#03 ~ 召喚

「ふっ……ふっふっふ」


 部屋の中に、声が満ちる。

 その中心にいるのは一人の子供だ。五歳にまで成長したその子供は、一見すればまるで女の子にも見える。だがれっきとした男児だ。


「ふわーっはっはっはっは」


 その子供は――幼稚園でも「変わっている」と言われる子供だった。

 まず、頭が良い。言葉遣いもちゃんとしているし、物静か。それだけならまだ普通の子供……なのだが、どうにも妙なカリスマを持っていた。

 幼稚園で、彼に一目置かない者はいない。大人も子供もだ。だがその理由は、妙に名状しがたい。それゆえに「変わっている」という評価に落ち着く結果になっていた。


「にいさま??」


 彼の後ろから、天使の声――少なくともそれを聞いた彼にとっては――が聞こえ、少年ははっと振り返る。


「おお、我が天使」


「にいさま、ゆきはてんしじゃないです」


 果たしてそうだろうか? と少年は首を傾げる。

 彼女は今年三歳になって、同じ幼稚園に入ってきた、彼の妹だ。彼にとって、妹と天使は同義である。

 三歳ながらとびきりの美幼女で、しかも兄の教育――本人いわく『淑女教育』――のせいか性格もとびきり良い。これで天使じゃなかったら何なんだッ! とは本人の言である。


「にいさま、こんなまっくらで、なにをやってるのですか?」


 彼ら二人がいる部屋は、幼稚園の一室だ。

 今は昼寝の時間――この兄妹、こっそり抜け出して忍び込んでいる。この時間は使われていないため、当然真っ暗である。


「ふふふ……妹よ、よく聞いた」


 まったく悪びれることなく告げた少年は、その手に紙を掲げた。複雑怪奇な模様が描かれた、A4用紙を。


「今から、凄いものを見せてやる」


 そう言って、少年――千堂祐真は、にっと笑った。


 彼はかつて誓った。妹を、そして家族を守れる男に……大魔法使いになってみせると。

 それは、荒唐無稽な夢などではない。

 そもそもにして、彼は異世界で千年を生きた『大魔法使い』だったのだ。なる、というより取り戻すという表現のほうが近かった。


 彼は、研鑽を怠らなかった。

 魔法に適性のない身体ではあった。だが魔法の髄の髄まで理解していた彼の修行法が、どれほど効率的だったかなど問うまでもない。


 結果として、生まれてしまった。

 この現代日本に。

 存在するはずのない『魔法使い』が。


(ま、まだまだ理想は遠いけど)


 そう。『大魔法使い』はまだ遠い。かつての自分の百分の一、千分の一にもまだ届いていない。

 しかしだ、それでも既に、ある程度の魔法行使に問題はない。

 そして今日……ついに、念願の魔法を使う。


「これはな、アウズンブラム式で描かれた紋章魔法陣だ」


「あう……ずん?」


「うん。まあ分からなくてもいい。見てなさい」


 複雑な紋様が描かれた紙を床に広げ、ふう、と祐真は息を吐いた。


 ……実をいうと。

 彼は今日まで、実際に魔法を行使したことは一度もない。


 魔法は痕跡を残す。探知術式で探られれば、魔法を使用したかどうかは一発で分かる。痕跡はいつか消えるが、それまでに発見された場合、一体何が起こるか分からない。

 だからこそ、慎重に計画を練ってきた。一体何の魔法を、いつ、どうやって、痕跡を残さずに行使するかを。


(……この国には今のところ、魔法の痕跡がない……)


 それはすなわち、入念に痕跡を消している可能性が高い。

 それが出来るだけの組織が、この国には存在するということだ。そしてそうしてまで、魔法の存在を隠匿したい者たちがいるということだ。下手を踏むわけにはいかない。


 ――だが。


(俺を舐めるなよ?)


 そう言いながら、にやっと笑みを作る。


(痕跡の隠蔽など初歩の初歩。念のため時間をかけたが――この魔術の痕跡、神であろうと見通すことは不可能)


 絶対の自信が、彼にはあった。


 ――まあ全部がただの杞憂なのだが……彼にとって、家族を守ることは至上命題であり、そのためには時間などいくらかけても足りないことである。


「■■■■■■」


 彼の口から漏れた言葉は、この世界の誰にも理解できない言葉だった。

 横で聞いていた妹は……虫のざわめきに似ていると、幼いながらにそう思った。


 その言葉は、不思議なほどに響かなかった。

 音が、まるで吸い込まれるように紙へと落ちると、描かれた魔法陣が青白い光を放った。


 それは尋常な光ではなかった。

 青白く輝いているというのに、壁も、床も、その色を変えない。何ひとつ照らすこともなく、なのにまるで燃えるように輝いている。

 すっと少年が手を伸ばす。

 瞬間。

 爆発するように、部屋全体に魔法陣が広がった。


 呆然とした顔で、彼の妹、千堂雪はそれを見上げていた。

 彼女は後に語る。それはまるで夜空のようだった、と。


 幾千、幾万もの青く光る線が、夜空のような漆黒の中を泳ぎ、巡り、幾重もの紋様を描き出していく。

 幻想的な光景の中で、静かに、そして甲高く、鳥の声が聞こえた。


「――来い」


 その声が契機だったのだろう。

 幾何学的な魔法陣は小さく収束していき、小さな、蒼い影へと終息する。その影は翼をはためかせながら、空間を飛び……そして、ぱたぱたと主人公の前に降り立った。


 そして――青い光が収まったとき。

 床に立った蒼い小鳥が、祐真たちを前にして「ピィ」と甲高く鳴いた。

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