第7話

西暦20××年10月××日


 綾瀬との宝飾店でのイベントをなんとか終えて、体育大会でその際の失点を挽回したはずの俺は、聖域で真面目に中間試験対策の勉強を行っていた。

 とは言っても、1%ノートのおかげで俺の暗記能力が飛躍的に発達してしまったために、真剣に覚える気で教科書を読み込めばほとんどの教科はそれで終わりだ。

 更に言えば、俺は日常である学校での授業中にも、教科書の内容を極力頭に詰め込む努力をしている。

 要は、俺の試験対策とは、そうした日常を過ごす中で発生する抜けの部分の、確認と補完の作業なのである。




 ここからは過日の話になってしまうが、九月の下旬に、俺は綾瀬を宝飾店に連れて行くことに成功している。

 ただし、綾瀬に俺らの年格好だと場違い感満載な目的地へ、同行して貰う口実の良い案が思い浮かぶことはなかった。

 そのため、俺はストレートに「俺の買い物に付き合って欲しい」と彼女に頭を下げたのだ。

 もう、正面からぶつかる突破方法しかないよね。


 俺らがお店の前に到着した時点で、綾瀬に「えっ? 買い物ってここで?」と、入店を少々渋られたのは些細なことでしかない。

 お堅い真面目系女子の彼女には、時に有無を言わさず手を引いて連れて行くような強引さも必要なのである。

 それが理由で嫌われないように、俺としては祈るばかりだ。


 入店後、戸惑いが残っている綾瀬は店主に促されるままに、さらっと指のサイズを測られ、俺の目的は達成された。

 あとは指輪のサイズ調整が済んだ後に、俺がブツを受け取りにくること。

 そこから更に、彼女に”婚約指輪”をプレゼントして受け取らせるという、困難かつステキなイベントが待ち受けている。

 要するに正式なプロポーズだな。

 俺の人生における、一大イベントのひとつとなるはずだ。

 まぁ、既にそれっぽい発言を済ませている気がしなくもない。だが、ロマンチックなプロポーズは乙女の夢だとネット情報にはあった。

 ならば、俺はそれを行わねばならない。

 それに間違いはない。

 マストでビィなのである。


「もう。いきなりあんなところへ連れて行くなんて! 一郎君は一体どういうつもりなの?」


 無事に退店することができ、帰路に就いた俺たちだが、その道中に綾瀬はお怒りモードで話しかけて来る。

 まぁ、やり方が強引だったのは事実だから、これは仕方がない。

 感情には理論で対抗し、宥めるか誤魔化すかを頑張るべきだ。

 少なくとも、俺にはそれぐらいしか思いつかない。

 よって、ここは理論的な奇襲作戦を選択しよう。


「『どういうつもり?』って言われても。雅に指輪のプレゼントをするのに、サイズがわからないと困るじゃん」


 この時、俺は初めて綾瀬のことを、姓の「綾瀬」ではなく「雅」と、下の名前で呼び捨てにした。

 突然の下の名前呼びに、綾瀬は目を丸くする。

 俺的には呼び方を変更にちょっと面映ゆいモノがあるが、いつかは通らねばならない道だった。

 ならばそれは、このタイミングしかないと思ったのだ。

 どうやら、奇襲は成功のようで。

 俺の決断、「今、この時」は正解だったよ。

 彼女のお怒りも和らいだみたいなのでやれやれだ。


 ちなみに、綾瀬は俺の家に来る機会が増えたことで、在宅中の母さんとの呼び分けの意味もあって、学校以外では俺のことを「一郎君」と呼ぶようになっている。

 だからと言って、彼女から特に下の名前呼びへの変更を求められたわけではない。

 けれども、なんとなく「不公平だ」と感じている様子が彼女側にあるのを、気づいていたが故の今である。


「なんかね。いろいろといきなり過ぎない? 私の頭がパンクしちゃうよ」


 ポカリと俺の胸に軽く拳骨を当てて来た綾瀬の顔は真っ赤だ。

 とても可愛い。

 こんな子を嫁にしたい。

 って、俺、もうほぼほぼプロポーズしてたわ。


 用事が済んだ俺たちは、何となくの流れで俺の自宅へと向かっていた。

 目的は、いわゆる自宅デートというやつである。


 そうして、俺らは俺の自宅のリビングで、お茶をしながらのトークタイムに突入したんだ。


「今の時点では俺の母さんしか知らない、絶対に内密にして欲しい大事な話があるんだけど」


「えっと。その。それは私が聞いて良い話?」


 唐突な俺の発言に、綾瀬は問いを返しながらも、身構えるように姿勢を正した。

 大事で真面目な話なのを、きちんと理解してくれている様子は嬉しいね。


