第70話 もう死ぬのか?

 ヘイムは未だ痛む胸の痛みをシオンに悟られぬように会話をするのがなかなかに辛いなと感じていた。


 もっともシオンはそういうところについては若干鈍いため、そこまで頑張らなくても気づかれなかったであろうが、それでも隠すための演技をしていた。


 その痛みに耐えながらヘイムは報告を待っていた。凶報を待っている。そのために何事もうわの空でありその一点のみを待ち続けていたが、昨日の午後の祈りの儀式の最中に鋭い痛みが胸に突き刺さるも、原因はすぐに分かった。あれであると。


 タイミングも図ったかのようにこの定例である龍への儀式の時であり、だから痛みは堪えられそのままやり終えることができ、シオンにもそのことを告げず察せられずにいられたと。


 その痛みは右胸の内側と少し妙な位置であるなと自らの姿を鏡に映しながらヘイムは思う。何処を狙ったのであろうか?それにもう一つ、よくそこを狙ってくれたと痣となり赤くなった箇所をさすった。


「帰って来るのは明日あたりですね。やはり力仕事は女官に任せづらいし明日戻ったらそのまま仕事をしてもらいましょう」


 何も知らずに呑気に語るシオンにヘイムは笑って返事をし待っている。痛みと共に待っていた。痛めば痛むほどにありがたみが増していく中で、やがてノックの後に扉が開き女官が報告書を手に訪れシオンが受け取るも、すぐには読まずに机の上において茶を入れ直した。違う、そうじゃないとヘイムは今度ばかりはシオンに教えた。


「報告書を読んではどうだ?」


「あとで読みますよ。どうせ前回のと前々回のと同様に、ススキ野原の描写がどう変わったといったところしか見どころがありませんもの。せめて書き手がハイネやキルシュならいいのに、よりによってつまらなく書いた業務報告を急いで見るのも」


「頼むから読んでくれ」


 ううん? とシオンはヘイムの顔を見ると真剣であり、変だなと思いながらも報告書に手を取り目を走らせると、たちまち目の動きが止まり顔色を曇らせる。ヘイムにとってそれだけで全てが理解でき十分であった。やはりそうなのであったと。


「どのような状態であるのか?」


 ヘイムの問いに思考中であったシオンは混乱し口が聞けずにいた。


「伏せず隠さなくてよい。そなたの部下が倒れた、そうであろうに」


 名を言わずにそう言うとシオンはようやく頷き文章を読み上げた。もちろん名を伏せたままで。


「捜索中に負傷し意識不明の状態のまま現在兵舎に移動中……」


「いかんな、あいつが帰ってきたら大掛かりな儀式の準備を任せようと思っておったのに。死んでは困るから兵舎にではなく龍の館に送るように伝えよ。あれは龍の護衛であるのだから教団側からも文句は来ないだろうし、きても無視すればいいだけのことだ、いいなシオン」


 その流れる言葉に乗ったシオンは混乱が収まりこれを了承し、急いで文書を作成しその場で女官に渡し茶を一口呑み嘆息をした。


「悪い予感が的中しました、というよりもいま思うと私の言葉のあれこれが前振りだったようで中々頭が痛くなりますね」


「気にし過ぎだ。まだ生きてはおるし館の医師がみてやればよくなるであろう。いまの妾らにはそれしかできんし、とりあえず茶を入れてくれ」


 暗い表情のシオンを横目にヘイムは思う。この胸の痛みがあればあるほどに、あれは生きていると、この痛みは死への抗いであると。


 明くる日の深夜にシオンが訪れ例のあれが到着したとのことでヘイムは制止を聞かずに、夜空のもとを歩き出した。


「容態はどう聞いた? どうだ? もう死ぬのか?」


 ヘイムが軽く聞くとシオンの顔は強張ったままであった。


「意識は一向に戻らずに悪化の一途を辿っているとのことです。ですがその、このままお帰りにはならずに」


「おっなんだ? さっきは止めたのに行けと? それとも妾が行かなくてはならぬ理由でも? 臨終に及んでの言葉でもかけねばならないのか? しかしそれはあの無信仰者には過剰な配慮ではないのか?」


