第8話 てっきり男の方かと思いまして

 ジーナは闇を覗き、闇もジーナを覗いている。


 左眼が欠けた眼孔の果てにある闇に淡い紫色の肌の左半身、その龍身。


 ジーナは心と体が消滅していくような意識のもとそれを見ながら自身の宿命と破滅をも感じていた。

 闇が宿る左の眼窩を聖痕または龍の証だとしていることをこの世界では誰もが信じているのだろう。


 この私以外は。


 口上が、聞こえる。

 暗記してきた自身の前口上が口から自動的に後ろへと流れ走っていく感覚の中にジーナはいた。 

 他人の言葉のように聞こえてくる。


 意識が飛びつつ自分は見ている。

 その龍身を……龍となるものを……まだ龍となっていないものを。

 だがそちらは、龍身よ、闇よ、瞳が無く何も見えていないお前は私が誰だか分からないだろう。


 私は……私は……


「私の名はジーナです。どうぞよろしくお願いいたします」


 耐えられず龍身から目を逸らすと、自分の声が耳に直接届き意識はジーナ自身に戻り、視線を逸らした先に見知らぬ美青年がいた。


「?」


 怪訝そうな表情をしているがこれが龍の騎士なのだろうと手を差し出すと彼は妙な表情をした。


「龍の騎士様ですね。よろしくお願いします」


 ジーナがそう言うとなにかに納得したのか頷き握手に応じた。握った瞬間に強者の掌だとジーナは察した。


「ご苦労ジーナ。なかなか立派な挨拶でした。ところで西の方では男女間でもこのように強めの握手をするとは意外でしたね」


 男らしくないその声にジーナは驚き、慌てる。


「いっいえそのような風習はまったくありません」


「ありません?こちらにも無いのですが、なら、これはなんです?」 


 左手で握手を指差すシオンに対しジーナは言った。


「いえ、てっきりあなたが男の方かと思いまして」


 おやっ血の気が引いたのかな?とジーナはシオンの掌が冷たくなるの感じながら思った。

 

 瞬きもせずシオンは真顔で突っ立っている。変なことを言ったか?

 いや言ったんだな……言ってしまった!とジーナも二の句が継げないままでいると横から笑い声が湧いた。


「ハハッではシオン。髪の毛を伸ばす決心はついたな?ほれ、そのままだと男と間違えられるという大問題が起きたではないか。由々しき事態だぞ。心が痛むがこのことは尾鰭をつけてマイラに言いつけてやろう。最悪の場合は婚約破棄だがやむをえまい、大切な従姉妹の名誉のためだ」


「何がやむを得ないんですか。マイラ様はこんなことはちっとも気になさる方ではないですし、だいたい大した問題ではありません。単にこのジーナという無礼者が愚かにも私を髪型から男と判断した、それだけの話です。それであなたはそそっかしいと言われることはございませんか?」


「よく言われます。いえ、申し訳ありません。緊張のあまりこのようなことを言ってしまって。人から龍の騎士はかっこいい方を先ほど聞きましたもので青年がいるかと思ってしまって」 


「ああ、さてはハイネと会ったのだな。流石にそなたの素敵な後輩であるな。きっちりと先輩の美点を外部のものに知らせてばっちりと恥をかかせるとはのぉ」


「……私を説明するにしてももう少し違う言い方はできますよね」


 シオンの眼は遠くを見るがその瞳は濁っている。

 ジーナは言葉を探したが見つからずまだ握手をしたままであることに気付き、言った。


「ハイネさんとは関係ない私の感想ですが、シオン様は相当の剣の腕があるのかと感じました」


「ほぉ……どうしてそうだと思われましたか?」


 唐突な発言にシオンの瞳の色が澄みだしたのをジーナは見る。


「掌の感触が長い鍛錬を積んだ方のそれでした。私の方では戦士同士の握手は基本的に相手の力確認し合うためのものでして、老人の方になりますと腕を組み合ったり抱き合ってそれを確認したそうですがね」


 なんか今余計なことを言ったかなとジーナは微妙に思うも、シオンの顔に明るさが戻り満足気に見えた。


「良かったのぉシオン。いきなり抱きしめられなくて」


「からかっても無駄ですよ。戦士の挨拶であるのならなんの問題もありませんしね。鍛錬ですか……あなたも驚いたでしょう。あの噂の龍の騎士がお飾りではなさそうだって」


「いやそんなことは全く思ってなど」


「ああなるほど。あなたはこちらの知識がまるでないのでしたね。では私に関してはとりあえずこれだけは覚えておいてください。龍の騎士の正統後継者は今も中央にいてそれは私の兄だと、そういうことです」 


 シオンは奇妙な笑みを浮かべるも整った顔が歪むが、ジーナにはそれは恐怖というよりもどこか親近感を覚えるものであった。

 はい、と意味が分からぬまま返事をすると同時に手が離れた。


「ではそろそろ儀式の準備を始めるかのぉ。せっかく力がありそうなものが来たから大変なものからこなしていくとするぞ」


「かしこまりました。ではジーナ、私の指示通りのものを儀式の間まで運んでください。慌てる必要はありませんのでくれぐれも慎重に」


 そう言うシオンの指差す方向を見ると小山のごとく積まれた木箱がありジーナは圧倒された。

 あれを、なんだ?

