第4話 あんたは龍という存在を憎んでいるんだろ?
「おいおいおいジーナ隊長よぉ。まーた昨日もバルツ様を怒らせたらしいな。なんだってあんたはあのルーゲン師の講義中だってのに説教されちまうんだよ。罰あたんぜ」
浄化するためのように窓のカーテンを全て開き午前の秋の日差しをいっぱいに入れている兵舎の一室において、服装を整えているジーナは後ろから責めたてられていた。
覆い被さるように立つ背が高く巻き舌気味なその赤毛の男。
会話というか一方的にわめいておりジーナの反応は薄かった。
「それにしてもよ、もうちょっといい服はないのか?ここちょっと汚れてんぞ。そんな服を着て行ったら、ただでさえ西の果ての田舎者どころか辺境者だって話が伝わってんだから、あーあやっぱりなと笑われちまうぜ」
「そうしたら回れ右して帰って来るよ。それにこの軍服はな古びていても私の一張羅だ。ブリアンみたいに何着も服を持ってないだから仕方がない。嫌ならお役御免にすればいい」
返事を鼻で嘲笑いながら黄色い果実をかじるブリアンの脇から金髪の小さな女がぬっと現れジーナの軍服にブラシをかけ始め睨む。
その三白眼で。
「だったらせめてさぁ!綺麗にしようとか考えないわけなの隊長!薄汚れていてああ情けない。戦場だとそれでいいかもしれないけど、ここは戦場でなくて日常だからね。おまけにこれから行くのはあの龍の館だろ?あそこがどこだと思ってるわけなんだい?酒場とかじゃないんだよ!」
舌打ちしながらのキルシュのブラッシングは執拗かつ暴力的なものとなっているがジーナは何も言わずに耐えた。
このキルシュは龍の女官の一人なのでありこれは一種の検査であった。
「分かっていないようだから言うけどあそこは龍身様がいらっしゃる御所なんだからね。この世で最も尊い場所なんだよ。この世界の中心、真ん中、聖なる御処。それなのに、この、うすぼんやりな古ぼけた服で行こうとする、その神経!ブリアンみたいにカッコいい姿になれとは言わないよ。だって隊長だし。けど汚い服装は龍身様への侮辱になるし、この隊の不名誉になるんだからやめるんだよ」
「でもキルシュ。こんな半ば懲罰部隊みたいなものにどのような名誉なんてあるのかな?」
窓辺に腰かける細見の男が悲しげ声を琴を奏でながら語った。妙な楽器だなとジーナは聞くたびに思う。
なにより、でかい。
「お黙んなこの色魔!名誉が無いのは隊じゃなくてあんただよ。この悪の重婚犯が!」
「誤解だよキルシュ。悪いのは俺じゃなくて法律さ。愛が一人にしか与えられないって法律が既に反自然的だ。それに法律を言うなら君のブリアンだって地主殺しの犯罪者じゃないか。その点僕は御婦人をね」
また琴を鳴らし半ば歌のように語るもキルシュは大声で止める。
「うるさい!あたしのブリアンをあんたと同じにするんじゃない。悪を征伐して捕まったことのどこが罪人っていうんだ。村人は未だに感謝しているんだよ。欲望に駆られたあんたとは違う。それにこの無番号の隊は少し前までの話でいまは第二隊になったんだよ。そう、この第二隊に残った初期メンバーは罪人ばかりだけど、みんな止むを得ない事情持ちばかりだよ。あんた以外はね!」
「恋は盲目とはよくいったものだ。まっいいがね。俺とブリアンはそういった罪人だけどアルは罪人というか……」
「言葉にしたら不可触民といいますかね。いいんですよ気を遣わなくて。書記の仕事をしていると割り切っていますし」
こちらは会話には加わらず書きものをしている眼鏡をつけたまだ少年みたいな体格の男が答えた。
「そんなのは中央の人間による勝手に分類ですからね。僕は気にしていませんし。罪だとも思ってはいませんが、しかし改めて考えてみますと酷い一隊でしたね。吹き溜めの吹き溜まり。前科持ちが恩赦を求めて最前線に送られる消耗部隊のひとつとはなんともはや。そしてこんな常時最前線を配置される部隊を率いるその隊長の罪はというと」
アルの問い掛けにジーナは答えた。
「私の罪は龍への不信仰だろうな。こんな男がこれから龍の護衛の初日を迎えるんだぞ。笑えない笑い話だ。この異常事態を誰も止めないことが私には信じがたい。今からでも間に合うから冗談ということで終わらせてくれないかな」
「信じ難い事態ですが隊長も隊長で信じ難いですよね。僕みたいな中央からしたら邪教を祀るように見える民だって龍にはある程度の敬意を抱いていますよ。それなのにあなたときたら敬意の欠片もすらない。それどころか無視している。バルツ様も戦場ではあなたのことを信頼しきっているのに日常ではこれだと頭が痛いでしょうね。あなたは将来、上に立つ人になるんですから」
