第147話 御詫び状の作りなさい

 シオンのかき消すための叫び声がジーナの咆え声にぶつかり両方が消し飛び、歪な空間に残るは耳鳴りのみ。


「反省というものはこれからのことを考えることによってはじめて反省になるのです。ただ僕は悪いことをしました、ではそれはただの謝罪であり何も生まれず未来は望めません。加えなくてはなりません、反省しています以後気を付けますと。これがないというのならそんな反省は、いかさまです」


 中々いうじゃないか私もと満足しながらシオンは神妙な表情となっているジーナを見ながら考える。


 良い調子だ。このままあと一手で詰みとなりひとつの関門が突破できる。それはつまり私はこの龍の御軍最強の戦士に勝つということだ。


「私はあなたのことを誠実な男であると見ております」


 心底にもない事こそ自信を持って言えるものだなとシオンの冷静な心は自分に感心していた。


 顔色一つ変えずにジーナはシオンを見る。そんな攻撃はなんでもないというように。


「あなたは不誠実な男でしょうか?」


 そんな男ですよねぇとシ内心で笑いながらシオンは真剣を装って尋ねる。


 ここでもジーナは耐えている、お前に何を言われても構わないというように。ならばとシオンは一間合いを置いて沈黙をその空間に生まれさせる。


 その歪んだ空間で残響が痛いぐらいに耳を突いてくることを二人は感じていた。


 これをあなたは耐えられるだろうとシオンは分かっている。私の言葉などこの男には何の価値もない。あるのは次の言葉であり、この男に必要なのはこれなのだ。


「ヘイム様は誠実な男だとは見ていますよ」


 沈黙からのその一言は囁きであっても避けようがないぐらいに耳には行って行き心に浸み込んでいく。


 それは堪えていた門の閂にひびが入ったようにここにおいてジーナの表情に暗いものが現れ、視線どころか顔を逸らそうとするもシオンが両手で抑え、止まらせる。


「もしもヘイム様がその不義理について心を深く傷ついているとしたら、どう思いますか?」


 抑えた顔が完全停止の後に震えがきたことがシオンの両手に伝わってきた。痛みすら感じるその体温。


「そんなのは嘘だ」と咆えもせず叫びもせず囁きもせず呟きすらジーナはしてもいないのにシオンにはその言葉が伝わり、そして他の何よりも胸を締め付けに伝わって来る痛みに甘美さと快感が同居していた。


「嘘だと聞こえましたがどうして嘘とでも? あなたは会わせる顔がないほどの不義理をしたというのなら、その相手がその不義理に怒ったり哀しんだり不快であったりすると考えるのが普通ですよね? それともあなたはそういうことをしてもあの人はそんな感情を抱かないとでも思っていたりするのですか?」


 ジーナの顔に差す影がより濃くより広がっていく。伝わってくる感情の動揺、そうだそれでいい、お前はヘイムについてで苦しむのが、筋だ。筋を通してもらおう。


「龍だから問題は無いと? 龍身様ならあれぐらいおゆるしになるだろう、と? いつもあれほど不信仰アピールをし今もそうやっている癖に、やっていることは信徒なんか眼じゃないくらいの甘ったれに依存。あなたこそヘイム様を龍だと誰よりも意識していません?」


 彼の顔を差す影はもう覆うところが無いほどに顔を暗くさせている。


 掌に伝わっていた震えも熱もなく冷えて停止し、生気というものが失われている。


 この死に近きものにシオンはもし自分がいまこの手を離したらどうなるのだろうか、と好奇心が湧いてきた。


 言い逃れから生まれたその罪悪感。やっと気づいた己の罪深さ。こうやって認識させておいて、では、というように手を離して笑顔で、こんなことを言いましたがやはりあなたは来ない方が良い、あなたは正しいですよごめんあそばせと背を向けて去ったのなら、彼は自覚した罪を抱えて生きていくこととなる。


 不義理な辞め方をしハイネを誘惑し言い訳でヘイム様を持ち出す男にはこれぐらいのことをしてしかるべきであり、これでいいのかもしれない。ここでこうやってこの男はこうして乾いていかせるのも、いいでしょう。私には何も関係は無いし。


 シオンは黒くなったジーナを見ながらそう思うも正気に戻った。


 おっと危ない魔が差しそうだった。まぁこれでもヘイムのお気に入りだし要の戦力でもありますし使える男であるし、そのうえここで見捨て増々ハイネに依存されてもそれはそれで困る。


