第90話 あいつは変わりだしている
「敵は野戦に打って出るほどの戦力が無かったということだったのですね」
戦闘が勝利で終わった後にいつもの会議室にてルーゲンが筆を手に質問をするとバルツは憂鬱そうに答えた。
「内部では延々と議論が続いていたようだが、結局主力を後方に脱出させたようだから主力との正面衝突は起こらずに済んだといえるな」
ソグ砦攻略戦は門を破り両軍激突かと思われたが、そのようなことは起こらず抵抗はその後は僅かであった。
早々に正面門を突破されたことにより守備兵の士気が地に落ち残った司令部も迷いながらも早目に投了し、ソグ砦を巡る戦いは短時間で終わった。
「今回の戦いの重要点は二点。一つ目はまず天気が変わらずに豪雪にならなかったこと。我々のこの度の戦いは行軍中からはじまったといっても過言ではなく、時には少し強くなった瞬間に不安となり途中で引き返す可能性は大いにあった。これは大いなる賭けであった。しかし信じ抜くことでようやく砦前方に到着した時は、我々はまず雪を超越し砦の敵たちにとってはその段階でもう完全な奇襲状態となり、主力を後方に移すという手段を選ばせることに成功したといっていい。この全ては龍身様の祈りの力であり、勝利にお導き下さったのはひとえに」
感じ入りだしたバルツをルーゲンは鷹揚に頷きながら制する。
「そのお心はたいへんに尊いものですが、いまは戦闘経緯をまとめている最中ですので後ほどに。それと龍身様を功績第一位にすると後の戦功受勲の際にややこしいことになりますが」
「俺の気持ちとしてはそうだが、もう一点あるから兵隊の間ではそちらが功績第一となるな。敵の守備兵も当てにしていた豪雪による防御効果が失われてもまだ心の支えとしていたのは、正面門の櫓だ。あれは我々は以前の印象で一つと思い込んでいたが、三つあったのだ」
「三つ? そんな事前の偵察の際でもそのような報告はありませんでしたよ」
「タイミングがずれたようだな。以前からその計画があったようでな。雪が少なかったのでその隙に増設したとのことだ。正面の櫓による防御を三倍に増やし正面左右から来る敵を矢達磨状態にし怯んだタイミングに合わせて開門し主力を突撃させる。劣勢となった彼らが取れる唯一の方法であり、これが行われていたら犠牲者は数倍になり負けた可能性があったな。左右の櫓の左は終わり間際で落ち右は最後まで落とせず、中央隊の犠牲者はここからの攻撃で発生している」
すると、とルーゲンはバルツを真っ直ぐ見据えてから聞いた。
「ということは正面三櫓の攻略が実戦の帰趨を決したわけですね」
「そういってもいい。イの一番に頼りの櫓が早々に制圧された。これで内部の議論も決着がついたのもかしれんな。俺も突撃命令を出すタイミングでは悩んだものだ。開門からの野戦は恐ろしい、だが正面櫓が制圧されていないのに突撃させるのか? と。兵隊だって矢が来るのが分かっていながら突撃するのも士気低下は避けられない。制圧はまだかまだかと焦ったが、三つもあったのじゃすぐには不可能だ。しかし、彼らはそれをやってのけた」
そう語るバルツの憂鬱な表情のなかに喜色が浮かびすぐに消えた。
「敵が一番頼りにしていたものを最初に倒し、その後の挽回を不可能なものにさせた……ここが戦功第一確実でしょうが、その部隊というのはやはり二番隊で」
「そうだ。戦功筆頭は一番乗りも合わせて二番隊となる。戦傷者を最も出たのが二番隊だ。敵の数を考えたらよく落せたものだと驚くばかりだ」
バルツは瞼を閉じると陥落後の報告を思い出す。各隊の隊長が戦功報告を誇大に伝えてくる中、もっともそれについてバルツは罪だとは思っていない。
その高揚感は自分も若い頃はあり、それが普通のことであるのだから。だがジーナが戦死者の名を先ず読み上げ謝罪しその一人一人の戦功を伝えてくるだけであり、バルツは口中に苦いものが込み上げてきて嘆息する。
「あいつは自分の功績を全然吹聴しないから困る。事務的に淡々と答えるだけだ。むしろ周りのものたちの話ばかりして明らかに自分の手柄を譲ったりする。そういうのも困るんだ」
「ジーナ君のことですね。彼と話していて不思議なのは彼は全く戦争の類いの話をしないのですよね。あれほどいつも誰よりも先に一番乗りをしようと命を賭けて頑張っているのに、それを自らの誇りにしようとはしないなんて、矛盾に満ちていて不思議ですね。それで現在彼はどこにいるのです?」
