第31話 あなたは触った女人と結婚しないといけない呪いでもかけられているのですか?

 明くる日にジーナは上着がないのを構わずそのまま出勤しようとするも、扉の外で待ち構えていたキルシュから手渡されたというよりも、問答無用とばかりに無理矢理に着せられたブリアンのお古の上着を身にまといながら兵舎を出た。あの男の匂いがする。


 サイズが合わないために着心地が悪く違和感を背負いながらまるでこれは自らにかせられた呪いであると思いながら龍の館へと向かった。


 礼装とはいえ見た目からして上下チグハグ感があり門番が二人が驚きの目を向けるも、武士の情けか親切心からそこを触れないあたりに優しさを感じながらもこのまま誰にも会いたくは無かったが、この先に最も会いたくない人がおり、会わねばならぬと思うと自らの情けない境遇を再び悲しんだ。


 どうして私だったのだろう?


 自分には違う人生があったのではないか? 

というよりあの日がくる前は自分の人生は完璧であった。ジーナという存在は、完璧であった。バルツ様とルーゲン師さえあんなことを言わなければ、といつもの下らぬ愚痴を心の中で吐きながら階段を上がり廊下を通り抜け、龍の間への扉に到着。


 扉を前にしてジーナは少し妄想に耽る。


 今日はもしかしてもうお前はクビだ! と言われることを期待し薄笑いを浮かべた後に口元を引き締め、いつものように扉を開く。


 そこにはいつもの光景がなく、想定外の異様な光景が広がっておりジーナは目を疑い今いる世界をも疑う。部屋の中央に座るヘイムはジーナの方を見上げずに縫物をしているようであるが、その手には見覚えのある色のそれがあった。


 あれってひょっとして……そんなはずはない! 自分の予測を慌てて言葉で否定したところでヘイムの手にあるそれは色も姿も変わるはずもなかった。変われよ私の上着! シオンがジーナの心中など察せずに声をかけてきた。


「前回はご苦労様でしたね。まさかあなたがヘイム様を外にお連れするとは想像もつきませんでしたよ」


 忘我の縁に立っていたためにシオンがいつの間にか傍にいることにジーナは気付かずにいた。意識を取り戻すもシオンの言葉にまたジーナの意識を遠い場所へと引っ張っていく。


 えっ……あなたはあの話をこの人にしたの? つまりこれは禁止行為をしたことへの非難であり責任をとらされ処分として私をクビにしてくれるとか?


 自由! 解放!


 と一瞬希望が湧いたがシオンの表情に怒りの色は染み一つすらなかった。そんな顔をしないでくれ。もっと軽蔑の表情をして私に怒りをたぎらせ憎悪し、打って叩いて蹴って館から追い出してもらいたし。


「これで仕事を一部を引き継がせられますね。私は先日のように急用が入りやすい立場なものでその場合の代理をあなたに任せられましょう。外出だってそうです。二人で庭に出ている時に急用があるととても困りましてね。取次のものもこちらを察し気を使い庭では連絡しないでしょうが、本当に危機の場合でありましたら一大事です。それがヘイム様の外出しない理由の一因でもありましてね」


 今の話は要するにヘイム様と外に出るのはあなたの仕事となりました。あの一度だけではなくこれからもずっと、よろしくねということであるのか?


 ジーナの意識がさらに遠くなる。道理でシオンの声が小さく遠くに聞こえているわけであるがこのままだと気を失うかもしれない。


 抵抗しなければならない。こんな過酷な苦行を拒絶しなければ……薄れ行く意識の中でジーナをその場で止まった。


 こんな仕事なんか私はやりたかないんだよ!

 私にはもっとしなければならないことがあるんです!


「あの、その任は、やはり私には、荷が重すぎでして」


「もちろん責任重大であるのは重々承知ですが、あなたにはできます。なぁに、はじめのうちはそう感じるものですよ」


 確実に私の苦労はそういった類のものではないが、そんなことは言えるはずもないもどかしさをジーナは感じた。


 シオンは前回と変わらず凛々しい佇まいで以ってジーナを見つめている。ジーナの了解いたしましたという返事を待っているのだろう。だが、そう動きはしない。私はそういう都合の良い存在じゃないんだ。


「私は全く適任ではございません。別のものにお任せしたほうが絶対によろしいかと」


「だからそんなはずはありません。前回も無事故でやりおおせたではありませんか。あんな突然であったのにやりこなせたということは適任があるのです」


 事故未遂は話してはいないのか。まぁあれはばれたら外出禁止になるだろうから当然か、とジーナは想像する。


「しかしあなたらしくもありませんね最前線のジーナ。戦場では一切そんなことを言わないであろうあなたがそこまで尻込みをしてしまうとは。謙遜もあるでしょうがそこまで適任だとしない理由とはなんですか?」


