第44話 奴隷の息子
広場では兵たちの掛け声が規則正しく反復されジーナもその中の一員として汗を流しながら大きな声を出し誰よりも早く木剣を振るっていた。
その日の午前はバルツ率いる龍の護軍の全体訓練であり同時に日頃の鍛錬を確認する試験でもあった。
バルツと数人の軍師が同席し各隊の動きについて論じあっているそのなかにはルーゲン師の姿もあった。彼はある隊に注目している。
それは第二隊であり通称ジーナ隊。番号順では二つ目と上位なのだが、その内容は辺境の異民族と元罪人を中心に構成されており、いわば寄せ集めの吹き溜まりであるにもかかわらず、バルツ直属の第一隊に引けを取らない動きを見せていた。
「いつもながらあの隊はおかしいですなぁ」
軍師の一人がこういうと他の軍師たちも頷きその発言を引き取る。
「やる気があるとはいえあそこまで動くとは。でもまぁそれは軍にとっては大きな力になるのですから問題はないが、おっすごい」
現在騎馬戦という隊同士で相手の旗を取り合う競技が行われジーナ隊は続けざまに勝っていた。
「いま取られたのは一番隊のだな。あっ今度は逆に取られたか。いやはやこの間まで末番の隊だったとはとても思えないな」
軍師一同が誉めそやすなかでジーナ隊に目もくれずに別のところを見ていたとある老軍師が吐き捨てるように言った。
「所詮は恩赦と恩賞が目当てな連中だ。シアフィル統一という大義に何の興味もない異分子どもがなんだと言うんだ! 次はもっともっと先の最前線に配置して早急に片付けるべきだ」
軍師たちはその暴言に眉をひそめるも誰も嗜めることができぬなかルーゲンが近づき、言った。
「それはいけません。彼らは我々となんら変わりなく龍のために戦う戦士達です。それを片付けるべきだなどとは、それをお聞きになられたら龍も悲しまれることでしょう」
「なんだと若造! わしを誰だと思ってるんだ。キサマみたいな奴隷のクソガキにつべこべ言われる筋合いなどない!」
空気が一変する冷たさが走り、ルーゲンが一歩前に出ようとするとその前に誰かが立った。
「叔父上」
バルツが現れ呼びかけると老軍師は驚き言葉を止めた。
「彼らもルーゲン師も俺の大事な戦友だ。そういうことは言わないでやってくれ、頼む」
注意された老軍師はぶつくさ何か文句を言いながら席を立ちその場を後にし、一同はそのことを忘れて訓練の続きを見続けた。
「先ほどは申し訳なかったな。一番隊にはあの人の孫がいるから頭に血が上ったんだろ。なにせもう老人で自制心が無くなっているんだ、勘弁してくれ」
全体訓練が終わり兵舎の最上階に行く間にバルツはルーゲンに謝罪をしていた。
「いえいえ構いません。あの御方の悪い癖は良く存じておりますのでそのことでいちいち怒っていましたらキリがありませんからね。僕も他の方々と同様にまたか……という態度を取ればよいのについ口を出してしまうのは若造ですね。助かりました。そこだけはあの御方の言う通りだったでしょうね」
ルーゲンは笑いながらそう言ってお道化けた。
「叔父上は長年統一を夢見て解放戦線を支えてきてくれた大恩人だから今まで無下にはできずにきたが、ここ最近の行いはさすがに目に余るようになってきた。これを機に現場から引いてもらって名誉職にでもついて貰う他ないな。まっ孫を通じて頼ませればすんなりいくとは思うがな」
「するとポストがひとつ空きますね。このなんだと若造が後任でどうでしょう?」
思わぬ言葉にバルツは足が止まり上半身が前のめりになり勢いよく元に戻すと、眼の前に期待に満ちたルーゲンの顔がそこにあった。冗談ではないのか。
「いやそんな、是非にというところだがソグ教団側の了承は得られるのか?」
「そこは御心配なく上手くいきますので。するとほぼ確定でよろしいでしょうか?」
「勿論だとも。君みたいな若く優れたものが軍師になって貰えればありがたいことだ。そうなればマイラ卿とも連絡のやり取りがスムーズにいくだろうし」
「今までのが非効率的過ぎたのですよ。いちいちソグ教団を間に挟んであれこれとやり取りをされて。それならソグ教団の全権委任を受けたものが将軍の軍師という立場になれば、仰る通りに龍身様の後見人であるマイラ卿との意思伝達は効率化されますね。僕とマイラ卿は個人的な付き合いもありますしうってつけです」
そう軽々しく言うもののバルツは考える。そうなるとこの若者の権力は相当なものとなるのではないだろうか?
