第110話 『知り、そして、死ぬ』

「薬草というものはこーんなに軽いのに値段が高いのが実に素晴らしい」


 というアリバの口癖を脳内で再生させながらジュシは薬草が入った薬箱の中にいる。


 彼は元々薬商であったものの武器も一緒にしたら売れるのではないかという、奇妙な組み合わせではじめたらこれが大当たりし、一財産を築いたうちのボス。


「商人たるもの客の需要をただ供給するのではなく、客が気付いていない需要を発見しそれを示すことが大事なんだぞ。わしの場合はそれが武器と薬の組み合わせだったわけだ」


 その教えを耳にしこれまでずっと彼の下で学び続けてきた。ゆくゆくは東の国で店をもつのだが、それは自分であるのか?


 時に頭の中でその思考が蠢くとジュシは頭を振りながらあの日の夕陽を心の中で照らす。お前はもうあれではないのである、と。


 追放された時に、いや印が現れなかった時、自分は死んだのだと。ここにいるのは死体であり生まれ変わったもの。


 そう思っていた。思い込もうと努力し続けた三年だった。だが山を登ると聞き決心した途端に足があの時の足取りとなり、剣があの頃と同じように握り、声もまたあの頃に戻った。


 戻りたいということなのか? ではいったいに何に戻りたいというのか?


 もはや回復できる人間関係でなく継承できる資格のない自分は何を求めているのか? 再び無意味な問答が頭を支配したためにジュシは頭を回すも一緒に回るばかりで消えはしなかった。


 そんな救われ難い望みを抱いていては……救われ難いどころか救われないというのは望みではなく、自分なのではないか?


 この世界で自分が生きられるところを探している時点の自分なのでは? また冷たいものが全身を覆いそれから自嘲する。なるほど呪われている、と。呪われた身どころか心も、そうだと。


 山道を登る車を押される揺れの中でジュシは呼吸をする。薬草の臭いに包まれているというに鼻に入るのは山の香り、故郷の匂いであった。


 入口からここまでの時間からジュシにはいまいる地点がどこかがなんとなく分かっていた。思い浮かべればそれから甦る記憶も自然に脳裏をかすめ、否応なしに声から姿、自分のその頃の心すら胸に湧き、かきむしり血を流させる。


 その黒き血を。露出する臓腑から流れ出す血より濃き呪い。だから暗く熱した思いが漏れだす。


 俺はどうして後継者になれなかったのだろうか? 印が現れなかったのだろうか?


 もはや防ぐ皮膚も肉もなくジュシはそのことを、最も肝心なことをまた性懲りもなく考え始める。


 何かが足りなかった? そういうことではない。だが、そういうことだ。選ばれなかった、この一点だ。


 だが他に誰がいた? みんないなかったではないか。俺よりも強いものはどこにもいなかった。ただ一人を除いて、あれ以外は……何故認めない?


 同じところを延々と回転し続ける思考の玉が外に弾きだされ、転がり出した。かつてここに意識が跳んだ記憶はないというのに。


 これは危険なところへと向かっているとジュシには分かっていた。一つの思考の枠の中で回り続けていたのは、ここに飛ばさせないためだったのかもしれない。


 そうであれば自分は永遠に悩み続けあの日からあの夕陽から停止しもしかしたらの可能性を維持できる、が。


 認めないというのはつまりは……認めなければ元に戻れるかもと。いつの日にか元に戻れると。あれは誤りだったとなる日が来ると。


 ジュシは笑おうとしたが口角が上がり声を上げようとするも、何も出なかった。闇の中で見えない笑顔のままジュシは笑う。


 ジュシにはいまの自分の笑顔がどうしてか見えた。そのうえで誰も話しかけていないのに声が聞こえ、語りかけて来る。耳を塞ぐ術もなく、押し込まれる。


 認めるということもまた自分の生きようとしていた世界の消滅だ。どのみちお前は戻れない。拒絶され野垂れ死にした、それがお前だ。


 誰もお前が生きているとは思っちゃいない。いわばこの箱は柩でありお前は死人らしくこの中に入ったまま故郷へと帰る。


 だからこれはお前の葬送であり最後の確認だ。もうここはお前のいる世界でないということを、知るためのな。


 お前は、との声に合わせてジュシは声を出した。お前は、俺は、この地で死ぬ。


 肉体は死なずとも名と存在が消えたことを知る。知り、そして、死ぬ。柩もまた拒絶され遠い地において埋葬される。


 ここ以外の世界であるのなら、それはどこでもよい。どこへでも行き何にでもなればいい。

だけど、とジュシはここでまた声を出した。


「俺が望んでいたのはこの地と印だった。それ以外にはなにもない」


 声が止み再び揺れと車輪の音が耳に甦って来る。ジュシはもう何も考えず心には静寂がおり、限りない無に近かった。


 無意識に目を拭う。指先が濡れた感覚があるも、それが何を意味するのかすら考えずに音だけに耳を澄ませて聞く。


 匂い同様に全ては知っている音。風に揺られる木々のせせらぎに季節の虫の声、ここにもしも故郷の声が聞こえたら、何もかもが満ち満ちているはず……異音だが知っている音がした。


