花君アカデミア

犬塊サチ

プロローグ

花麒麟ヒイロの限界

 花麒麟ヒイロは、完璧主義な花君候補生だ。


 社員300名を超えるIT企業のCEOを務めるかたわら、当学校へと通っている。


 7対3の比率で分けた切れ味鋭いショートボブカットと黒フレームの眼鏡がトレードマーク。学内でも候補生用制服は滅多に着用せず、もっぱら黒いジャケットとパンツのスーツに身を包む。


 彼女の一日は、十数人の子供たちを育てる肝っ玉母ちゃんのように慌ただしい。


 朝8時から、大勢の記者たちが詰めかける大ホールで、新商品のプレゼンテーションを流暢な英語でもって行い、昼食も摂らないままに著書『三倍速で生きろ』の出版告知用インタビューを受けたかと思うと、夕方4時には十数名の部下たちに囲まれ、試作デバイスの開発会議で檄を飛ばし、夜8時にはジムでウェイトトレーニングとランニングで汗を流して、深夜にはニューヨーク支社にいるスタッフとのWEB会議。


 これだけの強行スケジュールをこなしながらも、花麒麟ヒイロは今の自分に満足していなかった。


「満足してしまったら、そこで成長は止まる。だから私は走り続けるんだ」


 だが、花麒麟ヒイロは、何もかもを完璧にこなせているわけではなかった。

 自分にも厳しかったが、他人にも厳しく、ついていけなくなって辞める部下も多いという。


 そんな風に仕事に向き合い、過酷なスケジュールをこなしてきた代償なのだろう。花麒麟ヒイロはこの頃、自律神経の乱れによる過呼吸を起こすようになった。

 症状が悪化すると、狂ったように心臓が拍動し、まるで全速力で走ったあとのように呼吸が荒くなり、息が深く吸い込めなくなる。


 このまま死んでしまうのではないかという妄想に意識が支配され、手足が震えて立っていられなくなる。

 精神科で処方された薬を飲めば症状は一時的に治まるが、それは応急処置であり、根本的な解決には至らない。薬に頼れば頼るほど、症状を抑えるために必要とする投与量が増えていく。


 車の中で一人、両腕を胸元で交差させて自分自身を強く抱きしめてみたところで、耐え難い孤独感は癒されない。

 自分に出来ないことは何もないと考えていたのに、自分で自分一人すら癒せないとは。


「誰か助けて……」


 極限まで心身が追い詰められたとき、ヒイロは「彼」に電話をかける。

 まるで神に祈りを捧げる修道女のように、両手を組み合わせて目をつむりながら――。

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