伸びてモデルのようだった。彼女に颯紀の話をすると、既に知っており行末を見ていると言っていた。これら仕事だと言うのでその場で別れ、
「また一緒にお食事してください」 というと約束はして貰えなかったけど、ほんの微(かす)かに頷いて笑ってくれた。こんな女性と恋に落ちたらどんな人生が待っているんだろうかと思うと、チョッピリわくわくするユウキだった。非常階段を上がり、見すぼらしいプレハブの中で眠りに就く。暖房器具も無いしこれから寝るのも寒くなるな〜と思い憂鬱になるユウキだった。
昼過ぎに目が覚め、街をぶらぶらした。この辺りは食処が多くて食事には苦労しない。以前行ったことのあるグリルの店へ行った。その店はカウンター7席とテーブル4卓の小さな店だが、美味しい料理を出してくれる。ユウキは時折来ていた。昼のピーク時だったので順番待ちの人が5人いた。ユウキはあまり並ぶのが好きじゃなかったので違う店に行こうかなと店内に目をやると、おにぎり屋の育子ちゃんが一人でテーブルに座っていた。
ウエイトレスに呼び止められたが振り切り、育子ちゃんに同席してもいいかと、尋ねるといいと言ってくれたので、そのままそこに座った。ウエイトレスが察したかのように注文を聞きに来たので
「こちらの方と同じものを」 と言った。
まだ彼女の注文したものを聞いてないのにそんな事を言うもんだから、
「不思議な人なのね」 と彼女が薄笑いを浮かべた。運ばれてきた料理は小さなグラタンだった。ユウキはグラタンは好きだったが、
なにせ量が少ない、これじゃ夜まで持たないな~と思って食べていると、
「ほかにも何か頼みますか?」 と育子ちゃんは気を遣って聞いてくれた。
「お腹はあまり空いてないんだ」 とユウキは返し、そのまま食事をした。今日はお店の定休日で、休みの日は色んなお店を廻っているんだそうだ。今の店は2坪程しかなく狭すぎて何も置けないし、固定された屋台のようだった。お金を貯めてもっと大きな店を出すのが夢だと語ってくれた。幾ら要るのかと聞いたら
「初期投資に500万円くらいかな~」
と言うので、
「僕に出させてください」 と思わず言ってしまった。彼女は目を丸くして、
「それは出来ないわ、私の夢が壊れるから」
と綺麗な顔を魅せてくれる。
「でも、嬉しい」 と言ってくれた。時々でもいいから、デートしたい様な事を呟いたら、
「休みの日、暇ならね。殆ど食べ歩きだけど」 と彼女は言ってくれた。
「僕も食べ歩き好きなんだ。おにぎりも食べ歩きしてるし」 と言うと、
「意味がちょっと違うような?!」っと言って笑った。今迄週2、3回だったおにぎり屋への通いが4、5回になり毎日になった。休みの日も10日に1回くらいと分かりお店に行って、
「そろそろ明日くらい休みなんじゃ?⁈」 と言うと、
「ピンポン」と返事が帰ってくる。
「明日11時に待ってる、此処で」と彼女は笑って言ってくれた。ユウキはおにぎりを口に頬張りながら雀荘ヘ向かった。心が弾み満たされると、麻雀の牌もいう事を聴いてくれた。念力麻雀の様に思う牌が必ず入ってくる。もう敵なしだった。何でも無いような危険牌がユウキを素通りして、ロン牌を掴まない。どんな酷い配牌でも上がれる気がした。
その日のユウキは鬼神の様な強さ、トップの合間に2着の繰り返しで、入ってきたお金は出て行く事はなく、お客が入れ替わろうともそのツキは変わらず、また例によって左胸のポケットはパンパンになった。少し早く雀荘を出て、サウナに行って服を洗い体を綺麗にした。待ち合わせの時間にはまだ30分あったので余裕でゆっくり歩いていると、遠くから彼女が待っているのが見えた。少し歩調を早め、その場所に着くと ”いったいいつから待ってたんだろう” とユウキは思ったが聞くのをやめて、
「いこうか」 と言って手を取った。彼女は嫌がる素振りも見せず手を繋いでくれた。
歳を聞くとユウキと同い年だった。急に接近し始めた二人だったが、その後は自分の思いに躊躇するユウキだった。昼に定食屋に入ってぶらぶらし、3時頃パフェの店でゆっくりして、夜ショットバーへ行った。一杯500円の店で雰囲気が良くて、彼女は以前にも来たことがありそうだった。少し飲んだ頃、誰かと一緒に来たことがあるのか聞こうとしたがやめた。“今の彼と” だなんて彼女の口から出ちまったら死んでしまいそうだったから。店を出て少し歩いたら神社があったので手を合わせ、そして彼女の肩を左手で強く抱き寄せた。彼女は左手をユウキの胸に置いて、顔を埋めてきた。キスをしようかと思ったが、産まれたての子鹿のように震える彼女を見てやめた。彼女の香りは柔らかく夢の中にいる様だった。
「いい香りダネ」 とユウキ言った。
「フレグランスミストよ」 と彼女が教えてくれた。香水なんてシャネルかイブサンローランくらいしか知らない。
「その中でもサムライアクアマリンと言って香水じゃないのよ」 と教えてくれた。今まで麻雀ばかりやっていた自分が、井の中の蛙の様な気がして恥ずかしかった。彼女に違う世界に連れて行ってもらいたかった。駅まで彼女を送っていった。二人共別れを惜しんでおり、ユウキが今晩どこかへ泊まろうと言えば、彼女は首を縦に振ったのかもしれない。しかしユウキは言わなかった、いや言えなかったのだ。今の自分の境遇がそうさせていた。繋いでいた手を離し、改札口から少し離れた所で見送った。彼女は何度もユウキを見返して、改札口の手前で立ち止まり、ほんの数秒ではあったが、悲しそうな目でユウキを見ていた。その時間が、一瞬であった筈なのに、ユウキにはとても長い時間に思われた。駆け寄って連れ去ろうとする衝動を抑えた時、目に涙が滲み、焦燥感に駆られる。今、事故や天変地異でも起き、電車が止まれば二人の未来は違ったものになっていたかもしれない。しかしそんな奇跡も起ころうはずも無く、彼女は雑踏の中に消えていった。その夜は雀荘に行く気にもなれず、トボトボと夜道を歩いた。喫茶店はとっくに閉まっており真っ暗だった。夜風がいつもより冷たく感じられユウキの顔に刺さってくる。魂がどこかに放浪し、彷徨(さまよ)っているようだった。虚しい心の中にも冷たい風が吹いている。選りに選って先程から降っていた冷たい小雨が粉雪になって宙を舞いだした。非常階段を上がり、南京錠の鍵を外して外部気温と少しも変わらない、隙間風の吹き込むプレハブの中の布団で眠りに就く。もう寒い冬がやって来た。暖かい愛が無いと冬は越せないんじゃないかとユウキは思うのだった。
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