9.優花と子猫

「何とかしてあげうようよ……」


 黒い瞳をした優花が、水色の目の子猫を抱きながらタケルに言う。タケルが頭を整理する。



(今の優花は俺のことを何とも思っていない優花であり、猫が水色の目をしていたのはただの偶然。そこまではよし、と……)


 頭の整理をしたタケルが言う。



「何とかしようって、どうするの?」


「助けてあげたいの……」


 黒目の優花では決して見せない表情。明らかにひとりではどうしていいのか分からず助けを求めている。



「とりあえず寒そうにしてるみたいだから、しっかりと温めてやった方がいいぞ」


「あ、うん。そうだね」


 優花は手の中で震えている子猫を隣にしゃがんだタケルに預けると、自分の首にかけていたマフラーを外して子猫を包んだ。



「ええっと、ちょっと待ってな」


 そう言ってタケルがスマホを取り出しネットで調べ始める。



「まずは獣医に診せた方がいいんだって」


 保護した子猫は一旦動物病院で健康チェックなどを行った方がいいらしい。



「なるほど。確かこの近くにあったはずよね。行こ!」


「え? あ、ああ。分かった」


 優花は片手で子猫を抱きながら、驚くタケルの腕を掴んで歩き出す。



(必要とされているんだよな、俺……)


 黒目の優花に初めて必要とされていることを感じ、タケルはその後ろ姿を見ながら少し嬉しくなった。





「はい、ではお会計は18,000円になります」


 動物病院では健康チェックのほかに、感染症対策、ノミダニの駆除など一通りの処置をしてくれた。見た目よりずっと健康であり安堵したふたりであったが、保険も何もない子猫なので診察料は予想よりも高い。



「あ、はい……」


 反応で財布を取り出したタケルを優花が手で制して言った。


「ここは私が払うわ」


 そう言ってさっと診療代を払う。ちらりと見えた財布の中には結構な額が入っている。



(優花の家ってお金持ちだったかな……?)


 タケルは小学生の頃の記憶を思い出すが、彼女が金持ちかどうかなんて全く知らない。



「良かったね、問題ないみたいで」


 動物病院を出た優花がタケルに言った。

 目の色は依然黒。好意的な優花ではないが、この状況でひとりじゃないことに感謝しているようだ。タケルが尋ねる。



「それでどうするの? さっき貰った紙にあった動物愛護団体とかに預けるの?」


 ふたりは動物病院で捨て猫などを保護してくれるボランティア団体などが書かれた紙を貰って来ていた。それを聞いた優花が首を大きく左右に振って答える。



「やだよ、そんなの。この子は私が飼うから……」


 そう言ってタオルに包まれた子猫を撫でて言う。


「家で飼ってもいいのか?」


 子猫とは言え実家暮らしの優花では、持って帰って飼うとなると家族の了承がいる。



「うん、これから帰ってお父さんに聞いてみる。ありがとう、一条……」


 そう言った優花の言葉には力がない。



「ああ、そうか。分かった。頑張れよ」


 優花はその言葉に頷いて軽く手を上げると暗くなった道を家に向かって歩き出した。






「ただいま……」


 優花が暗い道を歩いて自宅へと帰る。

 この辺りで名家と言われる桐島家。広い庭と名家に相応しい立派な豪邸。優花は靴を脱ぎ玄関を上がると、キッチンにいた母親に挨拶をした。優花に気付いた母親が言う。



「おかえり、優花。遅かった……、あら、それは何?」


 母親は彼女の腕に抱かれている子猫に気付き驚く。優花が小さな声で言う。



「あの、今日道で拾ってね。可哀そうだから、うちで飼えないかなって思って……」


 そう言う優花の声に力はない。母親が少し困った顔をして言う。



「うーん、生き物を飼うって言うのは大変なことだよ。ちゃんと面倒みられるの?」


 母親の問い掛けに優花がしっかりと答える。



「だ、大丈夫よ!! 私、絶対面倒みるから!!」


「そう、なら母さんはいいと思うけど、お父さんがねえ……」


 母親はちょっと難しい顔をして言った。そこへ娘の帰宅に気付いたその父親が現れる。



「何やってたんだ優花。こんな時間まで……」


 そう言い掛けた父親の目に優花が抱く子猫の姿が映る。



「なんだ、それは?」


 父親が子猫を睨みながら言う。



「拾ったの、道で。ねえ、お父さん、うちで飼ってもいいでしょ?」


 優花が懇願するように言う。


「道で捨てられていて、震えていて、病院にはもう連れて行ったから健康は大丈夫で……」



「何を言っている」


 優花の言葉を遮るように父親が言う。


「お父さん……?」



「馬鹿なことを言っていないで早く捨ててこい」



(え?)


 優花の体から力が抜ける。



「お父さん、私、ちゃんと面倒みるから!!」



「私は捨ててこい、と言ったんだ」


 冷たい声、表情。

 助けを求めて見つめた母親も黙って下を向いている。


「飼えない……、の……?」


「当たり前だ。そんなものうちには必要ない。それより先日お前に話した面談の件だが……」



 父親の言葉ですべてが決まる桐島家。既に父親の頭に猫のことなどない。



「お前の面談相手、うちの重要な取引先のお方で名家結城家のご子息だ。まあ、最終的な結婚についてはお前達が決めることだが、それを見据えてお会いして来なさい」



(面談? 結婚……?)


 優花はぼんやりする頭で、以前父親からそのような面談があると言われていたことを思い出す。優花の子猫を持つ手が震える。



「そんなことどうでもいいわ!! それよりこの子はうちじゃ飼えないの!?」


「ゆ、優花……」


 涙目になって叫ぶ娘を見て母親が名前を口にする。



「黙れ」



「え?」


 父親は小さな声で言った。



「何が『そんなこと』だ!!! どうしてお前は姉のようにできない? これは桐島家の将来にもかかわる事なんだぞ!!! 馬鹿なこと言っていないで、早く捨てて来て頭を冷やせっ!!!」


 父親は顔を真っ赤にして優花が抱く子猫を指差して言った。



「お、お父さん……」


 優花は涙を流しそのままキッチンを飛び出る。



「ゆ、優花っ!!」


 呼び止める母親に父が言う。



「放って置け!!!」


 そう一喝された母親が黙って娘が出て行ったドアを見つめた。






(だけど、優花のやつ。大丈夫かな……)


 自宅に帰り食事を済ませ部屋で寛ごうとしていたタケルが、先程の猫の件を思い出し心配する。


(あいつ、猫好きだったんだな)


 そう少し笑ったタケルの携帯が突然鳴り出す。



 ピピピピピピピッ


「え? あ、あれ、優花!?」


 それは先程別れたばかりの優花からの着信。慌てて電話に出たタケルに優花が涙声で言った。



「お父さんがね、お父さんがね、絶対飼うなんてダメだって言うの。どうしよう……」


 涙声。顔を見なくても泣いているのが分かる。


「それは仕方ないだろう。やっぱりさっきの動物愛護団体に……」



 そう言いかけたタケルに優花が言う。


「ねえ、出て来てよ……」



「出て来て?」


 言っている意味が分からない。話が通じないと気付いた優花がタケルに言う。



「今、一条の家のなんだ。出て来て、お願い……」



(え?)


 タケルは自分の部屋の窓から暗くなった外を見つめた。

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