ギルリート・ヴァルフレアは全て凌駕する。
渦目のらりく
第1話 狂った世界の煮詰まりきった深淵で
ギルリート・ヴァルフレアは全て凌駕する。
第一章 絶望に咲く華麗なる高貴
私達はただ、生きることに必死だった。
ある日、ある時、山が吹き飛び、海が干上がった。それが第三次世界大戦に置ける最終局面――“核兵器”の応酬による結果であった事を、私達はずっと後に知った。
貧しい資源。僅かな食料。焼けた大地。衰退した文明。荒廃した世界……
人類滅亡の危機を目前にしながら、僅かに生き残った人間達は、助け合うのではなく、奪い合う道を選んだ。
暴力が暴力を呼び、いとも簡単に奪われる命。騙し、貶めて昨日の友を食い物にする。そうで無ければ生きられなかった。
尊厳、倫理――そんなものは、力だけが物を言うこの暴力時代に置いて、遥かな昔に擦り切れてしまっていた。
「あーヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!! ガキだぜガキ、女だ!」
見るに堪えない醜い男が、私達の隠れていた地下シェルターを暴いて無理矢理に引きずり出す。目前に突き出された舌から放たれる汚言。悪臭を放つ赤い舌ベロが、脇に抱えた私の頬を舐める。
「こんな時代に産み落とされるなんて、なぁ〜んて不憫なガキなんだぁ〜! ヒャ一っ!! 何処ぞの金持ちか、俺たちみたいなならず者に、一生使いまわされるペットにされるだけなのによぉ、あ〜可哀想だ、ふっへぇエエエ!!」
けれど私は抵抗を示さない。裸同然の奇怪な格好をした男達に連れられ、されるがまま、足の悪いジークと一緒に荒涼とした砂地に転がされた。
「見付けちった〜 ヒュぇえ! 俺って冴えてる! 土に隠れたモグラの巣を掘り起こしてやったぜぇ!」
見るからに頭のネジの抜けていそうな屈強な男が三人、私とジークを嬉しそうに見下ろす。私達を担ぎ上げてきたハゲ頭の後ろで、二人の男はニヤニヤしながらオフロードバイクに跨っていた。
すると日差しを反射したハゲ頭が、いやらしい目付きで私を眺め、懐から取り出した酒瓶をあおって臭いゲップをした。既に酔っているのだろう、悪臭を放つ口元から上、その眼球はうつろで、気が大きくなっている事が見て取れる。
「ゲェへへへへへ……なぁオメェら、汚ねぇオッサンは適当に始末するとして、このメスガキは俺たちのペットにしようぜ」
「おいおいマジかよボルガノ。それマジで言ってんの?」
「お頭にバレたら生きて帰れないぜ俺たち」
「ダァってようぉ……見ろよお前ら、このガキのツラを」
私の頬を太いゴツゴツとした指先が掴み、そっぽを向いていた顔を強引に振り向かされた。私が認めたのは、口元に下卑た薄ら笑いを浮かべ始めた、男たちの欲望だった。
「透き通った白い肌、大きくて吊った美人の目、一口で食っちまえそうな小さな顔に凛々しい眉、艶めいた薄茶色の髪ぃぃ……ぅうへへへぇ、お前らが興味無いってんなら、俺が一人でぇ」
何を言うでもなく、ただ足元の砂を見下ろしていた私は、隣から啜り泣くかのようなか細い声が発せられ始めたのに気付く。それが私を赤子の頃から庇い、介抱し、育て上げてきたジークの声だと言うことは、言うまでも無い事だった。
「お待ち……お待ち下さい。
砂に塗れ、自らで立ち上がる事も出来ない白髪の中年、そのみずぼらしい姿に、嘲笑めいた三人のならず者の視線が差し向いた。バイクを降りた彼らはわらわらとジークの周囲に群がり、また下品な声を上げ始める。
「勇敢なる御三方だってよぉ、分かってんじゃんこのおっさん ヒャほおおお!」
「どうか、お聞き下さいませ。この子……アリアは何も知らず、口も聞けない哀れな子なのです。十二年前、私が荒んだ工業地帯に捨て置かれていたのを見付け、密かに育て上げてきた子供です」
するとハゲ頭の背後から、派手な赤髪の男が野次を入れる。
「捨て子かよ。それでもよ、子供は全員ハイドさんの所に献上するってのがここいらのルールだろうがよ」
それに続くのは、ヒゲの革ジャン男。憎たらしい表情で舌をチロチロと出し入れしている。
