第166話 龍を導くもの、龍の婿となるもの

『それは物理的にではなくて心理的にだと答えるとそれでは僕の場合は心理的に重くないから楽なのかな? とルーゲン師は返しそれからこう言いました。そうなると君はいつも重いものばかりを背負っているのだな、と。


 どうしてだかその言葉は私の心に染み込み、癒されるものがありました。


 完全に眠ってしまったルーゲン師をソグ僧の天幕までお運びし僧に引き渡す間も師は起きずに礼すら述べられない姿が珍しいと共に、それが今回の任務の苦難を現すものだと私には感じられ、恐縮する僧に対して逆に礼を述べて自隊の天幕に戻り泥のように眠る隊員たちの呼吸音が聞こえる中で、私は机に手箱から手紙の紙を取り出し開き筆をとりこうして手紙を書いているわけです。そうまだ私の任務を終わってはいません。


 こうして溜まり続けた報告を書かなければならないのですから、けれどもこれは重荷ではなくむしろ淡い解放感にいま包まれています。


 任務中は手紙の類を書くことは禁止されていましたので日々頭の中でどう書こうか、今のはなんて書こうか、どれを中心に書けば、上手く伝わるかと考え続けてたために、頭の中が重くて仕方がなく、こうして書けば書くほどに頭が軽くなっている気がしてもとからあまり入っていいないのに空っぽになってしまったらどうなるのか? とも不安になってきたと思ったらこうして今現在に到着いたしました。丁度いま眠くなってきました。


 眠くなって終わりにするとか誠に勝手ですがもう眠ります。このまま郵便箱に入れましてすぐに来る予定の郵便隊がそちらに持っていくでしょう。そちらに届きあなたが開き、それから嘲りの笑みを浮かべ私を馬鹿にする。そこまで想像できてしまうのですが、このまま投函致します。長々しいお手紙でしたがどうぞ御収め下さい ジーナより』


「バカよなこやつは」

「早く寝ろですよね」


 無残な言葉が続けざまに続きシオンは笑った。


「まぁまぁ良いじゃないですな。毎回この調子だとヘイム様も楽しいですよね」


「男同士のイチャイチャ話など毎回聞きとうないわ。ハイネの狙っておったな発言を聞いてから読み返すと最後の最後までルーゲンの行動はいちいち芝居がかっておって故意的であるな。それにちっとも気づいている素振りを見せないジーナもジーナで実にあやつらしい。ルーゲンが詐欺師ならまるっと騙されておるし、ルーゲンが女であったら、誑かされて大変なことになっておったぞ」


 首を振りながらヘイムは目を伏せて項垂れているもシオンから見るとそれも大変に演技臭かった。


「あのですねヘイム様。そんなおかしな仮定をして心配しなくても大丈夫ですよ。どうひっくり返してもるルーゲン師は男のままですから」


「分からんぞ。世の中なにが起こるかなんて誰にもわからぬからな。明日にでもルーゲンが女になるどころか、あのジーナは女になるやもしれん。いやいやいやあれが男であったのが不幸中の幸いであったな」


「この世で最も不要な心配ですよそれ。どうしたらあんな骨格な存在を女にできるのですか。あっ想像しただけで眩暈が……」


 しなかった。そのうえシオンの脳裏には見たこともない女が浮かびそれをすぐにジーナだと認めた。


 似ても似つかぬその女。いったいどこに共通点があるというのか? それ以上にどうしてそんな想像を……


「他の方々の報告書もこのような冒険譚っぽく書かれていたらどれほど楽しいことでしょうね。型にはまった報告書でも十分に面白いのですけどたまにはこれぐらい型破りがあっても許されますよね」


「意識朦朧状態でないと書けない文章だから他には望めまい。次はルーゲン師のが来るだろうが、雑音が一切なく体裁よく整ったものをくれるだろう。もちろんジーナへの謎のアプローチなど書かなく適切な距離感のやりとりが多少あるぐらいであろうな。こっちは全部知っているのに涼しい顔でそう告げて来るのを想像するとちょっと面白いな」


「ヘイム様それは悪趣味っぽいですよ。いえ、私もそういう裏から見透かして見るのは嫌いではありませんが」


 ジーナの手紙の便が今朝届いたということは次の一般郵便はおよそ一週間後。


 その時は他の報告書も溢れかえるほどに届いて処理が忙しくなるだろう。一通一通を吟味しこのように講評することなど、まずない。


 そうであるために他の誰よりも真っ先にこのような詳細な手紙を書ききり届けることに成功したジーナは、本人にはその意図はないのは確実だが評価が上がったのは当然だと言えた。


 正直に書いているということは筆の様子で分かるというよりも彼の性格からそうであり、公平に書いてあるのもそう。


 こう判断するとシオンはおかしな気分になっていた。ハイネの件で信頼していないというのに、どうしてか信頼しているということを。


 わざとルーゲン師をべたべたしてくる妙な男として描いている? ジーナはそんなことを書くはずがないと。大袈裟に危機を描き乗り越えたと己の功績を水増ししている? そういう男ではない。


