第50話 なんでと言われましても、嫌なもの嫌なのです
やましいことなどしていないのにただ邪魔にならないために身を伏せているだけなのに、どうして自分は身を隠したのか?
見られたくなかったのがまず来て、それからヘイムの顔がきたのだが、その顔が何だというのか? ジーナは今の心を確かめた。このいまの気持ちを。そこには惨めさがありそれから胸の苛立ちを覚え認める。
いま自分の顔はその心をありありと映しだしているのだろうか? どういう表情なのかは分からないが、それをヘイムに見せたくは無くまた見られたくも無かった。
けれどもどうしてそう思うのか? それ以上考えたくはないと思い心を無にしようとすればするほどにジーナは苦しみが湧き上がって増殖していく感覚に襲われた。
「あのジーナさん」
いつの間に肩にハイネの手が置かれ隣を見ると心配している顔がそこにあった。
「大丈夫ですって。あのですね、あの、その、つまりは」
何が大丈夫でつまりとはなにか? 珍しく愚図ついているハイネを見ていると、上から声が被った。
「どこにいるかと探してみたら、二人とも隠れてなにをしているのですか?」
振り返るとシオンが立っており不審者を見る目付きで見下ろしている。
「覗いているわけでもなく怪しいことは何もしておりません」
「語るに落ちるとはまさにこのことですね。怪しいと自覚があるのならなぜ覗いているのですか? 堂々と見ればいいではありませんか。ほら立った立った」
二人は立ち上がりハイネもバツが悪そうであった。
「それにしてもハイネ、あなたはいったいなにをしているのですか? 仕事が終わって帰ったかと思えばこんなことをして。これはとても褒められた行動ではありませんよ」
「申し訳ありません。どうしてもお二人のご様子が気になりまして。ヘイム様がすごく珍しいご様子なので気になってしまって」
「……まぁその気持ちは分かりますけど、そうやった姿勢で覗き見るのはいけないことです。いくら珍しいとはいえ非常識で」
シオンも珍しい苛立たしげな態度であり文句を呟いていると向こうから二人が近づいてきた。しかしジーナは足を引きいつもよりも意識的に距離を置いた。いくらかでも遠ざかりたく。
「おっなんだなんだこんなに集まって。妾らの散歩を見る会でも発足したのか?」
ヘイムが一同を見渡しジーナの方に目を向けると口元を緩めて笑みを浮かべた。しかしそれは顔を伏せているジーナには見えずにハイネとシオンにしか見えなかった。
「ヘイム様、そろそろお時間のようですが」
「ああもうそんなに経ったのか早いな」
「楽しいと時間が過ぎるのが早く感じますよね」
ここぞとばかりに急いでハイネが合いの手をいれるとヘイムも乗る。
「それだそれだ。良いことを言うな。今日はちと講義の熱が高かったからな。そうだなルーゲン」
ヘイムにしては大きな声を出すとルーゲンが明るい声で答えた。
「はい。本日は史学メインでやらせていただきました。龍身様からも鋭い指摘が多くこちらの不勉強さを思い知り参りました」
「ハハッこうは言っておるが妾のことを小賢しい知識ばかり身に着けてやりにくくて仕方がないと思うておるぞ」
からかわれ慌てるルーゲンを皆が笑う中ジーナは今までにない居心地の悪さを感じていた。それが何であるのかを考えるよりもジーナは瞼を閉じず先に心も閉じる。
適切な態度であるとジーナは思った。いや、これでいい元々自分とはここではこういう風になるのが当然なのだと。その思いが通じているようにヘイムは全くジーナに反応すらしなかった。だからこれで良い。
「では次に行くとしようか。その前にあれだ、今日の午後の散策は中止にする。今のでなかなか歩いたからな」
ヘイムはシオンに向かってそう言ったつもりであったが、真っ先にジーナの耳が動きそれからハイネとルーゲンがそうですと声を合わせて賛成をする。