 愚図るジーナにシオンは厳しい視線を向けた。まさか本当の理由なんて言えるはずもないしかといってこのまま何も言わないというのも体裁が悪い。


 何か言わねばと、それからクビになればいい……そう否定し続ければいい、とジーナは徹底抗戦を決意する。


「ジーナ……なにを黙っているのです」


 怒っているなこれはこれで良し、とジーナはこれに希望を乗せた。


「やはり適任ではなく駄目です。だいたい私は男ですがヘイム様は女です。その時点で手を繋いで歩いてはなりません。はしたないことです。我々はそのような関係ではないし身分の違いもありましょうし、それどころか私のようなものがヘイム様に触れては不名誉なことです。よろしくお断りいたします」


 さあ怒るか呆れるか納得するか、そのどれかを以て私をこの苦役からの解放を……ジーナは祈りつつシオンを見ると、その整っていた表情が崩れ歪みだしそれを隠すためか手でその顔を覆った。その指の間からなにか不可解な音が、苦悶の声が、というか笑いを堪える声が聞こえてきたような。


「シオン。笑うなと言うたであろう」


 ここでこの場においてはじめてヘイムが顔をあげずに不興気な声を出すと、シオンは堰を切ったように笑い声をあげた。


「だってヘイム……この人が急に……男女関係ってフフフフフッ」


 シオンがジーナとヘイムを交互に見ながら笑いを堪えて喋り出す。


「龍身に触るのは畏れ多くいけませんとか言い出したらと困るなと思いきや、男の子が女の子に触るのはいけませんみたいなことを言いだすって……ヘイムヘイムちょっといい?触って大丈夫かだって? ねぇ大丈夫?」


 お道化ながらシオンが尋ねるとヘイムは顔をあげた。自然とジーナは目を合わせた、いや合った。ジーナに視線を合わせながらヘイムはシオンに言った。 


「構わんと前回に言ったはずだ。覚えとらんのかまったく。仕事を休むことばかりを考えおって。そなたは重度の怠け病のサボり魔か? 矯正が必要であるな」


「はいかしこまりました。そういうことですのでジーナ。ヘイム様がよろしいと仰せられておりますので、これにて問題解決です」


 笑いの余韻がまだ醒めぬ顔でシオンはに告げるもジーナは棒立ちのまま何も言い返せない。そんなことで解決して良いものなのか? いいはずがない。この問題はもっと深刻なはずなのに。


「ほれシオンよすごいだろ? この納得していない様子に態度。そう、そやつは自分ルールを押し付けてくるから気を付けるようにな。なんたって妾に対してだって容赦しないのだから。俺様のルールに従わない女は下等といった感じでのぉ」


 上着を縫い続けるヘイムがこちらを見ずに言うが、その上着はあなたが無理矢理に……


「信仰の無いものとはこれほどまでとは、カルチャーギャップが強すぎてこれはこれで刺激的で。あの二人が派遣したわけがこれですかね。大事なところなのでもう一度聞きますが、あなたは女人であるヘイム様に触れるのが男人として不可能であるので、その役を辞退したいということでいいですね?」


「……とりあえずそういうことです」


 半分だがもう半分は言えるはずがない。


「するとあなたは触った女人と結婚しないといけない呪いでもかけれているんですか? あるいはあなたの御趣味とか? そういう文化とか?」


 シオンは事務的に対応しようとしているが声がもう震えていた。


「呪いでも趣味でもないです。そういった個人的なことではなく私の故郷の文化的な理由であってその」 


「西にそのような男女の考え方があることは私は否定しません。その地にはその地に適合した男女関係がありますし、あなたがその考えに影響を受けていることは分かりました。それで今はどうなのかをお聞きしたいのです。この中央の地で貴人の介助のために接触することははたして男女関係と言えるのかどうかです?」


