第164話 ルーゲンはジーナのことが好きなのでは?
これはこれで良くない言い方だとシオンは思いつつも、抑えることができずに言うとハイネが顔を向けてきた。その哀しげな顔……むっ表情を作っている?
「えっ? 姉様はジーナに反対しますか?」
言い方もなにかおかしいけれどもシオンは気にしなかった。
それよりも今はのぼせているこの娘の頭に冷や水を掛けなければならない。
「そうなりますね。近衛兵はやはり身元のきちんとしたものでないといけません。彼の実績は申し分ありませんが、身元という点ではまるで駄目ですからね」
別にそれはどうでもいいのだが、とシオンは内心で思うも反対するためにそう言わざるを得なかった。そこを問題にしないと反対論が不可能となる。
「バルツ将軍といった武人系の方々はその点は問題ないと言いそうですが」
「彼らはそう言うでしょうが、近衛兵というのは特別なものです。龍の守護をするものなのですから忠誠心の厚いものを中心に構成しなければなりません。ジーナは忠誠心という点も不信仰者というのが引っ掛かります。いえ私も彼の活躍は素晴らしいと思いますし讃えますが、それとこれとは分けるべきでしょう。近衛兵長もやりすぎですし、もし功績抜群の彼を近衛兵にしましたらバランスが悪くなるともそう感じられます」
いいぞ私とシオンは勝手にぺらぺらと回る舌を鼓舞した。全部いま考え喋っている事だけど、前々からそう思っていたように言えている。
これならハイネを説得できるとシオンは一人思った。
「だいたいジーナ自身も近衛兵はやる気はありませんよね。気が変わったという話を聞いたのですか?」
「……いいえ。彼はそのようなことは一切。いまのはその、私の勝手な希望論でして」
分かっていますよとシオンは頷き、少しは落ち着いてきたようなハイネの表情を見ると、むむっどこか楽し気?
「シオン様のお考えでは近衛兵以外ではどこがよろしいでしょう?」
どこでも、とは言うことはできずシオンはこの心を疑われぬように間髪入れずにそれっぽいことを言うことに成功した、気がした。
「西ですね、そう西方の将軍職当りが妥当ではないか前々から考えていましてね。故郷が近いのはなにかと便利でしょうし西との交易の場合は彼は使えますしね。まぁもっとも、ここでこのような雑談で将来の処遇を決めるのは時期尚早といえますから、なんとでも言えますけどね」
畏まりました、とハイネは寂しそうに、だが満足気に頷いているようにしか見えないことにシオンは不安に覆い被さった。
なんだろう、なにか逆にまずいことでも言ってしまったのか? ハイネがジーナを傍らに置きたいと言ったから反対し中央から遠ざけた、これはハイネの反感を買って当然のことなのにまるでその気を放ってはこない。
まるでそれでいいのですと言いたげなぐらいで……だがシオンはヘイムが瞼を閉じていることに気付き我に返り思考を中断させた。
負担を掛けさせてしまったとシオンは自身に腹が立った。しかもあんな男の問題なんかで。
このような人事の最終決定権は龍身そのものにあるものの、担当者間で協議した人事を基本的には受け入れる方針であった。
そうであるからこそ公平性のために人事の議論などはこのように眼の前でやり、目をつぶらせるような行為は避けなければならないというのに……
それにしてもあの男はこのように議論にあげてとやかくいう程の人物であるのか? そんな馬鹿な話があるはずもない。
「はい、この話はここでよしましょう。考えてみるにいまの私達にとってのジーナは近衛兵長でも西の将軍でもなく、前線でテンション高めな手紙を送って私達を楽しませる一兵隊長に過ぎません。この手紙は己の功績を粉飾しようという役職狙いのものでは断固として無く……となるとそうですねこうしましょうか。彼の愚直なまでの善良さというものの一つの証拠物件だとでも。裁判をするのならかなり有利ですよこれ」
ここで久しぶりにヘイムは軽い笑い声をあげ瞼を開きハイネも手で口を抑えた。良し冗談は上手くいったな。
「もう一度三人で読みましょう、ええっとこっちの西の将軍は今は、というか兎も角、ムネ将軍でしたね。ではここから。この『ルーゲン師が愚痴をこぼしていた。珍しい。この私がいくら迷惑をかけても愚痴をこぼしたりしない人なのに』とぬけぬけとよく当の本人が言いますよね。図々しいにもほどがあります」
「あぁ実にあやつっぽいな。声と表情が目に浮かぶぞ。あの面の皮の厚さには性根を疑うな」
「えぇ自分が何を言っているのか本人に自覚がない感じが本当に彼らしさがよく出ている一文ですね。全然反省していない」
打てば響くといったような女二人の異口同音の叩きにシオンはなんだかジーナが憐れに思われた。少しぐらい味方をしてやろうかと。
「全くですね。その愚痴というのが書いてはいませんがあれですかね、 ムネ将軍の優柔不断さとか」
「それよな。あのルーゲンが愚痴を吐くとした相当なものだが、ムネ将軍の度胸のなさや優柔不断さは相当だからな。時間が無いのに決心がつかない、説得する、まだつかないと、だいたいそんなものであろう」
「一旦決心がつくとあの人はかなりいいのですけど、火が点くまでがどうも鈍間で頓馬で」
「煮え切らないお方ですね。でも流石はルーゲン師ですねなんとか説得に漕ぎ着けたのは」
ハイネの振りにヘイムは無反応だったのがシオンの眼を引いた。
