第88話  僕と君の目的は似ていますからね

 心の中で何かが次の言葉を止めようとしているのがハイネには分かった。


 だからはその止める何かを振り切ってたとえ散ろうと落ちようが心の中からまず叫ぼうとすると、その何かが手となり現実に現れ口を塞いできた。


「言ってはなりません」


 ルーゲンの細い指が唇と頬に食い込んで来た。


「言わんとすることは分かりますからご安心を」


 ならば私の見立ては真実でありこの人もまた私の味方となる人だ、とハイネは鼻に入って来る掌からにじむ汗の興奮している男特有の匂いを嗅ぎながら悟った。


 ルーゲンが掌を離すと同時にハイネは言葉をひとつ飛ばして会話を続けさせた。


「ルーゲン師のご推薦でしたが二人は離した方が良いかと思われます」


「ハイネ君が見てもそう思うのか?」


 思うどころかそれどころか、また下腹部に鈍い痛みが広がると共に確信する、それは絶対であると。


 祈りの回数を増やしたのもこの熱心さも、それは彼が前線にいるからだと考えたら……なんという堕落だ、とハイネの胸は黒い熱に満たされた。


 私だけの考えだと思っていたがルーゲン師もそう思うのなら、こちらに引き込めれば。唯一の救いはあの人の抵抗、その理由には多分……いや違う、間違いなく私への想いがあるはずだと。


「あの二人を至近距離で見ているのはごく少数ですが、私はそう見ます」


「しかしバザー後から龍化が進んでいることを考えるとそこが分からない。不信仰者にどうしてそんな祝福を」


「それは逆なのです。龍が、龍もまたそれに反対しているからこそ、龍化を進めているわけです」


 それはルーゲンにとって思い浮かぶはずのない発想であるために、一瞬理解に間を置き、それから声を出さずに笑った。


 その表情に浮かべるどこか崩れた笑みがハイネには心地良かった。きっと私も今似たような笑みを浮かべているはずだと。


「間違いが起こるかもしれないからと龍もまた力をお貸しくださっているわけか。なるほど、手を打たなければなりませんが、しかし彼を護衛から外すことは困難でしょう」


 ルーゲンはいつもの表情に戻りながらそう言うもそこには何か不自然さがあった。表情と言葉が一致していない、その合わなさによる奇妙さが矛盾がそこにあった。あの人と同じようななにかがそこにあり、分からない。


「護衛には任期があります。満期完了をしたならば彼は間違いなく役を降りますし、バルツ様とルーゲン師が後任を立てればそのまま交代となって」


「任期とはありますが一応といったものでして厳密なものではありません。それに現在は護衛は正式に龍の騎士の部下ということとなっていますのでシオン嬢が交代を要請するまでそのままでしょう。幸いといっていいでしょうが彼はシオン嬢ともうまくやっておられるようです。あんな堅物そうに見えまして意外と上手く人間関係が構築できるのが面白いですね」


 ルーゲンの口からジーナの肯定的な言葉を聞くとハイネは胸の奥が満たされていくのを感じた。


 複雑に絡み合ったために空が見えなくなっているのに、その時のみ雲が開けて青空が見えているように。一種の恍惚感の中にいると次の言葉が耳に入った。


「そして、ハイネ嬢とも良い仲になられるとは、誰も予想できませんでしたね」


 なんで突然自分の話?と固まりルーゲンは見るとその顔は微笑んでいた。どうして微笑むのか? いや私は話してなんかいない、がこの一連の態度が語っているも同然だとしても、それは


「違いますから」


「はい」


 ルーゲンがすんなり頷くも、信用ができなかった。


「私はそういうつもりなんかじゃありません」


「はい。分かっていますよ」


 いや分かっていないと、ふとジーナと会話する際との反対をしているようだとハイネは感じた。だからこの二人は仲が良いのかなと。


「ハイネ嬢は男友達のために頑張る、つまりはそういうことですよね」


 わざと微妙にずらしてもやもやとした気分にさせているのだとは分かっていたが、これに反対する論理もなく、というかばれているとしても認めるわけにもいかず、抵抗感を抱きながらもハイネはそちらを選んだ、つまりは名誉を選んだ。


「いちおう、そういうことです」


「良いお友達をお持ちでジーナ君は恵まれていますね。それで話を戻しますと、彼を護衛からどうにかして外そうと考えるのはむしろ遠回りですね。なんといっても彼は今度の戦いでもおそらくは戦功を立てるでしょうし、それならいっそ出世をさせるというのはどうでしょう? いまはなんとか可能ですが新しい役職では二足の草鞋が履けぬぐらい忙しくさせて護衛役を名ばかりのものとさせれば……」


 徐々に離していく、とルーゲンは言いたいのだろうかハイネはなるほどと頷くもどこか納得ができなかった。


 ルーゲン師は婿を目指しているのに、どうして二人を早急に離れさせようとしないのか?


 私だったら可能ならば今すぐにでも、と危機感を抱きこうして強く訴えているというのに。これではまるでそのままでいいとでも言っているようでもあるとハイネには感じられた。


「バルツ将軍も彼を上にあげたいと思っていましてね。そこに僕は協力しますので、ハイネ嬢もジーナ君に働きかけてください。親しい友達の出世は喜ばしいものですからね」


 何とも奇妙な言い方もあるものだなとハイネは苦笑いしたが同意する。


「ご相談に乗って下さりありがとうございます」


 ハイネがそういうとルーゲンが鷹揚に返した。


「なに、お礼は無用です。僕と君の目的は似ていますからね。共に連絡をとり協力しましょう。お互いの目標のために」


 そう言うルーゲンの微笑みはいつもと同じものであり、ひたすらに美しく、それだけであった。もう心が動かないな、とハイネは新しい感動を覚えた。

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