 異臭であり知っている臭いがする。


 それが何かであるのかは思い出すことも考えることも躊躇うこともなくジュシには分かった。


 柩じみた箱の蓋を中からあけて立ち上がりアルバ並びに皆が驚いているなかでジュシは無視し森の中を目を凝らして、見た。やはりそうであった。


「アリバさん! もう少し登れば中間の広場になります。そこまで全力で走って!」


「おっおいお前が出てきちゃ駄目なんだぞ!」


「今はそんなことを言っている場合ではない。出てくるんだ怪物が、龍が、こちらに!」


 ジュシの言葉にアリバは迫りくる危機を悟ったのか、一度震えてから、大声をあげた。


「全力疾走だ!もたもたするな速く走れ!」


 普段は絶対に客の前以外では走らないアリバが走る。遅くても懸命に走る、誰にも追い越せないぐらいに。


 その間ジュシは鼻を嗅ぎ耳を澄ませる。奴らの音と臭いを捕えるために。しかし走っている間にその二つを捕えることができずにアリバの行商隊は広場に辿り着き身を寄せ合い臨戦態勢をとるも、辺りには変わらぬ木々のせせらぎに虫の鳴き声。誰も口を利かずにいる緊張感の中でジュシの気は高揚すると同時に、陶酔感にも似た安らぎを覚えていた。


 ここにこの山に立っている。立ちそして対峙している。敵を、龍と、それは自分の運命と。


 久しく忘れていた五感が研ぎ澄まされているのが自分自身でもわかっていた。それもあの頃よりもずっと強く激しく、鋭く。


「おい何も起こらんぞ。本当に例のあれがいるのか? だったらまだ来ないうちに村まで走った方が」


 恐慌に駆られたアリバの訴えをジュシは退ける。


「待ち合わせ場所はこの広場でしたよね? この広場というのは龍を迎撃するための地点でもあります。視界を広げ見通しが良い様に伐採したここにいれば四方から龍の動きを伺える。奴らはアリバさんのような考えによる動きを狙っているのです。そう、迎撃態勢が崩れ狭い林道に入っていくのを」


 ジュシの言葉にアリバは唸るも改めて四方を見るもやはり敵の影は見えず聞こえず感じず。

アリバは自分の勘の強さに自信があったが今はその自信が揺らいでいた。


 もっともそんな化け物退治なんてしたこともなくそれ用の勘などは持ち合わせていないだけかもしれない。


「待ち合わせの時刻まではもう少しだから迎えの村人たちが来たら助かるのか?」


 荷持ちや傭兵として雇われた男たちが不安の声が上がるがジュシはそれを掻き消すほどの大声をあげた。


「村のものたちが来たら確実に助かる。彼らは龍を討つことを使命とするものたちだ。眷属程度ならわけなく征伐できる」


 納得の声が漏れ聞こえ各々が臨戦態勢のまま待機し続ける。ほんの少しの時だというのに、何倍も何十倍もの時間の圧力が加わり、疲労感が増していくがそれでもジュシは構えを微塵たりとも崩さなかった。


「本当にいるとしたら龍って怪物はこんなに知恵が回るのかよ。獣には思えないぜ」


 誰かの悲鳴に近い言葉にはじめてジュシは同感する。そうだあれは獣らしくはない。


 山から降りあちこちの地で獣と戦う時もあったが龍に似たものはどこにもいなかった。


 無論あれは人ではなく獣ではないとしたら、なにであるのか? そうなるとあれは東の地で信仰されているように……人智を超えたなにかなのでは?