「今の時代じゃ人間は残り少ないんだ。助け合って生きていかなくちゃあなぁ。ペットになるか兵士になるのか奴隷になるのか、一度ハイドさんの目を通して決めて貰わなくちゃあ。お前集団生活を乱してるよなぁ? おっさん」
苦い顔をしてゴクリと唾を飲み下したジークは、四つん這いになった姿勢のまま冷や汗を垂らしていた。そうして額を大地に擦り付けて平伏の意を示す。
「どうか……後生ですから、アリアはお見逃しください。その子は親の顔も知らず、こんな時代に望んで生まれてきた訳でも無いでしょう。それに、この子に罪は無いのです。何も、何一つも……無垢なのです。ただひたすらに純で汚れも知らぬのです。……どうか、どうかここはお見逃し下さい。お慈悲をどうか」
顔を見合わせ、笑い合う男達。ジークは額を砂に擦り付けたまま身動きもしない。
「おいおっさん。こーんなかわいい娘を独り占めして、虚しい人生を慰めようってのかよ」
「年甲斐もなく元気じゃねぇかぁ! まぁ、この時代に娯楽なんてもの他にねえもんなぁ」
ジークはどうして、こんなゲス共にへりくだっているのだろう。私のことなんて気にせずに、思い切り言ってやればいい。「クソ野郎」って。どうせ最後なのだから。
ジークの言った通りだ。私はこんな悲惨な時代に、望んで生まれてきた訳じゃない。なんの希望も無いこの絶望の世界に、輝かしい希望は一つも見出せない。ましてや女に生まれたとあっては、私はもう男共のオモチャにされるより他が無いのだ。私は醜く下品な男達を満足させる為だけに、生まれてきたのかもしれない。
弱者。力の強さだけが全てを支配するこの野生時代に置いて、女の私は、ヒエラルキーに置いて最底辺の存在。
――そんな人生、こんな絶望の世界に、生きてなんかいたくはなかった。生まれたくもなかった。親の顔も知らない。お腹がいっぱいになったこともない。落ち着いて眠れた夜はない。上を向いて歩いた事がない。モグラの様に、陽を避けて土の中で息をし続けてきた。
何の為に? 分からない。分からない。ワカラナイ。
ヒゲの長い男が二ヘラと笑って、私の頭を乱暴に掻き乱した。特に動揺をする訳でもなく、冷めた瞳を続ける私に男は眉をしかめる。
「何だぁ、このガキ。壊れてんじゃねぇのか? 泣いたり喚いたりしねぇのかよ、あ?」
拳で顔を殴り付けられて、私は鼻血を出した。だけどつまらなそうに男を見上げてやる。そんな風に痛め付けても全然効果は無いぞと、無言の抵抗を示す。
「チッ、感情がねぇってかぁ? あーあー可哀想でちゅねぇ、悲劇の私はその境遇に考える事を止めました〜って?」
次の瞬間。殺意のこもった男の視線を目前に、私は胸ぐらを掴んで吊し上げられていた。目と鼻の先にある暴力の恐怖と、冷酷を思わせる獰猛な視線に……
「……ぅあ……ぅう…………ぇ、ぇぇぇ……っ」
「なぁーんだぁ、分からせてやろうと思ったのによう。もう感情を取り戻しちまったのかよ」
腹の底から込み上げた、竦み上がるしかない恐怖に。私は情けの無い嗚咽と共に、咽び泣いていたのだった。
怖い、怖い怖い、恐ろしくて堪らない。目前に見る獣の眼光が、私の全身を芯から震え上がらせた。目前に見る本物の悪意は、かくも恐ろしいものだと私は驚愕する。
するとそこでハゲ頭が、ヒゲの男の頭を空き瓶でブン殴った。キラキラと砂に舞う瓶の破片の下で、男が流血するまま大地に伏せる。
「お〜い、おいおいおーい! 俺のペットに傷をつけてんじゃねぇよぉ、ぶっ飛ばすぞテメェ!」
常軌を逸した彼らのやり方に、私は膝元に倒れ込んだ男を見ながらガタガタと震えた。もう声は出なかった。
必死極まるジークの声が、さらにと過激に繰り返され始めた。
「お願いです! 食料は全て差し上げますし、私の命はどう弄んで頂いても構いません! どうかアリアだけは、その子だけは!」
