1%ノート

冬蛍

第1話

「あれ? こんなノート、俺、持っていたっけ?」


 中学校の初登校日を迎えた日。

 俺は学校から帰宅したあと、自室の机に向かい椅子に座ったまま、今日配布された教科書を整理していた。


 俺の使っているちょっと年季が入った古びた学習机は、飛行機事故で亡くなった親戚のお兄さんが十数年使っていたものだ。

 捨てるのもなんだからと、親戚関係で欲しがりそうな家に声が掛けられ、俺の両親が手を挙げて譲り受けた代物。

 それが小学校一年生になる半年ばかり前に、俺の部屋へと置かれた。

 つまり、「俺の所有物」と言って良い状況になってから、この机は六年半と少しが経過している。


 無趣味な俺は宿題を含む勉強以外のことでこの机を使うことはない。だが、「では勉強をしっかりと長時間机にかじりついてやっているのか?」と、問われればそうでもない。

 酷い成績で怒られたり、勉強しろと強制されるのは俺的には大っ嫌いな話になる。

 従って、小言を言われることがない程度の成績を、しっかり維持するための勉強は欠かさない。

 それ故に。

 日常的に使う机である以上、見覚えのないノートが机の引き出しの中から出てきたのは「異常なことだ」と言えるのである。


 冒頭の独り言は、そんな異常な状況を認識して、俺が思わず口に出してしまった言葉なのだった。

 もっとも、この件は、母さんが俺の新学期に備えて買って来てくれたノートを、俺が不在の間に机の引き出しに忍ばせてくれた可能性だって十分にあるわけだが。


 生じた疑問を確認するべく、俺は自室を出る。

 そうして、家事が一段落してお茶を飲んでいた母さんに、俺は声を掛けた。


「母さん。俺の机の引き出しにノートを入れておいてくれたの?」


「え? 知らないわよ。ノートが必要ならお金を渡すから買っていらっしゃい。買いに出かけるのなら、ついでにポン酢を買って来て欲しいわ。切らしたのに買い忘れたのよね」


 どうやら俺の質問の仕方が悪かったようだ。

 母さんは、俺のした質問を”以前にノートを机の引き出しに入れておいてくれと頼まれて、それをやってくれたか?”の確認だと誤解した様子。

 もちろん、俺は母さんにそんな頼み事をしてはいない。

 そもそも、俺の質問内容は、意味を正確に言葉で表現するのなら、「見覚えのないノートが、俺の机の引き出しから発見された。それをそこに入れたのは、母さんなのか?」である。

 だが、それを確認し直す必要はなくなっている。

 ノートをそこに置いたのは母さんではないことは、すでに明白。

 先ほどの母さんの俺への返答で、それは判明しているからだ。


 そんな流れで、俺は気分転換を兼ねて母さんの頼みを引き受け、ポン酢を買い行くために家を出たのだった。




 この家は現在、俺と母さんの二人暮らし。

 一年前に、父はガンを患って亡くなった。

 父の病魔が判明した時には、もう余命幾ばくもない末期症状な状況で、医者はあっさりと匙を投げたのだ。

 父は延命治療を望まなかったため、ガンという病が判明してから三か月で、母と俺を残してこの世を去ってしまう結果に。

 家のローンは、ローンに付随して強制加入だった生命保険から残高の全てが支払われたことで、母さんと俺が住むこの家は晴れて残債なしの持ち家となっている。

 そして、父の勤め先からは僅かではあるがお見舞金と称するお金が退職金とは別で出された。

 個人で加入する生命保険やがん保険に加入していた父は、なんと母にも知らせず、会社の団体生命保険にまで加入していたらしい。

 結果として、我が家には相続税をしっかり納付した上で、八千万円を超える現金がそれまでの母や俺名義の預貯金とは別に転がり込んだのである。




 俺視点だと、「制度として狂っているのではないか?」と思われるのだが、母子家庭で母親の収入がさほどでもない場合、俺の高校進学費用は高等学校等就学支援金制度という物の存在により、仮に私学を進学先に選んだとしてもかなりの部分が補填される。

 母親の収入でそれが受けられるかどうかや、満額から減額の支給条件が変動する制度になっているため、家の預貯金の残高には関係がない。つまり銀行口座の残高がなくとも、あるいは百億円あったとしても、全く関係ないのだ。

 俺の感覚からすると実に不思議な制度である。

 まぁ、三年後という先の話ではあるし、貰える物はありがたく頂戴するのだが。

 そして、俺的には高校は進学するなら基本は公立一択。でも、学費が多くかかる私学への進学を選択肢から外さないで良いという気楽さはある。

 公立受験一本でスベリ止めなしは流石に怖いよな。


 こうした先々への考えは、中一になり立ての俺には似つかわしくない思考だと、周囲に知られれば思われるかもしれない。だが、俺は父親を失い、保険金目当てに群がった親戚の悪意から母さんを守るために、大人びた考えを身に着けるしかなかったのだ。