「高度な知能は持っていると思う。我々が狙われているのはこの荷物が原因かと。これには龍を狩り討つための武器が詰め込まれていますからね」


「そんな馬鹿な! やつらはこれの中身が何であるのか分かるのか?」


「そうでもなければ龍は山を登るものなど相手にはしない。腹が減ったから襲うといった獣らしさはこいつらにはない。目的がありそのために眷属を用いて戦うのが龍なのです。それでも今回の龍はかなり頭がキレると思えますね。我々の雰囲気と荷物からこれは自分たちにとっての危険なものを運んでいると認識しているところが」


 荷車を前にし円陣を組みながらアリバ商隊は逃げ出したくなる恐怖に耐えながらなんとか士気を維持していた。


「あと何分ぐらいですか!?」


「まだ構えてからちょっとしかたってないぞ」


 恐怖が広がる前にジュシはまた声をあげる。


「先手を取って構えた我々が圧倒的に有利なのはいまも変わらない。時間が経てば経つほどこちらが有利となり向うが劣勢となるんだ。やつらは攻めあぐね追い詰められている。我々が痺れを切らすことは絶対になく痺れを切らすのは向うだ。だから堪えてくれ」


 そう敵はこちらの臨戦態勢によって劣勢の淵に立たされている。武器は回収したいものの撤退をするかどうか。


 しないというのなら、一か八かの賭けに出るか……ジュシが呼吸をすると微風に乗ったのか違うものが鼻に入ってきた。臭いが変わった


「来るぞ!!」


 その絶叫と共に大型の蛇と思わせるものたちが一斉に円陣に飛び込んでくるも、動きを目で捉えていたジュシが剣を一度二度三度振るうと斬り裂かれた龍が血飛沫と共に宙を舞い地面に落下した。


 三匹を自分に向けて一斉に攻撃させるとは、やはり知恵が回る、今までにない龍だというのか? 背中で雄叫びと悲鳴が起こるも、まだ崩れてはいない


「やっやった! だがなんだよこの生き物!?こんなデカい蛇なんか見たことがねぇぞ!」


「それが龍の眷属だ! どうだみんな無事か!」


 ジュシは左右を見ると両方とも崩れてはいないし今の襲撃で腹が据わったようにも見えた。


「どうだジュシ! これでおしまいか!?」


 アリバの願い事じみた声と言葉をジュシは打ち消した。


「これで終わりとはとても思えないです。今のはいわば威力偵察でこちらの円陣の厚さを図ったのでしょう。どこが強くてどこが弱いのかを」


「馬鹿なそこまで知恵があるというのか!」


「あると見た方が良い。複数の眷属が同時にこっちにかかってきたぐらいには集合知があるということだ。だからアリバさんのカバーを頼む」


 足元に転がってたその龍の眷属たちの残骸を見おろしながらジュシは思う。このサイズは初期の初期段階に出て来る連中か。ならば本命の龍が出て来るのはまだ先になるということで……音が耳に入る、それは第二波? 何故か分かる、と感じながらジュシは叫んだ。


「構えろ! 次が来るぞ」


 予想通り集中させてきたとジュシは自分の方に大量の眷属が跳びかかってきたときに確信した。


 再び剣を振れば斬り伏せるも身動きはとれなくなる防戦一方であるも負ける気がしないと薙ぎ払うように眷属を斬っていくも、背中のほうから断末魔に似た声が聞こえてきた。


「助けてくれージューシ―!」


 振り返ると中サイズの眷属の手によってアリバが掴まり呑み込まれそうになっていた。


 だがまだ纏わりつこうとしている眷属によってジュシはその場から跳ぶことができない。このタイミングでそのサイズのがだと? そんな例は今までなかったぞ!


 混乱と焦りのなかでジュシはアアリバの悲鳴と助けようとするも蹴散らされる仲間の声で頭の中は満たされるも、自分のみを守ることで精一杯のなかで、思う。ここでもしあれがいたら、と。しかしそれと同時にこうも思う。


 自分があれであったら……ジュシは剣で以って大きな弧を描かせその勢いで以って跳ぶ。


 我が身を宙に放ちながらアルバのもとへ行く途中で、辺りが金色に包まれ、一切が停止する。


 その金色の輝きは人をも眷属をも龍をも動きを封じる光。


 光の中で小さく細い音が鳴り眷属の首がまず地に落ち、続いて血があたりに降り注ぐその景色のなかを一人の女が血を跳ね返しながら地に落ちて来る。


 その背に翼を有し天からここに降臨をするように。地上に足を着けると残っていた眷属らは一斉に撤退をしだした。


 ジュシはその逃げ去る音を耳に入れるものの意識はそちらには向かわずに、その女に向け、自分がいつ着地したのかも分からぬほどに大地に立ち、どちらが先に近づいたのか分からぬほどに意識が飛び、いつ自分の首にその剣が突き付けられたのかを気づかないほどにジュシは女の顔を見続けていた。

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