円環の聖女と黒の秘密

藤瀬京祥

prologue

 主人あるじの部屋に、使用人頭しようにんがしらのリジー・マディンが訪れたのはすっかり夜も更けた頃。

 奥にある寝室で、側仕えたちに囲まれて就寝の支度を整えている最中のことである。

 静寂を破らない控えめなノックの音に、気がついた側仕えの一人が対応に出る。

 ほどなく戻ってきた側仕えのあとに続く使用人頭の姿を、若い主人あるじは目だけを動かして確認する。


 リジー・マディンは枯れ草色の髪をした、五十歳前後の男である。

 特に背が高いわけでもなければ低くもなく、太っているわけでもなければ痩せているわけでもない。

 物静かな感じの男である。

 そのリジーに 「旦那様」 と、静かに声を掛けられた若い主人あるじは「ああ」 とだけ応え、そのあとは沈黙。

 変わらず就寝準備を続けている。


 輝かしい金の髪をした、年齢二十歳前後の青年である。

 スラリと背も高く、ほどよく付いた筋肉で均整が取れている。

 顔立ちも整っている。

 けれど冷ややかな印象を受けるのは、部屋の照明を落としているからだけでなく、その表情が乏しいからかもしれない。


 周りで支度を手伝ったり部屋を片付けたりしている側仕えたちは、三十歳近くから同じ二十歳前後の青年が数人。

 多少色味に差はあるけれど、皆、マディンと似たような枯れ草色の髪をしている。

 ガウンの紐を自分で結んだ若い主人あるじが、寝台近くに置かれた一人掛けの椅子に深々と掛けると、後ろに立った側仕えの一人が手にしたブラシで、見事な金の髪を、全体的に軽くブラッシングし終えたところで主人あるじが口を開く。


「下がっていい」


 低いがよく響く声である。

 その手を軽く上げて合図すると、年長とおぼしき側仕えが 「失礼いたします」 と静かに頭を下げ、それに倣うように他の側仕えたちも恭しく頭を下げる。

 そして着替えた衣類や使用済みのタオル、洗顔用の水などを持って静かに部屋を出ていく。

 最後に、先程の年長とおぼしき側仕えが、居室と寝室を隔てるカーテンを閉じて退出すると、主人とマディンの二人だけが残される。


「こんな時間にどうした?」


 掛けられる青年の声に、マディンは 「こちらを」 という言葉を添え、手に持っていた銀色のトレイを両手で差し出す。

 食事の配膳に使われるほど大きな物ではないそのトレイは、載っている手紙に丁度いいサイズをしている。

 そのトレイをマディンは、白い手袋をはめた両手に捧げ持ち、主人あるじに差し出している。


 一通だけ、トレイに載せられた封書は風雨にでもさらされたように酷く汚れて傷んでおり、表に書かれた文字もインクが滲んでいる。

 それでも辛うじて読めた宛名は 『リジー・マディン』 となっている。

 表書きを一瞥した青年にも読めたはず。

 彼は少し面倒臭そうに手を伸ばすと、すでに封が切られた封筒から中身を取り出してみる。

 だが入っていたのはまたしても封筒である。


 外側よりほんの少し小さいその封筒はまだ封が切られておらず、表書きはない。

 差出人を確かめるべく裏を返してみれば、隅に小さく 『クラウス』 と書かれているだけだったが、その文字を確かめた青年は改めてマディンを一瞥する。

 だがマディンは表情を変えることもなければ無言のまま。

 青年に差し出したトレイを捧げ持ったまま、不動の姿勢を保っている。

 そのトレイに載せられていた、装飾の施されたペーパーナイフで封を切ってみれば、ようやくのことで便せんが現われる。


 封筒に入るよう折りたたまれた紙は市中に多く出回っている安いもので、色も少し黄ばんでおり、手触りもザラリとしている。

 手早く広げてみた便せんは一枚きりで、紙面には、白っぽい絵の具のようなものを使い、五芒星と円から成る魔術陣が筆で描かれていた。


「……手のこんだことを好まれる方なのか?」

「わたくしはあまりクラウス様のことは存じ上げませんが、とても頭の良い方でいらっしゃると、先々代様から伺ったことがございます」

「確かに頭は良いな。

 この方法ならば、少なくとも父上には読めぬからな。

 さぞ父上には嫌われたことだろう」


 青年は端正な顔を皮肉げに歪めてそう呟くと、「まぁいい」 と言葉を継ぐ。


「少し離れていろ」


 返される二枚の封筒をトレイに受け取ったマディンは、心得たように青年との距離を置く。

 それを待って立ち上がった青年は、広げた便せんを両手に捧げ持って低く呟く。


「alu ……」


 次の瞬間、青年の足下に、便せんに描かれたものと同じ魔術陣が表われる。

 すぐにそれは放った光で筒を創り、中に青年を閉じ込める。


「風よ、世界を渡る風よ、御身おんみに託されし風のを我に届けよ。

 遠方おちかたより御身おんみに預けられしことを我に聞かせよ」


 青年の呼び掛けに応じるように、紙面の魔術陣が光を帯び、やがてキラキラとした光の粒子のようなものを放ち始める。

 それは足下の魔術陣が作り出す光の筒の中を、ゆっくりと漂いながら、弾けながら、耳だけでなくなく全身に、人の言葉ではない形で託された言葉を青年に伝える。

 やがて全てを伝え終えたのか、二つの魔術陣はほぼ同時に光を失い、舞っていた光の粒も消え、寝室は元の薄暗さに戻る。


「……なかなか興味深い方法だな」

魔宝石まほうせきを使わないというのは、確かに珍しい方法でございますね」


 ことの魔術で展開される魔術陣。

 その大きさを知っているマディンは外円を踏まない位置まで下がっていたが、改めて椅子に掛ける青年が、話しながら便せんを折りたたむのを見て、その傍らへと位置を戻す。


「通常は媒介にする魔宝石の魔力で底上げをするものだが、それがない分、術師自身が魔力を補わなければならないのが難儀なところではある。

 父上がはべらせているような、安い魔術師どもには到底出来る芸当ではない」

「クラウス様が白の魔術師であられたことはわたくしも存じ上げておりましたが、どの程度の術師であられたかまでは……」

「なかなかに謎の多い方のようだな」


 青年は話しながら、マディンが捧げ持つ銀のプレートから内側の封筒を取り、折りたたんだばかりの便せんを差し入れる。

 そして再び封筒をプレートの上に戻す。


「しかしこの方法であれば、物理的に陣を描いているため、何度でも再生が可能らしい。

 もちろんその都度、必要な魔力の全てを術師が補う必要はあるようだが」

「クラウス様が編み出されたのでしょうか?」

「だとすれば、使われている絵の具のようなものも、クラウス殿がご自身で創り出されたのかもしれない。

 ルクスに話せば興味を持つだろう」

「ルクス様はご研究熱心な方でいらっしゃいますから」

「だが話すのはいずれ。

 当面手紙のことは他言無用。

 厳重に保管せよ。

 紛失するようなことがあれば、そなたであっても首が飛ぶと思え」

「心得ましてございます」

「明日の朝、セルジュとアーガンを呼んでくれ。

 今夜はもう下がっていい」

「かしこまりました」



【リジー・マディンの呟き】

「クラウス様、お懐かしいお名前です。

 ですがあの方の存在は、白の領地ブランカを揺るがしかねません。

 何事もなければよろしいのですが……」

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