「あいつは前線の砦にいたいと言ってはいたがここに戻るように伝えた。龍の護衛の仕事もあるしな。こういう風に無理矢理に戻らせないとあいつは前線に付きっきりとなって受勲式にも出なくなると言うのは分かり切っているんだ。だが今回はいい加減に出るだろう」
その点だけは良いニュースだと言うようにバルツの相好は崩した。
「前回のは無理強いの果てに末席での参加すらしませんでしたからね。戦功は上げるけれども褒賞はなにも望まない。そんな夢みたいに理想な戦士を誰もが欲しいのですが現実に現れますと、それはそれで困った感が出ますね」
バルツは鼻で笑った。
「こうなりましたら勝手に賞与をつける他ありませんね。二番隊ではなく一番隊に引き揚げるのは?」
「それは政治的に無理だ。末尾の隊を二番隊に引き揚げる時だって相当に時間をかけ無茶をした。最終的な合意の一つに一番隊にしないこと、と条件の一つに署名させられている。俺的には実質的に一番隊であるのだがな」
「ならジーナ君を上の方に引き揚げるというのはどうでしょう?」
「それは考えている。あいつは学はないがそれほど頭が悪いわけでもないし根が粗野でもない。勉強をすれば上の仕事もできるようになるはずだ。だからいつまでも現場の隊長ではなく将来的にはこちら側の仕事もできるようになる、そんな風にしようかなとも思っていてな」
「副官は如何でしょうか? ずっとその役目は空位になっているわけですし」
バルツは軽く笑う、が決して侮蔑的なものではなかった。
「あんな不信仰者をか?なかなか面白い冗談だな。自分で言うのもなんだが、この稀代の篤信家ともいえるバルツの副官があの末世的な不信仰家だとはどんな組み合わせか? そんなことは許せるか? いいや許せない、だが、信仰に目覚めだしているというのなら、話は別だ」
激した口調によるオーバーアクションのあとにバルツの口調はしみじみと感じ入ったものへと落ち着いた。
「あいつは変わりだしている。信じられないぐらいに遅いが、俺から見ても変化が分かるぐらいに以前とは違っている。あの龍の護衛に任命する前後では如実に違う。まぁ当の本人はいつも変な理屈をつけて辞めたがっているが、そんなのは無視して龍の護衛の役目は可能な限り続けさせるのが良いと俺は思うが、ルーゲン師はどうだ?」
温和な表情で聞き続けていたルーゲンの顔が険しくなり素早くまた戻るその間をバルツは見逃した。
「僕は賛成ですよ。龍身様から特に苦情はございませんし、龍の騎士からも今までのように遠回しな交代の要求も届いてはおりません。彼が変わりだしているのと同時か不明ですが龍身様の心の状態も安定なさっておりますし、結果だけを見れば我々のあの判断はとても、良かったということですよ。しかしです。最近僕の耳に早く辞めさせてもらいたいという意見がよく入ってきます」
「そうか……そうか。いつかは交代しなければならないがそんな声が上がっているとしたら仕方がないな。あと一歩なんだ。もう一つ踏み出せればあいつも信仰に目覚めて救われるというのにな」
バルツが溜息をつくとルーゲンが続きを引きとった。
「まぁ0から1に移る際が最も肝心で困難ですからね。1となったらその先2や3は比較的簡単なのですけれど」
「その通りだ。まぁ物事というのはあと一歩の段階で立ち止まると、そこで延々と停滞しがちになるんだが、あいつにはそんなことはさせたくはない」
「信仰に目覚めさせてバルツ将軍の副官として後々は自分の跡目にでも」
二重の冗談にバルツは笑うが、その顔に不快さはなかった。
「前者だけで十分に奇跡的だが、俺としてもルーゲン師にしてもあんな不信仰者を敬虔たる信徒に変えてしまったら、それこそ十分すぎるほどの龍の信徒としての誇りとなるだろうな」
「そこまでお思いであられるのなら、彼がどのような地位についたとしても兼務すべきでしょう例えばバルツ殿の副官兼龍の護衛であるとか」
「忙しすぎて死んでしまうな」
「内勤で死んでしまう方を心配されるとか面白いですね」
二人は笑い合いそれからバルツが立ち上がる。もう行こうとしているのだ。
「あれもひょっとしたら心境が変わり何か望むものができたかもしれんからな。一度話を聞いてから、今後のことを伝えるとしよう。それからでも遅くはないだろう」
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