第5話

西暦20××年8月×日


 夏休みに突入し、お堅い真面目系女子である綾瀬とのプールデート(母さん同伴)も無事に終わった。

 事前予想を覆すことがなかった彼女のスクール水着姿を、俺がガッツリ堪能したのは言うまでもない。

 彼女はその日に俺の母さんとそれなりに打ち解けたせいもあって、以前にも増して、わりと気軽に俺の家にやって来るようになった。

 それ自体は良いことなのだが。

 とても良いことなのだが。

 でもですね。

 だからと言って、彼氏彼女のイチャイチャラブラブな空気が、発生するなんてことはなくてですね。


 ええ、ええ。

 わかっていましたとも。

 プールで母さんからお願いされたんですよね。

 綾瀬の我が家への来訪目的は、俺が夏休みの宿題を片付けるのを見届ける、いわゆる監視役なんでございます。

 これは、過去の俺が、夏休み終盤に纏めて宿題を片付ける派だったせい。

 そうした理由がちゃんとある来訪なので、さすがに俺の聖域で彼女と二人っきりなんてこともなく、俺たちはリビングの机を使用している。

 まぁ、そのおかげで、俺の宿題の方はもうほぼ終わりとなったけどね。

 監視ついでに、彼女はご自分の宿題とその他のお勉強もやっておられますが。

 真面目かよ!

 って声を大にして言いたいけど、最初から真面目女子だったわ。


「すみません。いつもお昼をご馳走になってしまっていて」


 この日の昼食は、夏らしく、ひやむぎを三人で食した。

 俺の家ではそうめんではなく、今は亡き父の好みだったひやむぎしか食卓に出てこない。

 デザートには、これまた季節感満載のスイカが出された。

 ちなみに、俺はスイカを食べるのに塩が欲しい派絶滅危惧種である。

 これがメロンだと、塩が欲しくはならないから不思議。

 まぁ、メロンには生ハムを合わせることもあるから、塩気が合わないってことはない気がするけれどね。


 尚、そうめんとひやむぎの違いをちゃんと知っていた綾瀬の博識さに、非常に驚かされたのは俺だけの秘密だ。


「良いの良いの。うちの愚息の面倒を見て貰ってるから、ささやかだけどお礼よ。あと、女の子が家にいるってのが華やかな感じがして私も嬉しいし。ちょっと気が早いけど、お嫁に来てくれても良いのよ? この子が相手じゃ、器量が良い雅ちゃんには不足かもしれないけどねぇ」


「あ、はい。将来のことはまだわかりませんけど。”そうなると良いな”とは思っています」


 綾瀬は俺の母さんの言葉に、顔を真っ赤にしながらもはっきりと答えた。


 それを聴いた俺の感想と言えば。


 えっ?

 俺って、もう綾瀬の心の内だと、結婚相手候補なの?

 マジか!

 この時の俺は「そうか、俺もだよ!」ってすぐにも言いたいのをぐっと堪えた。

 勢いで即座に言葉を被せるよりは、溜めがあったほうが効果的な気がするし。


 今日は驚かされることが、多い一日なのだろう。

 やられっぱなしってのもどうかと思うので、一呼吸の間を置いて、俺からもカウンターを放つ必要がある。


「俺も”そうなって欲しい”と思ってるから。是非とも、よろしくお願いいたします」


 隣に座っている俺は身体の向きを彼女の方に向けて、頭を下げて右手を差し出す。

 いわゆる、差し出した手を握って貰えれば了承されたことになる感じだ。

 堅物の真面目女子には、たぶんこういう発言と行動のセットが効く。

 俺の演出は完璧のはずだと信じたいところ。


「そういうことは、妻子を養える立場になってから言って」


 俺の頭をポカリと叩いて言った綾瀬を、俺は顔を上げて目撃する。

 そこには、茹蛸ゆでだこのように、更に顔を赤くした彼女が居た。

 可愛い!

 彼女の可愛いところを見ることができた俺は、調子に乗って追撃をかける。

 行ける時には行くとこまで行かないとね。


「そうくるか。それなら、『妻子を養える立場』の定義を明確にして貰わないとな」


「えっ? ええっ?」


 慌てふためく彼女は可愛い。

 だが、俺は容赦はせん。

 こんな状況、言質を取れるチャンスを、簡単に捨てるわけにはいかんのだ!


「平均的なサラリーマンの生涯賃金が、二億から三億円ってのを何かで読んだ記憶がある。なので、『妻子を養える立場』ってのは三億円を稼ぐか、稼ぐ見込みのある安定した職業に就いたらってことで良いかな?」


 母さんは、「この子は一体何を言いだすのかしら?」という、馬鹿な子を見る視線と思われるものを俺に向けている。

 けれども、それはこの際完全にスルーするに限る。

 何故なら、元々、この話題に持ち込んだのは母さんなんだからな!