「この若造はかなりの野心家ではないのか?と将軍は思っていらっしゃるでしょうね」
思っていることを大げさに言われバルツは急いで首を振るが、また軽く笑われた。
「否定なさらなくても大丈夫です。自覚しておりますしそう思っても当然です。ご安心を。ここにいるこの若造は大の野心家ですよ。なんたって龍を導くものになるつもりなのですから」
ルーゲンが真っ直ぐな眼で前を向くとバルツは瞼を閉じ頷いた
「ああ、そういうことか……なるほど、いつか現れるかと思っていたが……ついにここにおいて、か」
「さすがはご理解がお早い。そうです龍を導くもの、です。龍祖を導いたソグ僧……それを僕は継ぎます」
継ぐつもりだとは言わないこの宣言にこの男は大口を叩いているとはバルツは全く感じなかった。それほどにルーゲンの自信には実力という根拠があると知っていた。成功した神童、その身体に流れる高貴な血とそしてもうひとつの血を……
「大した自信だと言いたいところだが、教団には若手のうちで君以上のものはいないと聞くな。だからこそ聞いたのだ本当に教団での約束された昇進よりもこちらの軍師となるのか、と。だが導くものとなるのなら話は別になるか」
「はい。かつての導くものは教団というバックがない中でその偉業を成し遂げたのです。それに比べれば僕などの活動など楽なものですよ」
「そうなるのは仕方がない。導くものはその後に頑迷固陋と見なした既存教団を大改革し、まるで違う教団にしてしまったのだからな。教団名すら現在残っていないほどだから、それはもうソグ教団の老師たちはその二の舞は避けたいところだろう」
「ひょっとしたら戦後はルーゲン教団になっているかもしれませんね」
冗談に笑いあうもバルツはなにか胸騒ぎがした。それは戦場においての勘が働いた時に似ていた。だが、ここは戦場ではないということでバルツは気にしないこととした。
「ちなみにこのことはどうぞ胸の内に秘めてください。くれぐれも龍身様とその御周辺には特に」
ルーゲンはあたりを見渡し声を潜めて喋りその姿は芝居かかっているためバルツは苦笑いをする他なかった。
「分かっとる分かっとる。それは露骨な意味になるからな。開祖の妻となったものを自分が継ぐものだなんて今の時点では言わない方が良い。そちらの評判がもっと上がってから広めた方がいいだろう」
「そうなるようには努力の限りを尽くします。ではよろしくお願い致します」
二人は歩くのを再開させ会議室へ、だが会話に時間をとった割には急いでいる様子もなかった。何故ならこれから二人はあのやる気がまるで感じられない不信仰者への講義があり、彼はいつも時間ちょうどに来るためにこちらも慌てる必要が無いと判断していたのであった。
「それにしてもバルツ将軍も積極的に参加なさいますね」
「あの馬鹿がルーゲン師に失礼なことを言わないように監視せねばならないのと、俺もきちんとしたものの正統な学問というものを聞かなきゃならんしな。たしか今日の講義は龍の儀式についての礼だったな」
「それですが本日は予定を変更し龍を導くものの話をしようかと考えています。これは思い付きではなく一連の事を繋げた結果ですのでどうぞご了承ください」
はじめから決まっていたということなら、この会話も偶然ではなく意図的に? するとあの叔父上との諍いが無かったとしてもこの話に持ち込んだというのか? バルツは隣にいる優男から不気味な何かを覚えるも話が急に興味のあるところに転がったために、気にしないことにする。戦場以外でいちいち勘を働かせていたら疲れきってしまう。
「龍の護衛に就いてからのジーナ君はとても変わりましたね。徐々に良くなっていて、この間なんて龍のことについて積極的に知りたがっておりました。これもバルツ将軍の熱心な後押しが良き結果に繋がったのですよ」
そうだな、と言葉少なにバルツは目を細め顔を見上げた。あの頑固な不信仰者が目覚めつつあるのか……やはり龍の御力は偉大であるな、とその目は言っていた。
「だからこそこの特別な講義をいれるわけです。人には人の役目があり宿命がある。肝心なのは自らのそれを自覚することであり受け入れることです。あの彼にもとても大事な役目がありますからね」
そして二人は部屋に到着し扉を開くとなんとそこにはジーナが先に席についていた。
ほぉ、とバルツは感心の声をあげルーゲンはただ頷いた。
「では早速講義を始めましょう」
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