 ヘイム様への感謝は己の出世のためへの媚び? そんなことをするぐらいなら護衛職など決して離れない。


 不思議な男だ、とシオンは思うと同時にハイネを見た。何故女関係については不誠実も甚だしいのだと。これさえ無ければあの男について私は反対など……


「来週には第二通と共にルーゲン師のお手紙も届かれるでしょう。どのような書き方をしているのかについての想像は脇に置きまして、大切なことはこの度のルーゲン師のご活躍によって教団はもとより民衆の間にも一つの期待が高まっているかと思われます。教団上層部からも幾度か直接的表現はされてはいませんが、あの存在についての御検討を要請されております。現在空席になっているあの地位を、あの称号をもうそろそろ御決定なされても良い時期だと私には思われ申し上げます」


 それか、とシオンの心はこの話題もまた胃の底が重くなるものを感じた。理由は不明だが、なるものはなるのである。自然現象のように。


 これはヘイムもそうであろうと、そのことは話したことが無いにも関わらずシオンには分かった。


 分かるものである、そのぐらいの付き合いなのだからと、相変わらずシオンはヘイムのことについてはむやみやたらに自信があった。


「そうだな。マイラ卿からもその件について考えてもらいたいとは度々言われておったが、もう考えねばならぬな」


 といつもの問題を遠ざけようとする答えをしハイネが固い表情を崩さずに何かを言おうとしたところヘイムが左手で制し支持を出した。


「その件は重大すぎるので後に行うこととしよう。いま優先すべきは決心し動いてくれた東西の両将軍の件だ。これまで連絡がなかなか取れない中で孤軍奮闘しあちらにつかずに戦ってくれたことに対して感謝の意を贈らねばならぬ。ムネとオシリーへの勅使派遣だがマイラ卿ならば最適であるので、この際あやつを真ん中から割いて二つにしようと思うがどうだシオン。嘆かわしいか?」


「いいえ。二人になられるのなら私は一向に構いませんが。こちらへの愛が二つに増えるわけですし」


「ふざけるでない、あっふざけておったのは妾だな。それで同時に派遣せねば公平感が薄まるので、ここは即座に攻勢を開始させ性格的に現在自分の方が功ありと思っていそうなオシリーにはマイラ卿を派遣するとしよう。


 あちらの優柔不断さで迷惑をかけたと思っていそうな気が弱いムネにはシオンとハイネを勅使として派遣すれば釣り合いは取れるであろう」


「ムネ将軍は婦人が苦手だと聞きましたが。私達二人が行きましたら懲罰だと見なされませんか?」


「半分はそういう意図もあるな。他の参謀らはそなたらみたいな女が勅使なら喜ぶであろうが将軍は変な緊張をする、これでよい。

 勝手に色々なことを考え込み始めて今よりかは多少は早めに動いてくれるようになるだろうし参謀も張り切るだろう。逆は流石に無いだろうし、それは最早謀反であるからな」


 なるほどよく考えていますねとシオンは頷きハイネも頷いた。


「勅使派遣の連絡をこれから行い向うから来る報告書の処理が終わり次第に赴くという予定といこうか。東西の将軍から中央を北上するバルツ将軍の元へ合流し帰国と概ねこの流れだ」


 パッとシオンは向う側が光ったように見えた。いや光ったのだ。ハイネが、ぴかりと。


 あの男に会えるという期待が光を内側からこぼれ出した、にしてはあまりにも隙だらけかつ穴だらけな身体だと思いつつシオンは先ず思った。


 可能な限り、それは避けなければならない、と。だからシオンはヘイムに尋ねた。


「勅使の件には異論はございませんがハイネはどうでしょう? それは別にハイネのことをとやかくいうことではなく、こちらのいま手がけている職務とどちらを優先すべきか、それとの擦り合わせだと私は思いますが」


 ヘイムが答えずに顎に手を当てるとスイッチが入ったようにハイネの口が動きだした。待っていたかのように。


「あの、忙しいと言えば、忙しいです……失礼しました。本当に忙しいです。その、ヘイム様の婿選定について変わらずに難航しておりまして、私の力不足なのですが、本当に申し訳ありません」


 ああ龍身様の婿か、とシオンは内心で溜息を吐く。


 いくらでも難航していいとシオンは思うものの座礁するとさりとて困るとあまり触れたくはないことであった。


 そうだからこそハイネに丸投げをしているのだが、ならばこれを幸いにして……


「その件ですがまだ時間はありますからそちらを優先したほうが良いと私は思いますね。一度出てしまうとひと月以上は停滞してしまいます。それならばここは一つ集中して行い、決定しないまでも一区切りをつけた方がよろしいかと。ヘイム様にハイネもそうなりましたら一安心でしょうし」


 散々今まで投げっぱなしの癖によく言うよと我ながら思っていたが二人からは反発の雰囲気は伝わってこなかった。


「まぁそうしたほうが無難と言えば無難であるな。龍の婿選定は現在止めるにはは半端すぎるものではある。とりあえずキリのいいところまでやるとしようか」


「シオン様の決定は素晴らしいもので私としましては大歓迎です」


 おや? 皮肉かなとシオンは思うもののその表情は心から出たものであり声も偽りの色はついていなかった。


 表情は鮮やかな光でありどこまでも広がる爽やかを湛え、全ては我が意を得たりといったもののようであり、微笑みながらハイネは両手を胸の前にクロスさせながら置き、誓うかのようにして言った。


「はい。私も力の限り尽くす所存です。中央帰還の前日までには龍を導くものと龍の婿をこの日の下に誕生させましょう。もうその時が近づいておりますし」


「それは喜ばしいことで」


 シオンはそう返事をし腹の底で重いものが転がるような不快さを感じた。

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