「うん。是非とも聞いて知っておいて欲しい。だけど、母さんと雅以外には、誰にも知られたくない。それは雅の親御さんも例外じゃない」


 綾瀬は俺に音が聞こえるかのように、ゴクリと唾を飲み込んだ様子だ。

 真剣な面持ちであり、緊張が伝わって来る。


「それは真面目な話なんだよね? お付き合いしている彼女として、聞くべき話ならして欲しいな」


「うん。ものすごく真面目な話。今日あの店に雅を連れて行ったのは、婚約指輪を買いたかったから。後日正式にプロポーズをするので、覚悟しといて」


「えっ? でも、だって。以前、『将来のことは、一郎君が妻子を養える立場になってから』って」


 綾瀬の言葉を受けて、俺は黙って銀行の預金通帳を開き、彼女に残高を見せた。

 そこには、当然だが宝くじの当選金が振り込まれた時の、億単位の数字が記載されている。

 もちろん、引き出した分の数字は減っているけど。


「これ、一郎君のお金なの?」


 信じられないものを見た顔つきというのは、このような表情を言うのだろうか?

 綾瀬の表情は驚きで固まっていた。

 少なくとも俺の視点ではそう見えていた。


「そうよ。雅ちゃん。この子ったら、運が強いのかしらね? 普通のサラリーマンの生涯年収の、倍以上の金額をこの歳で手に入れちゃってるのよ」


 キッチンでおやつのホットケーキを焼いている母さんが、背を向けたままで口を挿んだ。


「秘密にして欲しいことって、これなの?」


「うん。大金は人の悪意を呼び寄せるから。もしも、この秘密が母さんか雅の口から外部に漏れるのなら、それは俺の人を見る目がなかったってことで諦めるけど。で、この件。内密にして貰えるかな?」


「わかったよ。じゃあ婚約者として、よろしくお願いします。お義母さまも、よろしくお願いします。あ、でもプロポーズはちゃんと改めてしてね?」


 綾瀬の表情には、いろいろな感情が入り混じっているように俺には見えていた。

 驚きや怒り、嬉しさ、俺への好意、将来への漠然とした不安といったところだろうか?

 もちろん、俺は彼女に限らず、他者の心の内を正確に洞察することなんてできやしない。

 あくまで、勘のようなものである。


「雅ちゃん。こんな息子ですけど、見捨てないであげてね。貴女のような可愛い娘ができるのは私的に大歓迎よ。こちらこそよろしくね」


「はい。よろしくお願いします。ところで一郎君」


「何かな?」


「今日の強引なアレコレに、私が怒ってる部分があるのは、気がついているよね?」


 雅さんはオコであるようだ。


「はい。すみませんでしたー。この失点は、体育大会で必ずや良い所を見せて、姫に惚れ直していただく所存でございまするー」


 怒りをそらす目的もあって、俺はおどけた口調でおふざけ交じりの言葉を放った。

 これでダメだと、次点案がない。

 頼むからこれでなんとかなってくれ!


「そう。じゃ、その時に見せて貰う。一郎君の運動能力の実力とやらを」


 お互いに、噴き出して笑い顔に変わった後、しばしの雑談の後で解散となった。

 もちろん、綾瀬を家まで送って行くのは彼氏の当然の義務である。


 その日はそうして終わり、後日の体育大会で、俺が綾瀬に雄姿を見せつけることに成功したのは既定路線であった。

 本当に1%ノート様様だ。


 実は試験勉強をしている今日は、十七時前に完成することになっている婚約指輪を受け取れる日でもある。

 時間になれば、俺はターボ付きの全力ダッシュをするつもりだ。

 なんなら、世界記録も真っ青なスピードが出るかもしれない。

 いや、いくらなんでもそれはないか。


「俺の嫁取り計画は、あと少しで完成じゃ~」


 いつか叫んだようなセリフを、今日も今日とて俺は聖域で叫ぶ。

 いつものように夕食の支度をしてくれている母さんは、おそらくまたかと呆れつつも、聞こえていない振りをしてくれるはずである。

 そんな素敵な母さんが、俺は大好きだよ!


 錦秋きんしゅうの候。

 とある一日。

 遂に婚約指輪を手にした俺は、最大の難関であるロマンチックなプロポーズについて頭を悩ませていた。

 俺には1%ノートとお金という力がある。

 だが、どう言ってみても現在の俺は中学一年生の子供でしかない。

 もう、ただの子供ではないつもりだけどね。

 できることに限りがある中で、俺はネットで情報収集をしつつ、頭脳をフル回転させて知恵を絞るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る