「そのせいで東への草原横断が手紙に書いてある通りの強行軍になって敵と遭遇しそうになったと……」
急にヘイムは口をつぐみハイネも口を閉ざすと風が窓を打ち窓ガラスを震わせた。
反対のことを言い合ったり同じ行動を取ったりと、最近のこの二人はなにか変だなと思いつつシオンがその先をとった。
「霧が出たみたいですね。そのことについて触れていますが。『霧のなか馬車を駆けさせましたが追跡を振り切れたのは突然濃くなった霧のおかげです。あれが無かったとしたら目的は半ばで途絶えたうえに我々の命も危うかったでしょう。追跡者が完全に我々を見失いこちらが霧から脱出した直後に現れた陽の光を浴び足を止めると、馬車からルーゲン師が落ちるように降り笑顔とその全身を用いて龍身への祈りを捧げました。ルーゲン師の言われるにはこの霧は龍身様のお力であり、そうでない理由がどこにもないのだと。だからこそ成功し、この先もうまくいくのだと。他の隊員も降りて祈りを捧げていますので、私もみなにならい同じように跪くとあの日の油の香りが、甦りました。それはあなたがここにいるかのように。すると連鎖反応的にあなたの祈る姿が思う浮かばれ私は思い出します。あなたはどのような日も体調が明らかに悪そうな日も、一日も欠かさずに準備を整え儀式をなさっていたことを私は見て知っております。不信仰な私にはその価値が分かりませんが、あなたの神聖なる義務には敬意を払いたいと常々思っております故に、勝手ながら龍身様にではなくヘイム様に感謝の言葉を捧げます。ありがとうございます。』」
これもまたジーナらしいなと思いながら読み上げるもヘイムとハイネの反応が、ない。
押し黙ったままでありさっきからこの二人は何なのだとシオンはちょっと腹立たしくなり、声をあげた。
「まっ普通に良いじゃないですかね! 失敬極まることを書いてはいますが、お礼は正直ですから。あくまで普通で常識的ですけど、彼の人間性を考えたら合格点ではないでしょうか」
「随分と、個人的な感想を綴っていますね」
ハイネが独り言のようなとても小さな声を出したが、室内によく響いた。
「報告書なのに……彼は普段からこういう書くのですか?」
空気に向かって言っている声であるのにヘイムは答えた。
「うーんどうであろうな。書いているようで書いていないようで」
ぜんっぜん書いてはいないでしょ、とは言えないシオンはもどかしさに足踏みをしだした。
だから今回は面白いとみんなで読み出したのではないですかと。
「このように強めの表現を使うのは今回が初めてだろうな」
そうそうそうですとても珍しいことです、とシオンはすっきりし足踏みを止めた。
「これぐらいで強めなのですか」
「あれにとってはこれでもかなりのものだろうに。知ってはおるだろう? 高揚していなければあやつはこのようなことは決して書かんと。これも教師であったハイネの努力のおかげであるな。あやつのためにもなるし妾の楽しみにもなっておる、感謝しておるぞ」
「……身に余るお言葉でございます」
不思議さを感じさせるその素っ気なさにシオンは声を掛けようとするとハイネは急に笑顔になった。
「それはそうとジーナって手紙の中でのルーゲン師への言及がやたらと多くありません?」
「そう言われてみるとそうですね。視点がルーゲンを追っているのが続きますね」
「普段は風景描写ばかりであるが今回のは人物描写であるから楽しさがいつものとは違うのだろうな。それにしてもまるで恋人にばかり見てしまう男みたいな感じを出しておるが……そうだなあやつはルーゲンのことが好きなのであろう」
「よしてくださいよそんな変なことを言うのは」
「なんとなく、分かります」
冗談かと思って笑ったシオンの眼のまえでハイネが真面目な顔でそう言った。
「あのハイネ?」
「そなたもそう思うか。まっ見ればすぐに気づくよな。あのジーナはルーゲンの言うことには素直に聞きがちであるし」
「そこは私にも分かります。私達の言葉にはすぐに反発する癖に」
「女だと思って軽く見ているんじゃないんですかね。やっぱりそういうところは多々ありますよ」
ハイネの頬が怒りで紅潮してきたのを見たシオンは鎮静化に乗り出した。
「落ち着きなさい。ジーナは女だろうが相手が将軍だろうが変に意地を張る男ではないですか。ハイネがあれより背丈が高い屈強な大男だとしてもあれは反抗しますよ」
ハイネは吹き出し咳込み顔を伏せた。
「失礼、確かに。基本的に彼は強いので暴力ではそうそう屈服しませんから、そこは精神的な何かなのでしょうかね」
「そもそもジーナみたいな男が女を尊重するタイプであったらそれはそれで不気味だがな。そんな男であるがルーゲンはルーゲンでジーナのことを気に入っておるよな」
シオンは驚きつつ賛同する。意識したことは無かったが思い返すとあの二人は、いやルーゲンはやたらとジーナに世話を焼いている。けれども
「そうは言いますがルーゲン師は満遍なく誰にでも親切ですよ。ジーナに対しては無信仰者の外国人だからより親切にしているのでは?」
「ちと度が過ぎている親切さであるぞ。だから妾はたまにこう思ってはみるのだ。ルーゲンはジーナの事が好きなのではないのかと」
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