 怒る反応を期待してヘイムはシオンに挑発気味の言葉を投げるも、まだその顔は緊張を含んだままであり、間をおいてから慎重に言葉を出すようであった。


「ヘイム様にどうしてもいらして貰いたいと言いまして……」


「誰が、だ? あれは口が利けるとでも言いうのか?」


 これには驚いたヘイムが尋ねると首を振ったシオンは言い難そうにその名を告げる。


「ハイネが、です。彼女はここまで彼をつきっきりで看護しておりまして」


 ヘイムは前を向いた歩き出した。


「ほぉたいした献身ぶりだ。ジーナも本望であろうよ」


「到着後に会いましたが泣き付かれてしまって……」


「ふぅん泣いておったのか?えっ?」


「そこまでは。まぁ疲れ切っておりどうかと訴えてきましたので」


 そうかと短く返事をしヘイムは星空のもと月の光りとシオンの介助を頼りに歩いていく。


 この時分では医師は十分な対応ができてはいないだろう。ただひとり頑張るとしたらハイネだけであり、その理由は何かなど考えることもなく、または自分にすがったという意味も、それがどんな意味であるのかを……ヘイムは夜の冷たさを吸い込みながら考え続けた。


 夜の闇に覆われた通路は次第に到着点に近づき医務室の前に立ちシオンがノックをし二人が入るもそこからは血や死の臭いはしなかった。


 焦燥感に満ちた臭いに汗の臭いや女の臭いとが混じり合い換気が必要であるとヘイムはまず思ったものの、出迎えたハイネの顔を見ると臭いなど何処か飛んで行った。


 青ざめやつれた様子のハイネをシオンは抱き寄せ休みなさいと伝えると首を振り二人を案内していった。


 奥のベットの脇に医師が困った顔をしながら敬礼をしヘイムとシオンに近寄っていく。


「外傷は見られずまた内出血もないのです。なんらかのショックによって意識を失い寝たきりなままなのですがどうなっているのやら。こんな奇妙なことは初めてです」


 すっかり匙を投げている医師の言葉にヘイムは右胸に激しい痛みを感じた。最初の一撃に次ぐ痛みに安堵感を覚えた。それを見たハイネが分からないものの何かに勘付いたのかヘイムに向かって伝えた。


「……同行した隊員の報告では発見された時の彼の右胸には短刀が刺さっていたそうですが、後にそれは幻のように消えてしまったとのことです」


 そうだろうなとヘイムは横を向くと、ハイネの視線は真っ直ぐ顔にではなく首下へ胸へと向いているのが分かると同時に、今までにない新たな鈍い痛みが例の痣から発生しだしていた。


 意識的にヘイムは右胸をさするとハイネが驚いた顔でヘイムの顔をやっと見ようとするもすぐにうつむいた。


「妾の護衛の看護に治療にあたってくれ皆ご苦労であった。ここまでやったのならこやつも満足すべきであろうが、こんな夜時分に妾がわざわざ呼ばれて来たからには最後は妾がおらねばならぬだろうに。それが龍身の務めでもある。だからしばしの間ここは妾ひとりに任せて皆のものは隣の休憩室あたりで休んでおれ」


 命令を前に医師は抗議もせずに龍の護衛の死の看取りと理解し退室をする。シオンはハイネの肩をとり寄り添うように部屋から連れ出していく。扉をあけ夜の風が急に吹きハイネの髪をなびかせ乱れさせると、そのまま反転しヘイムの方へと深々と頭を下げ、何かを呟きそれから部屋を出て行った。


 それに対してヘイムはどこか心地良さを感じていた。外の空気が勢いよく入ってきたからか、それとも本気のお辞儀を見たからか、もしくはそれがハイネだったからか。


 それはそうと答えを出さずにヘイムは扉に向かい部屋の鍵を掛け、それからベットに横たわるジーナの懐を開き右胸を露出させ自らも同じようにし、自らの右胸の痣の位置を確認しながら右手をジーナの右胸の上をなぞらせ、止めた。


 ここだ、と指先に精神を集中させ息を深く吸い、これから訪れるであろう痛みの予感に堪えながら一気に指を押し込むと、指先が滲みだし中に入りそれから指先が赤く染まり、ジーナの呻き声が来た。

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