第155話 この隊長、雑魚すぎる

 その当日、これからその時が訪れるのだとジーナは朝はやくに目が覚めてからひたすらにこの一事だけ考え続けている。


 考え続けるのは無意味であるのに、無駄に考える。いったいにこんなに考えてどうするのかというぐらいに。


 表彰式で自分の番が来て頭を垂れ言葉を戴き、立ち去る。それだけであるというのに。それ以外にジーナにすることなど何もない。


 ジーナのシュミレーションは出来る限りあの人に見ずに近寄らずに触れずに終わるためにはどうするか、そのことに終始一貫していた。


 そこには多少の無礼すらもあるが、もうこれ以上自分の不敬心を晒してなんだというのか別に全くかまわないとジーナは思うと同時にこうも考える。


「もっともこちらが動かなければあちらも動きはずはない」と。


 そんな確実視する楽観すら抱いてもいるが、右頬が熱く心臓が変に冷えている感覚がある。その嫌な気持ち、分裂したそのなにか。


 身体や痕が告げているのか、なにかが起こりそうである、と。


 だからこうして入念な動きのシュミレーションをした後に陽の角度を見たジーナは扉に向かった。


 この扉に向かったことはこれまでではじめてであり逆にこの扉から中に入った記憶も遠い過去の記憶の話のようであった。


 ドアノブに手を掛けると外に人の気配を感じた。声を潜めているということは、と半永続的に鍵のかかっていない扉を開き足を外界に出すと声を掛けられる。


「お勤めご苦労様でした」


 正装に身を固めた隊員たちが立っていた。


「馬鹿なことを言うな。私が勝手に入って勝手に出てきただけだろうに。それにみんなのおかげで別に不自由な思いはしなかったから、むしろこっちこそありがとうと言いたいぐらいぐらいだ。だからみんなありがとう」

 ジーナは冗談抜きでそう言ったのだが集まった隊員らはそうとは受け止めずに笑い出した。


「そんなわけないだろ。まぁまぁジーナさんよ! 出てきて良かったぜ。第二隊の頭が塔の中に監禁中に俺達が表彰されるなんて、やっぱりしっくりとこないからな。さぁ行こうぜ」


 手を取り肩に腕を組みながらブリアンはそう言う。なんだか逃がさないといった力の入り方だなと思いながら。


「しかし油断は禁物です。気が変わらないうちに連れて行きましょう。隊長は気紛れで出席すると言っただけかもしれませんし、ほら今にも嫌だと言い出しそう! 都合のよい気紛れが続いている間に準備を全て整えてしまいましょう。ではみんな隊長を囲んでください」


 アルの合図と同時に歓迎の隊員達は輪となってジーナを囲み歩き出した。


 こんなことをしなくても、とジーナは思うも逆の立場だったらやるな、と思った。なんたってこいつは……自分はこの世界では最も信頼されない不信仰者なのだから。


「これは悪い事じゃなくてみんなはジーナ隊長と一緒に祝いたいんだよ。だから逃げさないようにしているだけだって」


 全然フォローになっていないことを隣に配置されたキルシュが言って来た。


「私がいなくたっていいじゃないか」


「またそんな変なこと言って。これはねジーナ隊長がいないとかっこ悪いとかみっともないからとかそういうことじゃないよ。だいたいこの隊はそんなお上品なことを気にする隊じゃないでしょう。あんたが龍身様から表彰されるというところを見たい、それだけだって。おかしい? そう思うのはジーナ隊長がおかしいだけでね、みんな命懸けで戦ったんだからさ認められて欲しいのよ、一番偉いお方にね」


 私は龍なんかにはこれっぽっちも認められたくはない、と言うことができないために溜息を吐くとキルシュは脇を突いてきたのでジーナは軽く呻いた。


「あんたはいつも見てないからね。なにをって後ろをさ。いつも先頭を走っているからこういう風に囲まれているのって珍しい風景なんじゃないの?」


 たしかに、とジーナは隊員の後頭部を進軍しながらこの位置から見たことは無かった。


 逆にいつもこういう風に自分は後頭部をみんなに見せているのか、と先頭を歩くブリアンの背中を見て想像をした。キルシュはそれに気づき告げる。


「あの人の背格好はジーナ隊長より少し細いぐらいだけど残念ながらそれ以上に隊長には敵わないみたいね。聞いた話によると隊長は突撃の合図をだす、というか飛び出す直前は急に背中が大きくなると聞いたよ。それを見るとねみんなが凄く安心するってさ。この背中を追って戦えば良いという具合にね。まぁこの当の本人はそんな意識は無いし後ろのことなんて気にもしていないでしょうがね」