――やめてジーク。そんな事を言わないで。私にとって父親同然である貴方の存在が全てなの。ずっと、物心付いてから今日まで、この腐った世界に私がしがみついてこられたのは、貴方という存在があったから。辛く悲しい暴力や、悲惨な現実に膝から崩れ落ちても、私が今日まで生きて来られたのは、暗がりの中、ランプ一つで貴方と過ごす、あの温かな日常があったから。貴方が死んでしまったら私は、私は……
貴方が死ぬなら、お願いだから、私も一緒に死なせて欲しい。もうこんな悲惨な世界で、私も生きていたくなんか無いから。
「はぁ〜〜? お前の命ぃ?」
「イラねぇえええええええ!!! ヒャクァアアアアアアア!」
ハゲ頭は赤髪と一緒に、ジークを見下ろしたままヘラヘラしていた。そして突然、彼の横腹を蹴り上げて仰向けにひっくり返す。
悶絶するジーク。悪い足を引きずってのたうち回る彼に、私は絶句するしか無い。いよいよ始まった惨劇の始まりに、私は来るべき未来を予測してしまって涙を流した。
「あが……どうかっ、ゴボッ、どうかお願いしま……天使様が、貴方方を見ています……ッ」
「あ? 天使様だぁ?」
「聞いたかボルガノ! こいつら今どき天使信仰なんて遅れたもんを信じてやがるぜ!」
「天使信仰だぁ〜? 知らねぇなぁ」
「知らねぇのかよこのハゲェ、架空の世界の九人の天使だとかを信じてんだよコイツらはぁ、エデンがどうとか生命の樹がどうだとか、キリスト神話から派生した眉唾宗教だよぅ」
「天使様、どうかお救い下さい……私はいい、アリアを、幼き無垢子を……どうかっ」
踏みつけられ、殴り付けられ、棒で殴打される父の姿が、余りにもショッキングに繰り返される。優しかったジークの顔が、穏やかだった彼の口調が、次第に必死になっていく。胸から下げた赤き石――天使信仰に置けるタリスマンを握り締めて、ジークは懇願する。血に濡れた必死の形相に涙を浮かべて。
「お願いです! お願いデズ……っ!!」
「ああ〜もう飽きて来ちまったなぁ」
「もう殺しちまおうぜ、ボルガノ」
――“殺す”。あまりにも淡々と、まるで自ら達が神であると思い上がったかの様に当然に、言い渡された断罪の言葉。
醜く笑うこの男達に、一体何の権利があるというのだろう。力に支配されたこの世界には、もう神は不在なのだろうか?
私とジークの積み上げてきた、あの眩い記憶と尊い時間。その全てが暴力によっていとも容易く狩り取られる。終わらされる。敬愛すべき命の全てが、記憶が、時間が、ただ一瞬の閃光によって一方的に終わらされる。
キラリと光る刃を見た時、私は口元に手をやって、顔を凍り付かせた。髪を掴まれ、血塗れの顔で私を見詰めたジークに気付き、掠れる彼の声を聞く。
「祈りなさい、アリア……信じなさい」
「ヤハァアアまぁだ言ってるぜこのおっさん!」
「気味が悪いぜ、とっとと殺っちまおう!」
「天使様を! この狂った世界の底に置いても――ギルリート・ヴァルフレア様の存在を!!」
雄叫びにも似た、命の最後の咆哮に。私は彼の手から転がってきた赤い石を胸に握る。そうして祈る。心の底から。もし本当に天使が居ると言うのならば、私の全てを、何を明け渡してもいい……ただ、ジークを救ってと。
首筋に近付いていく、無骨なナイフの煌めきを前に、全身全霊で祈った。
……本当にそこに居ると言うのなら答えて。実在すると言うのなら、お願い……
――天使様……ギルリート・ヴァルフレア様ッ!!!
「あーあ〜あんまり暴れるもんで、服に血が付いちまった」
「汚ねぇなぁ、汚ねぇ、帰ったらたーんと洗わないとな」
明後日の方角を向いた正気の無い白の顔が、私の膝頭に当たった。あんなに愛おしく、私の心の全てを埋め尽くしていた最愛の顔が、今足元に転がり、首から鮮血を噴き上げるこの顔と一致しない。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!!」
――神なんて居ない。
――慈悲なんて無い。
――希望なんて無い。
この絶望の世界に、狂った世界の煮詰まった深淵に、射す光明なんて無い。
――――天使なんて居ない。
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