 今日のところはこれぐらいにしてあまり突き放さず終わらせず、ここを到着点としましょう、とシオンは再考す。


 この男の様子を見るに罪深さを覚えていると思われる、よってこれは最低限の誠実さを持っていると判断します。


 途中まで論理的に詰めて行こうとしたが、こうなると情に訴えが最も効果的だとみて流れを変えてみたら、これ。


 そうならばここで導き出される筋道は……シオンはジーナの顔というか首を二度三度揺さぶり、告げる。


「もしもあなたがヘイムを龍としてでなく人として見ているのなら罪滅ぼしをしなさい」


 そう言うとジーナの顔から影が去り始めそれと共に掌に震えが一つ温もりが感じ出した。


「あなたにとって戦勲が無意味だと言うのならそれは好きにしなさい。龍のための戦いで感謝をされたくはないのなら、気に食いませんがいいでしょう。けれどもヘイムに対して良心が痛みというのなら……あれはそのための儀式だと思いなさい」


 今や完全にジーナの顔からは影が消え去り残るのは陰気でありながらも命を感じられるものの顔がそこに、その瞳には柔らかな光が宿っていた。


「ここで字を習い手紙を書いたことは、このことを成す為であったと考えるのも良いですね。何故なら幾多の偶然の積み重ねによって私がここに導かれこうしてあなたに大切なことを伝えることができたのですから。こうなったら、あとはあなたの決心です」


 ジーナは、立ち上がった。ただし頬に当てられたシオンのその両手を離さぬようにしながらゆっくりとだが立ち、言った。


「分かった、やる」


 ようやく達成したせいかシオンの厳かに作られていた顔が崩れ内面をそのまま現す満面の笑みとなってしまった。


 陰謀が成功し邪悪な笑みであるはずなのにジーナの眼にはそんな風には見えずに自然な喜びで溢れているかのように。


 だがその笑顔はすぐに消えまた厳めしい表情にもどってしまった。


「では御詫び状の作りなさい。あなたは文面を考え下書きをしハイネに見てもらいなさい。その際に集中ができるようにハイネの授業は削ります」


 授業を削る、と告げられたことにシオンは今度は喜びを内側に留めジーナの顔に動揺が広がったのを見て感情が震えとなって外に漏れた。


 この一石二鳥の戦果、ああ豆を食べ過ぎて良かった、とシオンは自らの過失を完全に前向きに捉えることに成功した。


 一方でジーナは授業が削られるということはこの恐ろしい量の宿題を消化しなくて済むし、ハイネと会う時間が少なくなることにどこかほっとしている部分もあった。


「そうだ。大事なことを言いますけど、書いたからといってヘイム様が受け取るかは限りません。また文面が良くないために謝罪を受け入れないとしたら、あなたは表彰式に出られません。どうするのかの決定権はこちら側にあります。よろしいですね」


 よろしいもなにもそうしろという命令であったもののジーナは了解の返事をし、完了する。


 シオンはここでようやく両手を頬から離すとその外気の冷たさを掌にて感じた。この男はそんなに今熱くなっていたのか? と不思議な気分でいるとジーナの右手が伸びて来てシオンの右手の前にきた。


 するとシオンは何のためらいもなくその手に自らの右手を伸ばし、同時に握った。


「今度は間違えてはいません」


 硬い掌であるのに力加減が柔らかいジーナの握手に微笑みながらシオンが答えた。


「それでこれはどういう意味でのことで」

「感謝というのはどうでしょう」

「される筋合いはありませんけど、受け取っておきます。式は明後日ですから明日中に手紙を届けます。これ以上ここでこんなことをしている場合でもありませんから私は去りますよ。ではまた同じ時間に」


 シオンは手を離し扉へと向かって行く途中でジーナが呼びかける。


「シオン、次はその、気配や足音を消して近寄らないで貰いたいのだが」


「何を言っているのですか?次こそは気づいて見せると見栄を張ったらどうです情けない。あの際の失態は二重ですからね。次こそは防いでみせるように」


 扉を開けシオンが出ていくその音、うるさいぐらいの全ての音がジーナの耳へと入ってくるなかで疑問を抱いた。


「二重の失態ってなんだ?」


 だがそれに答える声はどこからもこなかった。

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