「辛辣だけどそうだな。私はもう私の戦いに夢中になっているんだ。本当なら隊長というなんていう柄じゃないんだがな」


「あたしは女だからそんな自分勝手で周りに目が行かない人をリーダーになんかにしたくないけど、男はそう思わないみたいだね。一番勇敢で強い奴がとにかくえらいっていう感じでさ。あんたみたいな絶対に先頭を走る男を絶対的に信頼するみたいでさ。それで毎回戦果を得るんだから男は誰も文句は言わない。こんな志願兵だらけの隊は案外それで良かったのかもしれないし、損耗率も戦果に比べたら格段に良いってバルツ将軍の参謀たちは評価していたよ。本当にジーナ隊長って男ウケは異様に良いんだなってつくづくと思うよ」


「そのぶん女からは雨霰のように文句を言われっぱなしだけどな」


 ジーナはそう言うとお喋りなキルシュは途端に黙ってしまい足音が大きく聞こえた。これは台風の目のようなタイミングなのか、と。


 その隙にそういえばと周りを見ると横から笑いを噛み殺した声が聞こえてきた。


「誰かお探しで?」


 黙っていたのはこの反応を見るためだなとキルシュの三白眼の光りに目を逸らしながらジーナは罠にかかった分かった。


 言う通りに自分は探していた。隊員が扉の外にいた時も見渡すふりをして探した。あの日から来ていないハイネのことを。


 三日ほどのことであり、シオン達が来たことによって忙しさが増した、自分に構っている時間など無くなった、そもそも忙しいから来ないと言った。


 そうであるからこそ今日はもしかしてと思っていたが、当てが外れたというか、今日が一番忙しいとまた頭の中はグルグルしだした。


「駆け引きだよ」

「なんの?」


 下からの意味深な言葉に素で答えるとキルシュの眼は見開かれそれから細くなって笑った。


「駄目だジーナ隊長……雑魚過ぎさ」


 なに笑ってんだこいつは、と思うもこれ以上に話をすると嫌なところに触れられそうなために聞くのをやめた。


 このキルシュにハイネは? なんて絶対に聞けない。これから怒涛の質問全でも来たらどうする、と身構えようとするとキルシュは自分のバックから何かを取り出して、見せた。


「そういえばジーナ隊長ってこれ好きだっけ?」


 唐突に話題が変わりその手に乗せられているのは丸い橙色の実。甘くて酸っぱいやつ。


「それか。苦いやつはちょっと苦手だな」


「誰だって苦いのは苦手だよ。外れを引いたようだけどこれは甘いよ。龍身様たちがお持ち下さったソグからの贈り物でさみんなに配給されているんだ。ジーナ隊長だから特別に数を多めにとっておいたから部屋に戻ったら他にも持ってくるよ」


 その実を見ながらジーナの記憶はソグへと、秋の空へと、庭へと、戻っていく、だがそこで止めた。これより先にいけば会ってしまう。


「ありがとう。正直なところ表彰を受けるよりもこっちを数多く貰った方が、私は嬉しいな」


「なにを言ってんの式に出ないと他のは没収だよ。ほら剥いてあげるから食べなよ、出所サービスだ」


 階段を降りながらもキルシュは器用に剥き出し身を一つジーナに差し出しそれは口の中に入る。記憶をどうにか止めているというのに、その形であの日を、その手触りでその時を、その味で……


「これは甘くて旨いな」


 味の違いで辛うじて止まったもののそれでも匂いは同じであるために、さざ波のように記憶が押し寄せては引き、引いては押し寄せてきていた。


「あたしが剥いてあげていることもあるだろうからね。もっともあんたさんはあたし以外の人に剥いて貰いたいんだろうけどさ」


 防ぎようもなく不意打ちにそれは、きた。眼の前はあの龍の館の芝生となり木陰の岩の上に座り、左側にいるのは当然に……


「なに泣いてるのジーナ隊長?」


 言われてジーナは顔を拭うと指先が湿っていた。


「汁が目に入ったかもしれないな」


「あっそう悪いね私の剥いたのが入っちゃって。ああそうだところでジーナ隊長はこれから身だしなみを整えるんだけど、さっきも調べたんだけどジーナ隊長の正装って臭いがついちゃってるからさ、ちょっと香りをつけてみない?」


 ジーナはもうひとつ口の中に入れながらその提案に無思考なまま頷いた。

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