「信じ難いっていっても仕方ないだろアルちゃん」
いつの間に移動してきたブリアンの手がアルの肩を数回叩きその拍子で本が落ちた。
「ジーナ隊長はな、龍を討つために遥々西の果てからやって来たんだぜ。あの砂漠を越えてな。バルツ様にだってはじめからそう自己申告して入隊を許可されたってお前だって知ってるだろ」
「叩かないでくださいよ。それとそれは比喩的な言葉です。厳密に言いますと我々の軍は中央の堕ちた龍を倒しに行くんですから、みんながみんな龍を討つものなのですって」
「それはどうかな?」
ブリアンは齧っていた果実を丸呑みしてから言い切る。
「これまでの態度を見るに、どうもジーナ隊長は龍という存在そのものを憎んでいるように思えるぜ。そういった感情を有しているのはこの軍でもただ一人ってわけでな……」
ブリアンの言葉にキルシュは叫んだ。
「冗談が過ぎるよブリアン。あんまり縁起でもないことをいうのはよしなよ。それはいくらなんでも隊長に失礼だよ。そんな考えだったらこの軍に隊長がいるはずないよ。だってあたしたち龍の護軍は真の龍を信仰するからこそ、中央に正しき龍を帰還させ世界の秩序を取り戻そうとしているんだからさ。こっちは本物で正統ってことで、あっちは偽物で正統ではなく存在してはならないもの、これが軍の総意だよ。隊長はその最前線に立つ御人なんだからあんまり変なことを言うのはお止しって。はい、これで綺麗になったよ」
ブラシをかけ終えたキルシュがジーナの背中を三度叩いた。
多分自信をつけさせるためなのだろう。そんな心遣いはいいらないのだが。
「すまないな。もったいないぐらい綺麗にしてくれて。どうもありがとう」
「どういたしまして。龍のためならこれぐらいなんだってないよ。それとまぁ大丈夫ってやつだよ。隊長が不信仰でたとえ他の信仰を抱こうが戦場では他の誰よりも立派に戦ってんだからね。そんな戦士に栄誉である龍の護衛のお役目が回ってくるのは当然のことなんだよ。そうでなきゃ龍の徳が落ちるってもんさ。龍身様はあんたをきっと歓迎してくれるはずさ」
鏡に映る紺色の軍服は綺麗になりキルシュはついでにジーナの爪跡がついた髪も櫛で整い始める。
それによってこれもまた服との調和がとれたものとなった。
自分には似合わない姿だなとジーナは鏡を見る。
だがキルシュでもってしてもどうしようにもならないものがそこにあった。
そのジーナの鏡にうつる歪んだ笑み。
「隊長はもっと気持ち良く笑えればいいのにね。他が良いのにそれじゃあさぁ。これから龍身様にお会いするんだよ?」
だからこうなるんだよ、とジーナは内心で失笑する。その心が表に漏れ出す。
「それは無理だな。こんな薄笑いを浮かべながら私はきっと失礼なことをするよ」
「はいはい冗談冗談。隊長が龍身様に、という以前に婦人に失礼なことをするって逆に見て見たいものだよ。するわけないでしょ既に一人称が柔らかいこんな人がさ。不信仰だとしても大丈夫だとバルツ様やあのルーゲン師が見込んだからこその御指名だよ」
「だとしたらお二人はこの件に関しては見誤ったな。まるで節穴ってやつだ」
「緊張してめんどくさいからって憎たれ口を叩いていないでほら頑張ってちょうだいよ。なんたってあんたさんがいっぱい出世すればあたし達にいい役目が降って来て楽ができるってもんだからさ」
場は笑い声に包まれジーナは溜息を吐いた。
「そういうことなら少しは頑張ろうかな。でもそんなに長く勤まらないと思うよ。今日一日持てば十分すぎるかな」
「そうしたらまた明日一日頑張ればいいだけの話さ。ほんとーにさーなにさ今までどんな戦いにだって弱音を吐かずにいた最前線のジーナ隊長が、この件だと腰が引けてグズグズと下らないこと泣き言ばかり言うだなんてさ。いつものあんたらしくないじゃないの」
「私らしくない、か。それは違うよキルシュ。これこそが私という存在を如実に現しているんだが……どうでもいいか。それじゃ行って来るよ。すぐに帰ってくるからな」
扉を開けジーナが出ていくと室内にいた全員が顔を見合わせ首を傾げた。最後の一言ってなんだ?それに最近の態度もなんか変だな、と。
龍の護衛が決まってから人がどこか変わったように……
「さては隊長は……女性がとてもお苦手な人なのではないかな?とある金髪の小さなご婦人を除いてね」
琴を奏でながらノイスが節をつけて歌うと怒りだす一人を除いてまた室内は笑い満ちた。
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