 そんなはずないだろうに……私が拒否するのは龍に近寄りたくないということと……あの人の傍にいると……なんか心がざわついて……


 とかなんとかジーナの頭の中は負の感情を渦巻いていると、一瞬後ろを振り返ったシオンが声を小さくしながら質問をしてきた。


「ここだけの話、触れたらドキドキしますか? 下手したら恋しちゃいますか? もしもそうであるのなら……私はあなたのご辞退を受け入れますよ」


 その眼には好奇の輝きがあり、魅入らさせ吸い込もうとするなにかがあった。救いの手が差し伸べられた。


 意味不明な言葉であるも、これがもしも一度だけの好機であるとしたら、例えこのようなふざけた問いかけに対し偽りを通せばそれで……もうおしまいにできる。


「そんなわけあるわけないです」


 ジーナはヘイムに聞こえるような声で答え、シオンは意外さの欠片すらない笑顔で頷いた。


「ならばそれがお答えですね。ヘイム様、午後の空き時間は予定通り庭園の散策となります。ではジーナ。今日もお願いいたしますよ」


「ですから純粋に、私でなければならない理由は、特にないと思うのですよ」


「すると他の人にその役を任せたいと訴えるわけですか。なるほど。たとえば女官とかと言いたいのですよね?」


 やけに物わかりが良さげな態度にジーナは不審感を抱き警戒する。


「それが最も無難だと思うのですが、理由があってできないわけですね」


「はい。当然できない理由はあります。女官は力が弱いのが心配であるので複数でヘイム様を介助するわけですが、これの連携がうまくいきづらくてですね。女官は女官であなたとは正反対に龍身様に触れるのをとても緊張しましてね。それが事故に繋がったら目も当てられませんし、また悪意あるものの襲撃に対して女官は全くの無力で護衛になりません。このようになにかありましたら一大事で命に係わる責任問題であり、できれば避けたいのですよ」


 そうなると私は? とまたまるで心配されない自分を知りジーナは不信仰者の恐るべき境遇を感じてしまった。


「分かりました。女官が駄目なら他の兵はどうなのでしょう? ソグの僧兵だっていいのでは?」


 この問答がいかにもつまらないかを示すようにシオンは髪を指でいじりだした。ただでさえ短く自分では見えないのに引っ張ったり巻いたりして、それはまるでつべこべ言わずにあなたがやればいいのですよと言っているかのように。


「それについてはですね、ソグ僧兵を龍身の護衛には任せられない古くからの掟があります。僧個人が龍の寵臣となって教団内で権力を得ては厄介ですしね。そういうのは特別な一人が任命されますがそれと護衛とは別にします。同様にソグの貴族も元々こういうことはやりませんし、必然的に選抜された兵隊からということになります。それでこれまでの他の者たちですがあなたとは違う意味で苦労をしていましたよ、その敬虔なる信仰心のために、です」


 信仰がなくても苦労しているんです、とジーナは目で訴えるもシオンは見てはいない。


「実のところ逆説的にですが龍身を敬い過ぎてしまいこの役目に適応できないものが大多数でしてね、とてもじゃないですがヘイム様の手を取ることなど危なくてできないのです。儀式の準備とか雑用を任せ期間終了とそんなことが続きましてね。たかが散歩されど散歩といって悩ましいものがございましたが、ここに来てあなたのようなものが来ることになりました」


 つまらなそうな表情から突然の快活な笑顔が向けられ、あっこれは危険だとジーナは直感する。否定しなければならない。


「私が最適だとでも言うのですか?」


「はい。変な話ですがそうなのです。あなたでなければならない理由がそこにありますけど、どうです? あれは緊張しますか?」


 女の手に触れて緊張するんですか?とジーナにはそう聞きこえるしかない声に表情もそれっぽく見えるなか、こんな会話を続けるぐらいならいっそのこともう自らの正体を明かしてしまえばどれだけ楽か……とジーナは衝動に駆られるも堪えるために目蓋を閉じ、言った。


「初回はなれないために少々緊張してしましたが徐々に慣れ、次回はより上手く行くかと思われます。男女云々よりも介助の難しさに尻込みしていた次第でございます。戦場と違って乱暴に行ってはならないものですし」


 自棄故にか反動的に心にもないことがペラペラと口から出てその模範的な物言いに我ながら驚くとシオンは良い笑顔で肩を三度叩き祝福をしてくる。いや、呪いか。


「素晴らしい解答ですね。ではこれで全てをあなたにお任せいたします。不信仰者というのも時には役立つものですね。ものは使いようです! あなたのその態度のおかげで龍身様に対して聞くのではなくヘイム様に聞くことで解決できるのですから」


 世界で最もそのものから遠く離れた存在が、最もその近くにいることになるとはいったいどのような必然性が、とジーナは自分でも分からない難しいことを考えながら、ヘイムの右隣に近寄ると、そこにはいかにも僕は粗末ですと主張する椅子が置いてあった。


 人を躊躇させ座れるのか? 座れても座りたくないと思わせるだけ年季の入った椅子。板のささくれが目に見えるほど。


 なにを意味するのかをジーナにはすぐに分かった。これは私のための特等席だと。つまりこれがあの人の意志なのだと。


 ごくごくわかりやすくかつとてもとてもはっきりとした意思表示にジーナはどこか安心した。これでいいのだと……そして座ろうとすると叱責が飛び固まる


「こらこら座る奴があるか。そなたは立っておれ」

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