第19話 共に落ちて行き、同時に落ちる
怒りの中でジーナは閉口するもヘイムはこちらの言葉を待っているようだと感じた。
「なにをしているのです? 勢いをかけすぎて足を踏み外してしまったら……」
「そうだな!」
獲物に飛びつくかの反応で以てヘイムはその言葉に喰らいつく。
「足を踏み外してしまったら……すまんがそこまでは面倒見切れん。巻き添え防止に妾はあっさり手を離すから一人で落ちるようにな。みんなには妾を守るために死んだという名誉の殉職扱いにしてやるから安心せよ」
「こっちのことでなくて、そうじゃなくて。はっきりと言いますがはやく降りるなとは言いません。こちらとしては早い方が逆にやりやすいですし助かりますが、この階段に関しては止めてもらいたいし、だいたいさっきの絶対に跳んでいますよね?」
「跳んだら、怖いのか?」
「当たり前ですよ! 足を踏み外したら危ないじゃないですか」
「そなたであるからこうするのだ」
えっ、とジーナは意味不明な言葉に身体が固まるがヘイムは平然と話を続けた。
「たとえば、だ。女官相手に階段を降りてこんなことをし誤って妾が落ち怪我でもしてみろ。
付き添っていた女官が処分やらで大変なことになるであろうし下手をしたら自決をしてしまう。それを思うととてもこんなことはできん」
慈悲深い話をしているはずなのだがジーナには違和感しかなかった。その空想上の女官は兎も角として。
「あの……そうなりますと私は?」
「お前? 妾が怪我したら罰せられても仕方がなかろうに。むしろこうして驚かして怯えさせる罰を与えた方が適切だ。だいたい責任を感じて自殺するとか、ないであろうに……というよりか喜んだりするのではないのか?」
いま自分は笑っていないかと鏡がないためジーナは不安になる。そうだろう。もしも、ここでこの人が落ちて死んだとしたら……過程はどうであれ……わたしはそれを……ジーナはすぐに我に返り首を激しく振った。駄目、いまは、駄目だ。龍となる日までは……確認をするその日までは。
「そんなことありませんよ。あなたがこんなところで怪我や打ち所が悪くて死んでしまったら、ただではすみません」
「軍を追われるな。許可なく妾を連れ出し危険な目に会わせたということでな。いくら妾が行くと言ったとしても付き添いがそなた一人でだなんて、なにかあった時は言い訳不可能であるからな」
「そういうことじゃない」
ジーナは半ば叫び、改めてヘイムの顔を見ると笑みは消えかかっている陰も晴れていく。天窓から射し込む陽の光りによるものか少しずつその陰を剥がしていく。これは雲が流れ陽が現れたからか?
陰に隠れた右眼が見えた時、ジーナはまた口を開いた。
「私はいまあなたの護衛であり、あなたを婦人として礼を尽している最中です。そういう存在としてここにいる。そんな私があなたの不幸を期待したり予想しているだなんて言うのはやめていただきたい」
こう強く言ったからには返す刃で「ハイネのために頑張るとは健気よな」といった皮肉が来るとジーナは思うも、そうは返らずにヘイムは無言である。
陽の光に照らされた表情に変化がないなかで、ヘイムの口元が微かに動くのが見えた。なんだその妙な動きは、嘲りか?
「すまぬな。ちとふざけただけだ。もうせぬから心配するでないぞ。それで四段目ぐらいの降り方で良いか? あれぐらいがちょうどいいと思うのだが」
はい、と突然のその変化に戸惑いながらジーナは答え降りはじめる。
同じテンポで同じ歩幅で同じ場所を目指し降りていくこの一連の動きにジーナは徐々に苦しさが消えていくことに気付き出し、考えだし苦しみを出そうとした。
もしもこれを一つの遊びだと考えれば、隣にいるのが龍となるもので無いと考えるのならば……そんなことは考えてはならないのに、そんなことは望んではならないのに、そもそもこんなことをこの私がしていいはずがないというのに……
と思考が藤の枝の如くに伸び捻じれ絡まり何処で始まりでどこが終わりなのか分からなくなっていく。するとその思考の枝先が自分の中にある違う知らない感情に触れそうになり、恐怖を覚えだす。
これ以上このようなことをしてはいけないのでは? そうだいけないことだ。
私は手を離さなければならない。これとは繋がっていてはならない。
そうだ……と答える声が聞こえる。心の果てから聞こえてくるあの声で以って。そうしなければならない。
私は、ジーナであるのだから。
だが思えば思うほどにジーナはは意識的に手を少しだけ強く握り直す。
いまだけはどうか、と。これ以上のなにかは自分はしないから、と誓いや言い訳に訴えを頭の中でいっぱいにし各々で反響させながら階段を次々と降りていく。二階だろうかもうゴールは近い。
いつしか呼吸もまた合わさっていくように感じてきていた。どちらがどちらに合わせているのか分からないぐらいにごく自然に調整されていったのだろうか?
そんなことは話し合ってすらいないというのに。隣に誰かがいるという感覚すら失っている。ふたつがひとつになっているように。
そうであってはいけないのだ。
「ちょっとだけゆっくり目で行くぞ」
指示が出たので横を見るとヘイムは下の様子を伺っているように見えた。理由は言わなかったが注意深く下の様子を伺っている。
人がいるかいないかを伺っている? とジーナはそう捉えると焦燥感に身体が捕らわれた。
いないようだがもしも今のこんな自分が見られたら……
すると安定していた歩調が乱れ始めるだ。ほんの僅かのズレからであるからそのまま一歩一歩降りていく。降りていく毎にズレが広がっていくのをジーナには感じられた。
あんなに一つであると錯覚させられたのにこんなに簡単にバラバラになりだすなんて……なにを言っている? どうしてそんなに残念がるんだ? とジーナは心の中で大声で自分に言いきかせる。
そんな感情などないのだと。もうこんなことは考えたくない早く降りたい、とジーナは発作的に急いで降りようとすると、階段下の広間の先の方からなにかが倒れる音が聞こえヘイムは驚き足が止るのが同時に起こった。すると手を引っ張られたヘイムは体勢を崩しその身体は階段から離れた。
左手の感覚の異常に気付いたジーナは手摺から手が離れ崩れていくヘイムを見ると、身体が反射的に動いた。
右腕がその身体を抱きすくめ、腕にかかる衝撃でその場で支えることの困難だと判断し、自分の体勢が崩れる前にその勢いのまま躊躇うこと無く、階段を蹴って跳ぶ。高く跳んだ。
ジーナはこの高さなら問題ないはず、たとえ人を抱えていようとも上手く着地はできるだろう、と両腕に力を入れる。
腕の中にはヘイムがいる。だがジーナは見ないようにした。こんなことをしてはならない、あってはならない不可抗力であり、否定しなければならない。
だから見ないようにするも、腕にはヘイムの身体がある、抗えない事実がここにある。それにしても地面は床はまだなのか?
ジーナは宙にいる間の時間がやけに長く感じる中で焦れた。時なんてゆっくり感じなくていい、早く終わりにしてくれ。
私はいま、ヘイムを、龍となるものを腕の中にしてしまっているのだから……徐々に近づいてくる床に目をやりながらジーナはそのことだけを考え思うことにした。早く着地してくれ。
私達は高みから跳び、落ちて行く……共に落ちて行く……同時に落ちているのだから。
私はこんなことをする資格など無いというのに……これは誤りであり過ちだと落下していく意識のなかでジーナの思いはまずそこに着地した。
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