「ええっと。今の時代、共働きも珍しくないし、そこまで厳しくなくても」


 中一の男女カップルのする会話じゃないよな。

 しかも、俺の母さんがいる目の前で。

 小学校を卒業してから半年も経たない中学一年生の分際ぶんざいで、将来の結婚や生活についてきっちり考えている人間などまずおるまい。

 綾瀬は当然そちら側の人間だろう。

 そんなことは百も承知だが、実は俺には大金が入って来る”可能性”があるのだ。

 だからこそ、この場では強気で押せる。

 そして、父が亡くなってから苦労した俺は、”まずおるまい”が当てはまらない側、すなわち、将来のことを考えられるリアリスト側に属しているのである。


「わかった。じゃあ俺がもし三億円を手にしたら、その時は婚約指輪を贈るね」


「一郎。そのへんまでにしておきなさい。雅ちゃんが返事に困ってるでしょう? 私も気が早過ぎる話題を振ったのが悪かったわ。雅ちゃんごめんね」


 母さんはさすがに見かねたのか、少々バツの悪さを感じさせる声音で俺を嗜める。

 そこで、ホッとした表情に変わった綾瀬は、直前まで少々困っていたのは確かであろう。

 俺は自分の発言に、後悔なんて全くないけどね。


「いえ。あの。一郎君が私のことを真剣に想ってくれているのが伝わってきましたので。突然でびっくりしましたけど、嬉しいは嬉しいんです。ただ、私たちにはまだ早いかなって」


 言質を取ることはできなかったが、俺が一方的に宣言した部分は有効である。

 そうした事案の発生により、その日の俺たちはちょっとギクシャクした空気になりはしたが、午後も宿題を続けた。




 苦行宿題を終えて、綾瀬を家に送って行った帰り道。

 俺は先日まで”一日一回、千円札を握りしめて三枚のくじを買う”という奇行を続けた宝くじ売り場のお姉さんと、視線が合った。

 その購入回数は、なんと二十三回にも及ぶ。

 顔を覚えられるのも道理というものであるだろうな。

 回数が中途半端な数字なのは、ノートに書けた日数が二十三日分しかなかったからだ。

 他に1%ノートに書きたいことがある時は、仕方がないよね。

 当時の俺にとってお金への優先順位は高くなかったのだから。

 今はもちろん違うけどさ。

 億単位のお金がなるべく早く必要な理由ができたからね。


 ちなみに、他に書きたいことの中で特に苦心したのは、所有権とノートに関する記憶を失わないようにする保険だ。

 これには本当に苦労させられたのだが、ここでは関係がない別の話。


 夏のジャンボくじの販売期間は終わっているので、しばらく購入することはない。

 ないのだが、連番三枚という珍しい買い方をする客は他にはたぶん居ないので、お姉さんにはガッツリと顔を覚えられているのだろう。

 ニッコリ笑顔で手を振って貰うと、なんだかまた買わなければいけない気がしてくるのはきっと罠だ!

 これは孔明の罠に違いない!


 1%ノートの力を信じるならば、確率的には約二十%の”一等の”当選確率がある。

 総投資額は二万七百円なり。

 八割は外れる計算だが、宝くじの販売は今回だけというわけでもない。

 ”何度か同じことを行えば、当たりの二割の確率が引けないことはない”と、俺は確信している。




「俺の嫁取りは、成ったも同然じゃ~」


 陽が落ちる前に帰宅した俺は、今日も聖域で叫ぶ。

 真面目な堅物なだけに、順序立てて外堀をきっちり埋めさえすれば、綾瀬は首を縦に振ってくれる気がするからこその叫びだ。

 夕食の支度をしている母さんは、いつもことだと、聞こえていない振りをしてくれるはずである。


 晩夏ばんかの候。

 とある一日。

 数日前に夏休みの宿題を全て終え、束縛から解き放たれた気分の俺は、超ドキドキしながら夏のジャンボ宝くじの抽選ライブ中継を見ていた。

 結果次第で、一世一代のプロポーズにまで発展する抽選なのだから、そりゃあそんな風にもなろう。

 お盆の時期は過ぎたが、綾瀬は祖父の家に泊まり掛けで出かけていて、俺は聖域で独りの時を過ごしていたのだ。

 発売日から、ノートに書くことがない時に書いていた、宝くじ一等当選の結果がついに出る。

 抽選が終わった後、俺は見事に引き当てた、一等と前後賞の当選券を握りしめていたのだった。

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