第5話 楽しみな高校生活 リュート編

「とりあえず、婚約解消が回避できて良かった」


 クレハがフラウレン侯爵とともに帰った後、夜。

 夕食を終え、寝る支度を整えた俺は、自室で一息ついていた。

 読書机の前に座っているが、本を読む気分にはなれない。


「けど、結局言い合いになったな……」


 最悪の状況は避けられたものの、前世と同様に、俺とクレハはすぐに口喧嘩をする関係になってしまった。

 以前のような仲睦まじい関係でなくなったことは残念だが、クレハの前だとつい素直になれずに言い返してしまうのだ。


「前世の紅羽は黒髪美少女って感じだったけど、クレハの姿でツンツンしているのも……ギャップがあって正直ありだな」


 リュート・アークライトとして生まれてから一緒にいたクレハ・フラウレンについての記憶を振り返ると、いつも自分の近くで柔和な笑みを浮かべていた、優しい女の子という印象が強い。

 あの頃のクレハがどこかに消え去ってしまったわけではない……と思いたい。

 優しい笑みを浮かべる姿とツンツンした姿、どちらもクレハであり紅羽なのだ。

 きっとあの笑顔は、好きな人に対してだけ向けられるものなんだろう。

  ……それはつまり、今の私は好かれていないという意味なんだけど。


「クレハの笑顔が見られないのは残念だけど……これから改めて関係を築いていけば良いよな」

「おや、喧嘩でもされたのですか」


 不意に、後ろから声をかけられる。

 メイドのネリーがお盆を持って立っていた。

 お茶を持ってきてくれたようだ。


「ネリー……いつの間に」

「ノックをしてもお返事がありませんでしたので、一言断ってから入ったのですが……どうやら考え事に夢中になっておられたようですね」


 ネリーは机にカップを置いてから、表情の読めない顔でそんなことを言う。


「ありがとう。考え事か……まあ、そんなところだ」

「クレハ様との関係は良好かと思っておりましたが、たまにはこういうこともあるのですね」

「人が悩んでるのに、呑気な言い方だなあ……」


 淡々と言うネリーに、俺は愚痴っぽく呟く。

 俺とネリーは主従ではあるが付き合いが長く、ちょっとした軽口を言い合えるくらいの関係だ。


「正直、リュート様が恋の悩みを抱える日が来るとは思いませんでした」

「恋の悩みって言われると少し恥ずかしいけど……まあ、合ってるか」

「クレハ様と何かあったのですか? 私でよろしければ、お聞きしますが」


 そう言うネリーは、相変わらず無表情だ。

 幼い頃から彼女の世話になってきた俺にとって、ネリーは家族同様の存在ではあるが、彼女に感情の機微が分かるんだろうか。


「ネリーって、恋愛したことあるのか?」

「ええ。将来を誓い合った恋人がおります」

「え、そうだったの!? どこの誰だ」


 姉同然の存在が惚れた相手というのが誰か、気になるところだ。


「名前はニールと言って、この屋敷で警備兵をしています」

「ああ、あいつか……」


 門番をしているので、よく見かける。ネリーと同年代くらいの男だったはず。

 ネリーの話も詮索したいところだけど、今は自分の悩みが優先だ。 


「そういうことなら、分かった。恋愛の先輩として相談させてくれ」

「はい、喜んで」


 小さくうなずいたネリーに対して、俺は説明を始めた。

 些細なことがきっかけでクレハと喧嘩をしたこと、それがきっかけで婚約解消されるかもしれないと思ったこと、でも結局婚約関係は継続すると約束したこと。

 微妙に関係が拗れてすぐ口喧嘩するようになってしまった。

 と言った具合で、前世の記憶について以外はほとんど全てを話した。 


「ははーん、惚気ですか」

「いや、どうしてそうなるんだ。こっちは真剣に悩みを相談しているんだが」


 それもだけど、ははーんって。

 ネリーがそんな砕けた口調で話しているところは、流石に初めて見た。


「なんだかんだとおっしゃっていますが、結局クレハ様のことがお好きなのでしょう」

「その通りではあるけど……問題はクレハの気持ちだろう」

「お話を聞いた限りでは、その点についても問題ないかと」

「本当に問題ないなら嬉しいけど、何を根拠に言ってるんだ」

「とにかく、お二人も多感な時期ですから。痴話喧嘩をすることだってあるでしょう。こういうものは、時間が解決してくれます」


 ネリーは太鼓判を押してくれるが、細かい説明はしてくれない。


「時間が解決してくれるって言ってもなあ……取り急ぎ、今はどうしたらいいんだ」

「春から高等部に進学されたら、三年間はこの屋敷を離れて寮で暮らすことになります。学生生活の中で、一緒に過ごす機会も増えるでしょう」

「確かに……その中でまた仲良くなればいいってことか」

「はい、そういうことです」


 クレハは家のために婚約関係を維持すると言っていたので、現状は政略結婚のような関係に逆戻りしてしまった。

 だとしても、高等部での学園生活の中で、紅羽の記憶を思い出したクレハとも改めて仲良くなればいい。

 まずは素直になることを目指して、ゆくゆくは恋人に……。


「……そう考えると、新学期が楽しみになってきたな」


 心躍らせる俺の横で、ネリーの表情は動いていなかったが、少しだけ笑っているように見えた。


◇◇◇


前回のあとがきで昼に更新すると言ってましたが朝にも更新しちゃいました。

お昼の12時ごろにも更新します。

次回はクレハ視点です!

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