しかし当のシオンは眉間に皺を寄せてすぐには答えず、ややあってなら返事をする。
「雨が降ったら中止というのは分かりますが、疲れたからといってそう思い付きで予定を変えられるのは……時間的にも普段よりも歩いていませんよ」
「まぁそういう日もあっていいではないか。これでまた散策をしたら疲れ切ってしまうかもしれん。そうなったら面倒であろう」
シオンは不服気に息を漏らし諦めた様子であった。
「……かしこまりました、では戻りましょうか。ルーゲン師、ご苦労様でしたね。ではジーナ、戻りますよ」
シオンはヘイムの手を取り歩きだしジーナもあとに続くが、ルーゲンの方へ顔を向けて声を掛けての挨拶すらできずに俯いたままその脇を通り過ぎて行った。
もちろんハイネにも言葉を掛けずに歩いて行く。何たる醜態をとジーナは胸に黒いものを抱えながらこう思う他なかった。
だがそれでも今の表情を誰にも見せたくは無かった。そもそも自分の顔が今どうなっているのかは自分ではわからない。分かるとしたら他人の反応からだろう。シオンはこちらの表情を気にするわけがないだろうが、ハイネやルーゲンから読み取りたくは無く、ましてやあの人からは……それは絶対に嫌だとジーナは懸命に平常心を取り戻そうと更なる無心への徹底化を図るため何も考えないことを、考えることにした。
それから龍の間に入りシオンの指示のもといつもの儀式の準備を始めジーナはいつも以上に無心に動き目の端にすらヘイムが入らぬように仕事に徹した。
むしろ見ないと意識する方がより意識がそちらに行くものであるがジーナはその矛盾を乗り越えやり遂げることができ声すら聞こえぬように心を塞ぎ、こうしてヘイムが存在するのかすら分からないほどであった。
作業は終わりいつものように茶の用意をし出すも、ここでようやく三つカップを用意しなければならないと思考が元に戻りそして疑問が浮かぶ、ここまで考えない理由とはなんだろう?
可能な限り視界に入らぬよう茶をヘイムの前に置きそれからシオンに自分の席にと椅子を引き、多少でもまた距離を作りジーナは椅子に座り沈黙も降りた。
それからいつものようにジーナがいようといまいが構わぬ二人の会話がはじまったものの、いつものと比べ険悪なものを感じられた。
「あのようなことは次はおやめくださいね」
「あれはあれでいいであろうに。次もああしようかと思うておるが、嫌か?」
「はっきりと嫌と申し上げます。ああいうのはよくはありません、なんでと言われましても、嫌なもの嫌なのです」
「相変わらず急に予定に変更されると不機嫌になる癖が治らぬのだな。この後の散歩が無くなって不都合でもあるというのだろうか? いや、無い」
気のせいかその最後のほうでヘイムの声が大きく芝居っ気を含んだようにジーナには聞こえたが、反応せぬように瞼を強くつぶった。
「ありますよ。儀式の準備で疲れた頭を一新させるためにはお茶に散策が最適であり、それによって午後の活動の質を高める、この理想的な予定の順序を乱してしまわれては困ります。いつものようになさってください」
良いぞシオンとジーナは反射的に思った時、瞼が開き呼吸が止まった。なぜいまのシオンを応援するのか?
それは逆だというのに、あんな散歩など失われればいいとあれほどまでに思っていたのに。
「ちと早いが、来たな」
見るより先にまず耳に屋根にリズミカルに弾かれる雨音が聞こえ、それから窓の方を見ると暗い空の雰囲気のもと雨が降り出していた。
「なっ? 歩きながらの講義をやっといてよかったであろう?」
「結果論ですよ。だいたい雨なら雨で中止にすれば済む話です」
破れかぶれなことを返事をし雨脚が強まるにつれてシオンの不機嫌さは増していっているようであった。
いったいなにが彼女をここまでさせるのか?
