第3話

西暦20××年6月×日


 中間試験の結果が返却され、まずまずの成績に俺が顔を綻ばせた日だ。

 俺は無事に暗記能力を向上させることに成功したらしい。

 とは言っても、”成功しました!”と、1%ノートに表記されるわけでもないため、体感から結果を推し量るしかないのだが。

 ステータス表示機能とか、何かわかりやすいのありませんかね?


 確定で三十日継続抽選になる形式の書き込みは、お得だけど成立時点で書き込んだ内容が消えないため、効果の判別が難しいことに気づかされる。

 人によっては、「ノートに書いてあるルールをしっかり読んで、ちょっと考えればわかるだろ」と、言いたくなるようなことかもしれないが、意外と想像が及ばないことはあるものなのだ。

 少なくとも、俺は「そんな程度の人間」と言える。

 凡人だからね。

 いや、そこに自信を持ったらいかんのだろうけどさ。


 ま、それはさておき、元々、なんとなく記憶力の向上を体感はしていたのだが、試験の点数という形で結果がはっきり出るとこれはこれで嬉しいのである。


 この学校の定例行事があったことで、俺は試験対策の勉強をする際に、漠然と気づいてはいたのだ。

 なにしろ、教科書の記述や”普通の”ノートに自分で書き記した授業内容を、とある日付以降の部分について、かなりの割合で覚えていたのだから。

 たかが二倍、されど二倍の記憶力。

 なかなかあなどれないのであった。


 現在の能力を基準として暗記能力の百%UPする。


 以前に書き込んだこれを、三十一日目に再度1%ノートに書くことができた。

 そのため、定期試験の結果が出るまでは「体感は気のせいで、書き込みが失敗だったのかな?」と考えたりもしていたのだが、それはどうやら杞憂であったようだ。

 しかも、再度書き込めたという事実がある以上、「俺の暗記能力は成長の余地があることが証明された」と言える。

 これは素直に喜んでおくべき事柄だろう。


 これまでに、いろいろと達成したい願望を俺は1%ノートに書き綴ってきたわけだが、傍目にも明らかに状況が一変したのは、綾瀬雅が俺の彼女になったことだけだ。

 しかしながら、彼女は自ら俺に告白するという意外で大胆な行動に出たわりには、その後のお付き合いに関しての積極性はいまいちである。

 元々が「真面目気質の委員長タイプの典型」と言って良い少女であったせいもあるのだろうが、中学生らしい極めて健全なお付き合いでしかない。

 彼氏彼女の関係に発展してから、もう一か月にもなるのだから、「そろそろ手を繋ぐくらいの肉体的接触はアリだろ?」と考える俺が異常なのだろうか?


 そんなことをつらつらと考えていて、ふと気づいた。

 俺は気づいてしまったのだ。


 それこそノートに書けば良いんでね?


 書き込んでもその事象の発生率を一%の確率に押し上げるだけだが、逆に言えば、その一%しか存在しない可能性を引き当てることができた時には、その事象が必ず実現するはずなのだ。

 そこまでの考えに至った時、俺は即座にボールペンを手に取った。

 めっちゃ前のめりなのは、男の子なので、生暖かい目で見逃していただきたい。


「やる! やってやるぜ!」


 自宅の俺の部屋は聖域であり、俺にとって魂の安息を得られる場所だ。

 なので、誰かに聞かれたら赤面ものの言葉を、簡単に口に出すことができる。

 そうして俺は、意気揚々と1%ノートに書き込んだんだ。


 綾瀬雅は綾藤一郎とキスをする。


 おててを繋ぐ?

 お子様じゃないんだからさ。

 そんな段階を俺はすっ飛ばすね!


「って、なんでだよ!」


 書いた文字は三十秒で綺麗さっぱりと跡形もなく消えたよ!

 ちくしょうめ!


 つまり、なんだ?

 俺は1%ノートに「『彼女にした真面目少女とキスができる関係に三十日以内に発展する可能性がない』と証明された」と言うのか?

 そんな残酷な真実は、知りたくなかったよ!

 だが、俺は諦めの悪い男。

 次だ! 次!

 未来志向の俺は、こんな程度じゃへこたれることはない。


 自分のことを完全に理解しているわけでもないから、「じゃあ、どんな程度ならへこたれるんだ?」って聞かれても答えられないけどね。

 そのへんはお手柔らかにお願いします。

 ってことで、次行ってみよう!


 綾瀬雅は綾藤一郎と〇〇〇〇をする。


 書いた。

 俺は勢いに任せて、カタカナ四文字のパワーワードを書き込んでしまった!