 いちいち取り出して儀式の間に持っていくというのか?


「……龍の護衛の仕事というのはそういうことをするのですか?」


「内勤の場合は専ら儀式の助手です。ルーゲン師とバルツ将軍のお二方からどのようなご説明を受けました?」


「……龍の儀式について学ぶところが多いから不信仰なお前はそれに感化されるのが良いとかなんとか」


「とても素晴らしいご説明ですね。ようやく戦争も一段落がついたから不本意ながら中断されていた儀式を再開するにはいまがうってつけ。そのための重労働には男手がどうしても必要で、つまりはあなたみたいな男が最適だったというわけです。指示を出しますのでそのように動いてくださいね」


 それって龍の護衛というよりか召使もしくは作業員なのでは?とジーナは思うも、やることは兵隊のいつもの作業と訓練にあまり違いが無く、これならばそれほどに苦でもないなと思いつつ、呼吸を極力少なくし視線をあれには向けずにただひたすらにシオンの指示を耳にし聞きながらその通り動き回った。


 あれもあれでこの一介の兵隊ごときになんの興味が無くただの召使としてだけ見ているようであるのなら、助かるなとジーナは思いそして本気で願い祈りながら儀式の準備を進めた。


「さすがは英雄ですね。このような作業でも驚くほどの的確な動きを見せてくれます」


 嬉しくない褒め言葉を受けつつジーナは無心に動きながら視線を伺うも、シオンの視線だけをは感じるだけでありそれ以外の視線はどこからも感じとれなかった。


 それは逆に違和感を感じるほどこちらが見ないようにしているようにあちらも見ないということであるのか?

 望ましいがしかしそれはどこか間違いであり不自然であるような……いや、あちらとしてはもともとこちらを見る必要などはない。


 もしかして全てはこちらの自意識が制御できずに暴走しているために、この空間に不可思議な意識を飛ばし合っていると思い込んでいるだけでは?


見るな、でも、見ろ、見るんだと……思考が混乱していくなかでジーナは不意な無意識状態になるとあれに目が行きそうになり、すぐさま意識を戻し視線を前に戻した。


 脇目など向いてはならず前だけを見なければならない。自分とはそういう存在であるのだから。そうであるからジーナは思う。


やはりこの役割に私は向いていない、と。


それどころではなく、決してやってはならないのだと。


 シオンの指示のもとジーナが無我夢中で動き続けると、やがて広間には大小さまざまな石が置かれ幾何学的な謎の模様が生まれた。


二人は満足そうな顔をしながらあれこれと会話をしているがジーナはまるでこの空間は採掘所みたいだなとしか頭に浮かばず、どこにも神聖さなど感じなかった。


 無感動であることに感謝を覚えるほどに。ジーナは座り二人の長い会話を耳にしながらこうも考える。どうしたらこの役目から暇をいただけるのか、と。


習慣的にちゃんと働いてしまったし、あのシオン様に対して無礼なことを言ったのはいま考えるとチャンスだったか。あそこで怒られて追い出されても良かったのに、いまだともう気にしている風には見えた。


いったいどうすれば……こう空想に耽りだしていると、いつのまにかシオンが眼の前に立っておりジーナはまた声に驚いて顔を上げた。


「では私はもう切り上げますのであとはヘイム様のご指示のもと動いてください」


「あっはい、って、そんな、無理だ!どうして初日から」 


 絶叫し立ち上がるジーナの顔面蒼白さにシオンは自分が変なことを言ったのかと逆に心配になり自分の言葉を心の中で点検し再整理し繰り返し思う、問題なし。


「無理ではありませんって。ヘイム様がですね、空間の出来栄えはまぁこれでいいが少し手直しがしたいとのことです。私はもう会議の時間ですのでここを出なければなりません。では頼みましたよ」


 踵を返し遠ざかり離れていくシオンのその足音のひとつひとつがジーナの心臓を打ち、やがて扉が閉まる音で以て最高潮に達し、視界がやや暗くなったと感じそれから耳にノイズのような音が入ってきた。


「では……これをな」


 耳の奥で痛みが生じるのを耐えながらジーナは声の方には振り向かずにそれを見ないようにしながら、石に手にし指示を待った。


言われたままに動くために次の言葉を身体をしゃがませながら耳を澄ませた。


 仕事だけを行う為なら耐えられるはず、と心に決めたのも束の間、予期せぬ言葉が、来た。


「西の……故郷が西の砂漠の果てだと聞いたが、そのようなところのものがどのような理由でここまで来たのだ?」

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