第15話 よくよく人を苦しめるのが好きなようだな
その次の日。龍の館へ出勤する日。
今日もまたあそこで嫌な思いをするのか、とジーナは憂鬱に思いながら一昨日と同じ時間に龍の館に訪れ門をくぐった。
にこやかな門番の歓迎を受けて思うはひとつ、その笑みは皮肉かな?
歩道の途中に庭が見え、一晩経った落ち着き様に満足した。ハイネと共に園路の道の段差をなくすために土を補充したり石やらなにやらをどかしたり植え木を切って道を広げたり、と昨日は頑張ったなと思いながら鼻を鳴らす。
これはあれのためであると考えると馬鹿らしさも湧き出て来るが、自身の考えに対して首を振る。
ルーゲン師が歩く為と考えれば良い、と。
彼が誰と歩こうが関係ないとも。そうだ関係ない、とジーナは言葉に出して龍の間に向かって進み、その扉を開いた。
シオンとヘイムが定位置におりシオンのみがこちらを見てヘイムは書に目を投じ下を向いていた。
二度目だというのに前回より辛いものを感じながらジーナは挨拶をし、シオンから指示を受け石組みの片づけが始まった。
「初回にしましてはなかなか上出来でしたね。ルーゲン師も感心していましたよ。センスがあるのか経験があるのかのどちらかだと」
シオンが石を箱に詰めながらジーナに告げるその声は前回と同じものであった。
するとヘイムはシオンに対してあの日のことはなにも話していないということなのだろう。
そうなると何故話していないのか?そうする必要は何だろうかとジーナは猜疑心を抱きながら作業の間にヘイムの方を見るも書きものをしている姿のみ目に入る。
当然、その右側だけ。
片づけをしている最中に下の階から大きな音が何度も響いてくるのが聞こえた。
「言い忘れましたが、今日は下の広間にてソグ僧による儀式が行われます。午後からはじまりますのであなたの仕事も午前のみです」
「かしこまりました。ハイネさんから聞きましたが結構大掛かりな儀式らしいですね」
「月一のものですからね。そういえば昨日も館に来て庭の仕事を手伝ったようで、やる気があってよろしいですよ。バルツ将軍から慣れるまで時間が掛かるかもと聞きましたが、馴染むのが早そうですね」
馴染むどころかもう化けの皮が剥がれているのだが、とジーナは思いながら目の端でヘイムを見るもまだ書きものに没頭しているのか髪に隠れて右顔は見えない。
「はい。頑張って猫を被り続けます」
「おっなんです?その顔で案外冗談を言うのですね」
その顔とは?と引っ掛るものがあるもののジーナは気にせず今日は何も問題を起こさずにここを去りたい、との一心で仕事に没頭する。
そうすれば先日のは何かの間違いであり以後ああいったことは二度と起こらずに、忘れ、そしてこの役目から解放される。
解放から本来の使命に戻れる……そう思えば思うほど願えば願う程に作業は進み、いつしか石組は解体され箱に収まり掃除が終了し、本日の業務は完了となった。
「予定よりずいぶん早いですよ。こんなに効率よくできるとは意外ですね」
「そうですか。無心でやったまでのことですが」
早く帰りたいので、早くここから出たいので。
「とてもよろしい。今日は明日の準備もする必要もありませんし早仕舞いとします。ああそうだお茶でも飲みましょう」
それに及びません是非とも早く帰らせて貰いたいですだっていま早仕舞いすると言ったじゃないですかぬか喜びをさせないで、と言おうとするも言えずジーナはシオンに給仕室を案内され茶の用意をさせられた。
その間もずっとヘイムのその書く手を止らずに動き続けている。
そんなヘイムをシオンは邪魔にならぬよう話しかけもせずに茶を脇に置き、定位置であるヘイムの右隣の席に着いた。
ジーナはその背後に、立った。
その手に茶を持ち、立つ。左側の席は空いているのに何故わざわざ立つ?と問うような怪訝な眼をしながらシオンがこちらを見てきた。
やめてください、左の席に着きなさいと言うのは、やめてください。
だが来るであろうその台詞を言わずに顔を前に戻し首を傾げながらシオンは茶を口に運んだ。
助かった、とジーナは思うもののどうして言わなかったのか?