それに比べ声の感じからするとヘイムはシオンをどこか挑発しているようにジーナには聞こえていた。
「ルーゲンも喜んでおったな。こういう形で講義ができて良かったと」
「あーそうですかーでは次回は座学にするようにしましょう。あの御仁は人当たりが良くて優しそうですが結構に我が強くて自分の意見を通したがるんですよね」
シオンは忌々しげに吐き捨てる。
「ほらみんな自分のことが好きなはずだから自分の意見をみんなが聞いてくれるはずだ、とか思ってそうなのが私はちょっとですねぇ。そこに傲慢さと図々しさを覚えます」
ぶつくさ言いながらいつもよりもずっと早いペースで茶を飲みジーナは茶を注ぐ回数が増えていた。そう動いていてもヘイムが自分の方を見ないことを気づいていた。まるで互いに見合わないことに同意しているように。
「……あーそういえば思い出したが、次の蛇の日はバザーであったな。調整は進んでおるのか?」
「思い出したって昨日もその話はしましたよ。ド忘れですか? はい調整は進んでおりますよ。お楽しみのお忍びお買い物イベントですからね。去年は戦争でそれどころでは無かったですが、今年は一段落がつきましたしもうなんの支障もないでしょう」
「反対は無かったのか? ほれこの間のように」
「そこを私は頑張りましたよ。あれは別に遊びではなく儀礼用のアイテムを買いに行くのだと。無論反対意見を徹底的にやりこめてきましたので文句はもうでないでしょう」
ふふんと鼻を鳴らしシオンは仰け反った。なんだか分からないがとにかくなにか凄いことをしたのだろうとジーナは判断し、それからヘイムの方を自然に視線が向くと、ここでまさか目が合ってしまった。
その瞳はいつもと同じであるのにジーナは驚きすぐに視線を逸らすものの、心臓は激しく鼓動し波打っていた。その不快さを打っている。その忌々しい響きに怒りを覚えながら。
「それなら良いが、まだ未決定のものを決めるとするか。まず未決定筆頭の妾の護衛は誰にするかだがルーゲンはどうだ?」
シオンは睨みヘイムは嘲笑っているかの顔で受けとめたとジーナには見えた。
「私を差し置いて彼を護衛にするなどやめてくださいよ。護衛は龍の騎士に任務だと決まっているじゃありませんか」
「だが龍の騎士様は同時に現場の総指揮官も担っているのではないか? 配置や報告や対応などをな。そちらをソグ教団側に任せるとするのか?」
「冗談じゃありません。彼らにその権を預けるぐらいならバザーになんか行きませんよ。この間もあちらからそういう提案がありましたが、今日改めて考えたところ、やはり断ることにします。この件は我々一同が責任を以て行います。もともと危険度は低いのですからそこまで大掛かりに行うこともないんですよ」
いつになく荒々しく自説を強引に通そうとするシオンにヘイムは態度を変えずに半ばふざけているような態度で反論する。
「妾はルーゲンと行きたかったのだがなぉ」
「だから駄目です。彼に任せるぐらいなら私がやりますよ。だいたいですね彼は僧兵としての棒術の腕はまぁ大したものがあります。私とそれほどの腕の差はありません。しかし、わざわざ彼でなければならない理由なんてないんですよ。おまけにあの見た目では女と間違えられる可能性もありますし、男と認識されても強いとは初見ではみなされません。悪い男が近づいて来ないかと心配ですよ」
「逆にシオンは女には見られないからルーゲンよりかは適任であるな。その点ルーゲンは髪が長いから不利だな」
「またそれですか! そんなことあるわけありません! ヘイム、あなたは片目になってから右目の視力がかなり落ちたのではありませんか? それともまた私に髪を伸ばせとという圧力でもかけているつもり? もう間に合いませんよ!」
「そうカッカするでない。どのみちシオンはお忍びの護衛には不向きだ。男装をしても少年っぽくなるし普通の服にして女に見られたら女の二人旅となっては危険が近寄って来よう。それは避けねばなるまいて」
なにかが近づいてくることをジーナは予感していた。それはヘイムが何処にこの話を持っていくかのことであり、そしてその狙いは……また顔をあげると今度はシオンと目が合い向こうは何かに驚きつつ自身の頭を指先で叩きだした。
「そういえばあなたがいましたね。話に夢中になって忘れていましたよ。それにしても今日は全然喋らないしどこか気配を消しているようでしたね」
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