 なんとなくだが、「アルファベットなら三文字だったな」とか、考えたりもしながらね。

 そうして、ドキドキの三十秒が過ぎるのを俺は待つ。

 しかしですね。

 この待ち時間が、何とも言えないくらいに焦らされるのだ。

 何とかなりませんかね?

 ダメなら即文字が消える仕様とかでも良いと、ワタクシめは愚考致しまするが!

 そんな益体もないことを考えていると、時間というものは過ぎるもので。


「なんでだよぉぉぉ」


 思わず大声で叫んでしまった。

 階下に居る母さんには、ここまでの大声だとたぶん丸聞こえのはずだが、あのお方は母親力が高いだけに余裕でスルーしてくれるはずである。


 母親力ってなんだ?


 俺が考えるそれは、ずばり、「振り向かないことさ!」であり、そう言い切ることを躊躇わないのであるけれども。

 ただし、「他所様に迷惑を掛けない範囲の息子の愚行に」という至極当然の条件は付くけれどな。


 まぁそれはさておき、俺が叫んでしまった理由なのだが。

 三十秒が経過したのに、なんと書き込みが消えなかったのだ。

 謎過ぎる。

 キスの可能性はないのに、その先はアリなのか?

 アリだと証明されてしまったのか?


 燦然と輝きを放っているなんて事実はない、1%ノート書き記された一文を凝視したまま、身動きひとつさえすることなく、俺は思考のみが回っていた。


「てか、どう考えてもやばいだろコレは。実現しちゃったらマジでやばくね?」


 一度書き込んでしまって成立してしまえば、最早取り消す方法がない。

 これがこの1%ノートの怖さであるのに、俺はこの時初めて気づいた。

 手持ちの修正液で塗りつぶすのを受け付けないとか、初めて知ったわ!

 何故かこれまで、全部ボールペンで書き込んでいたんだよな。

 鉛筆で書き込んで、消しゴムで消せるのかを、この時まで試してすらいなかった自分の考えなしさに呆れるばかりだ。

 たぶんダメだろうけど、その検証は明日にでも早速行ってみよう。

 二十四時を過ぎれば試せるのだから数時間待てばよい。

 だが、それはそれとしてだ。


「カイゼンを要求する!」


 言ったところで何がどうなるわけでもないのは、俺も理解はしている。

 それでも叫ばずにはいられない。

 知る人ぞ知る名曲の、ベステンダンクを無性に歌いたくなってしまうぜ!

 明日にでもカラオケに行こう。そう決めた。

 彼女を誘ってカラオケデートってのも良いかもね。


「興味本位で危険なことを書き込むと、『シャレにならん』ってのが証明されてしまったな! 世界の命運をこの手に握っている気分だ」


 これは例えばの話だが。

 ”核戦争が勃発する”とか、”大規模な自然災害が発生する的なこと”とか、書いたら消えるかどうかを確かめるなんてことは絶対にやってはならないのだろう。

 冗談交じりに口にした言葉は、最後の部分だけは気分なんて話じゃなく大げさでもなんでもない。

 本気でガチなのである。

 もっとも、”このノートの影響力が、本当にそこまであるのかどうか?”はわからないのだけれども。

 それを検証する勇気なんて俺にはないし、「そんなものはない方が良い」と思えるけどね。


「っと、危ない。そもそも、そういう方向に思考を向けること自体がやばい。今は大丈夫だけど、いつか『試してみたくなる欲求』ってやつに呑み込まれかねん」


 俺は聖域での自重を覚えた。

 人間的に成長し、レベルアップした気分である。

 そう言えば、運動面での身体能力の向上についてもこれまでにノートへ書き込んでいるが、そちらの効果を”確実に”実感することは未だにない。

 だが、「千里の道も一歩から」という言葉もある。

 超人にはなれないかもしれないが、小さな積み重ねが後々大きく実ると信じておこう。


「俺は世界を滅ぼしたりはしない~」


 そんなことを聖域で叫んでみた。

 立派な母親力に溢れる俺の愛すべき母さんは、今日も今日とて息子のおかしな叫び声に対して、聞いていなかった振りをしてくれるはずである。 


 入梅にゅうばいの候。

 とある一日。

 母が忙しく夕飯の支度をしている最中の時、俺は聖域にて思考を暴走させていた。

 勢いでアンナコトを書き込んでしまったからには、ソンナコトが成立した時のことを想定しておかねばならない。

 綾瀬との万一の事態に備えて、「お守りを財布に忍ばせておくべきか否か?」を真剣に考えていたのだった。

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