こんなおかしなことを何故?
と不思議に思っているとノックの音が聞こえハイネが真剣な表情で中に入って来た。ジーナと視線が合い会釈するとその静寂な空気に何かを察したのか素早くシオンに近づき耳打ちをした。
するとシオンは溜息をつきヘイムとジーナに向かって言った。
「どうも儀式の準備でトラブルが起こったようなので行って参ります。ジーナはその間ここで待機をしていてください」
命ずるとシオンはハイネと共に早歩きで扉に向かい出て行った。
あまりの衝撃と早さにジーナは呆然とし手が震え茶が手にかかる。
一昨日と何故同じことになるのかとやはり呪われていると思いながら茶を口にした。
苦い……目が覚める苦さで意識がより明瞭となって、より自分の心を苦しめに来る。
だが、ヘイムはまだ書く手をやめない。ならば話しかける必要もなく、なにも意識する必要ないこのまま時間が過ぎていくのを待てばよい、と。
それにしても頑張りは裏目に出てしまったのだと考えるとやるせなかった。あの作業はもっと時間をかけても良かったのだと。
茶を飲む、苦いまま。時間が経っているはずもない。シオンは戻ってこない限り待機は解けない。
まさかこのまま永遠に?
もしもこれが嫌がらせだとしたら急所に当ててくるものだとジーナは待つという苦痛のなかでヘイムの筆音だけを耳にした。
これを数えていようか?ともジーナは思う。そうすればこの居心地の悪さも消えて……数えだそうとすると、音が消えた。
無音が辺りに満ち、自分の呼吸音のみが聞こえる。
目を下に向けると、ヘイムのうなじが見え、喋り出した。
「座ったらどうだ?」
「いえ」
「女が坐った席は汚れているとでも?」
「そんなことありません」
「座ったらどうだ?」
「……はい」
よくよく人を苦しめるのが好きなようだとジーナは座ると近づいたせいで息苦しくなった。
だから茶を飲み苦味を口の中で広める。こうなったら苦しめられるだけ苦しんでやろうか?
「ずいぶんと……」
なんだ話しかけてきたぞ、と横を見るとヘイムは窓に目を向けている。窓の下は例の庭である。
「ずいぶんと綺麗になったものだな」
なんて答えればいいのだ?とジーナは思考を働かせる。仕事だ、これは仕事なんだと嫌悪感を押し潰しながら答える。
「皆が昨日頑張りましたので」
「しかし突然のことだな。シオンに聞いても分からぬしハイネ達にも聞き逃すし……まぁ片付いたのはとてもよいことだがのぉ」
あなたがルーゲン師と散歩する為ですよと言ったらどうなるのだろうか、とジーナの心に魔が差そうとするも慌てて茶を口に運んだ。
おや苦くない?
それにこんなに旨かったっけ?とその味の鮮明なことに驚き戸惑っているとヘイムのもう一言が返ってきた。
「丁度いい。たまには外に出るのもいいだろうな」
「あっルーゲン師はまだいらっしゃりませんよ」
反射的に言うとヘイムの身体が大きく反応しジーナの心も大きく揺れた。
なんでこんなことを言ってしまったんだ?
ジーナは後頭部のその白銀の髪を見ていると、徐々に右に動き出しゆっくりとこちらに向かってくる。
敵兵に見つかった時と一緒だな、と隠密行動中の体験を連想させていると、この間存分に見た右の大きく開かれた濁った青い瞳がジーナを射抜いた。
「……なぜルーゲンの名がここで出て来る」
問いと共に今度は酸っぱい何かが腹の底からが込み上がってきて口の中にそれが広がる。
苦味と酸味と、いつもの戦場の臭いがした。
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