第103話 『認めるのは岩ではなく、しゃれこうべ』

 一面の砂の海である。地平線の彼方まで広がる砂、砂、砂の三千世界。


 太陽が爛々と輝くその下では生きとし生けるものはどこにも姿を現さず、かろうじてわずかにいるそれらは岩陰の下でその身を隠しているのだろう。


 砂の海を支配する太陽の陽射しはどれだけ激しく厳しかろうが音は出さずにただ照り付けるのみであり、その渇ききった海は静寂そのものであった。


 ときたま吹く風によって流れる砂の音だけが微かに聞こえるそんな世界の中で彼方より音が衝撃波のように四方八方に広がり向かってくる。


 砂を踏み駆ける音、砂を滑りまた回転する車輪の音。それはこの粛清ともいえる苛烈な光の世界ではまず聞こえるはずのない、命の音でありそれはまた意思と情熱の音でもあり、命を絶やそうとするこの世界への挑戦でもあった。


 砂馬が幌付きの車を引く。一頭二頭三頭四頭。四つの荷車が砂の海を泳ぐように引きずられていく。


 先頭の車のカーテンが引かれ髭まみれの中年男が顔を出し、叫ぶ。


「ジュシ! 岩だ! 来る時に岩があったが、あの岩には見覚えはあるか!」


 ジュシと呼ばれた男は日に焼けきった顔を出し笑いしながら大声を出した。


「ありますよ! 俺そっくりの岩だと言いながらアリバさんが笑いましたよね。だから覚えていますよ、あれです。あれ、間違いない。俺は見間違えない」


「お前は全然似ていないと言っていたのに分かるのか!」


「分かります。でもやっぱり似ていませんよ。でもこれは俺の責任ではないです。岩が似ていないのが悪いんですから。ですが、これでもう大丈夫ですね」


 するとアリバは笑い出しジュシも負けじと大きく笑い出した。


「あれは出発して二日目に見たものに違いないな。手帳にだって書いてある。しかし、あれはわしの幻覚とかじゃないよな」


 アリバは手帳を開いて見せたがジュシはすまなそうに頭を下げた。


「申し訳ありませんが俺はまだ東の字は読めないもので」


「ああそうだったな。まだ教えとらんかった。熱すぎて頭がぼうっとしちまったが、あの岩がそうだとしたらわしらの勝ちだ。今度も勝ちだ!」


 祝杯のようにアルバは水筒を手にとり口をつけながら天を仰ごうとしたが、首が踏み止まったのかまるで上がらずに一口だけ呑んだ。


「あぶねぇあぶねぇ。そうだここで油断しちゃいけねぇな。家に帰るまでが、遠足ってやつだ。明日には入り口付近で待機している手下たちに会えるはずだ。そうしたらいくらでも水は飲めるが、あの岩が幻だという可能性はあるからおちおちと水だって飲めねぇ。この前も集団幻覚を見ちまって危なかったからな。あれが噂の蜃気楼ってやつよな。よし、ひとつ確かめてみるか。おいジュシ、降りろ。俺と調べるぞ」


 アリバは先頭の砂馬を止めると後続の砂馬も止まりだし幌のカーテンが一斉に開かれ一同は急に降りだした二人を注視する。


 靴の底から伝わる灼熱の砂はさながら熱湯のであり、熱海とも呼べるその中を二人はまるで沈まぬように岩に近づきながら心から願う。どうか幻でないようにと。


 近づけば近づくほど岩は近くになり決して遠ざからずにこちらに近づき、こちらも近づいて行くという、自然及び摂理通りの現実を噛みしめ安堵しながら確かめながら、二人は岩に手を触れ同時に歓声を上げた。


 この岩は存在する。そして例のあの岩と同じものであったと。たしかにこれは存在している。馬車のものたちにもようやくその歓声の意味が通じたのか不明だが騒ぎだし喜びの声が上がる。


 そんな喜びの声の中でジュシとアリバは目を丸くして足元を見ていた。


「わっ! しゃれこうべか。岩陰で休んでいたら逝っちまったのかな。哀れだなどうも」


「服装からするとこっちのじゃない。向うから来たのですかね」


「おっ確かにそうだな。そうなるとこれは相当に惜しかったな。あともう少しでゴールだってのによ。最高記録かもしれんが、死んじまったら元も子もないな。無駄ってわけだ」


 アリバが淡々とそう語って終わりにしそうとすると、ジュシが否定した。


「俺はそう思いません」


 珍しい声が出たなとアリバは驚いた。


「彼はここまで来た。砂漠の海を歩いてでも渡らねばならない理由があったのでしょう。そしてここまできて倒れた。それはそのままそこに価値があると俺は思います。彼は命を賭けてここまで歩いてきた。俺はそれをそのまま受け止めます」


「無意味な感傷だなどうも。辿り着かなきゃしょうがないだろ。まぁなんだっていい。わしにはそんなしゃれこうべよりも位置を示してくれるこの岩の方が遥かに価値があるものだ。道標といっていいしなにか名前を付けてやりたいぐらいだ」


「アリバさんは名づけるのがお好きですからね。では何と名付けられます?」


 そうだなとアリバは思案顔となるも、それは振りであり名はもうはじめから決まっていた。


「お前の名前を取ってジュシ岩としよう。別に良いだろ? お前が認知したのだしな」


 別に反論するわけでもなくジュシは微笑ながら岩を見た。


「名はアリバさんがつけたものだからどうこう言いません。ただ私が似ていると認めるのは岩ではなく、こちらのしゃれこうべかもしれませんね」


 ジュシが語るやいなや、しゃれこうべは風に吹かれ少し転がった。名もないそれは音もたてることも無かった。

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