 今の世の中は便利である。

 情報の真偽はともかくとして、パソコンやスマホを使えば様々なことに答えらしき物を見つけることができるから。

 もちろん、そうして得た情報への取捨選択は必要だが、元となる情報がなければ選ぶ選択肢すらなくなる。

 そうした世知辛い現実と、俺は向き合ってこの一年を過ごして来た。




「さて、戻ってきたら消えていた。なんてことはなく、出どころ不明な怪しさ満点のノートはそのままあるわけだ」


 誰に聞かせるでもない独り言を呟きながら、俺は意を決して謎なノートの中身を調べた。

 ここまでに何故それをしなかったかだって?

 気味が悪いからに決まってるだろうが!

 そして、俺の予感はある意味正解だった。

 表紙を開いてその裏側の部分に、薄気味悪いことが書かれていたからだ。

 それは、このノートの使用規則。

 いわゆる、ルールであった。


「名前を書くと、アレしちゃうノートのパクリじゃんか! 誰だよ。こんなイタズラノート作ったのは」


 またしても思わず考えを口に出してしまうが、誰も聞いていないので俺が頭のおかしな人と思われる心配はない。


 リビング、ダイニング、キッチンとは別に四部屋の居室がある庭付き一戸建て。

 それが、俺と母さんの住む我が家だ。


 二階の一角。

 自宅の自室。

 そこは俺の、俺だけの聖域である。




 1%ノート。


 零%より大きく一%未満の確率の事象を一%の確率に改変する。

 一人一日一事象までしか記入できず、記入された事柄への効果は一日に付き一回が三十日間続く。

 ただし、条件に該当しない事象を記入した場合は、三十秒後に書かれた文字が消え去る。

 尚、この場合は一日一事象の記入する権利を消費した扱いにはならない。

 ノートの所有権がない人間でも、書き込んで効力を得ることができる。

 ただし、ノートの所有権がない人間は、その日に所有者の記入があったページのみにしか書き込みができない。別のページに書いても無効で、三十秒後には無効となっている文字が消える。また、所有者が未使用の日も同様に無効。

 記入した事柄の有効期間は、過去に効力が遡りはしない。起点が書いた日の零時となり、三十日目の二十四時を迎えた時点で効力が切れる。

 効力が消えると書いた文字は消滅する。

 同じ内容、事象については重ね書きはできない。ただし、消えた後、すなわち三十一日目には新たに同じ内容を書き込める。

 効力が有効なうちに、一%の確率を引き当てた事象の記入内容は消える。ただし、引き当てた事象の結果は残る。また、記入内容が消えない例外も存在する。効力が有効なうちに、一%の確率を引き当てても、複数回起こり得る事象については残りの有効期間も一%の確率が継続する。

 ノートの所有権は、ルールが書かれているページ以外の全ページが白紙の時、最初に一%の確率に変更したい事象を書いた人間が獲得する。

 所有権の破棄は所有者の意思でいつでも可能。

 所有権の譲渡は、所有者の意思で行うことはできない。

 所有者の意思の如何を問わず、全部のページの文字が消えて白紙になった時、ノートの所有権は自然消滅し、使っていた期間のそれに関係する記憶のみを全て失う。ただし、再度所有権を得れば失った記憶は戻る。また、所有権がなくともノートに触れていれば、その間は一時的に記憶が戻る。

 所有権を持たない人間がノートに有効な事象を書き込み、尚且つそれが消えない間はノートから手を離した時点で、書き込んだことの記憶のみを保持する。

 ノートのルールに関する記憶については、保持するためには所有権を持つか、ノートに触れている間のみしか不可能となる。

 ノートのルールは、他者へ教えることができない。ただし、ノートを手にしている者がそれを他者に触れさせて、触れている間にその者に教えることはできる。

 ノートのルールは、メモ書きなどを含む書き写し、コピー機などによる複写、写真撮影、読み上げ音声の録音など、記録を残す行為自体ができない。

 ノートの使用に代償はない。


「要は零じゃない極小の確率を一%の固定値に上昇させるってことか。なーんかしょぼいなぁ。しかも記憶うんぬんのルール。アレに似てると言うか部分的にはまんまのような? 良いのか? これ。それに一%ってことは九十九%失敗するわけで。成功も失敗もノートの力のせいなのかを検証できないよな」


 そう呟いてから、俺はノートになにも書き込むことなく手放した。


「あれ? なんか時間が飛んでないか? 俺、寝てた? 意識でも失ってたのか?」


 俺がノートを手に取って、ルールを読んで考えていた時間の記憶の欠落。

 時間が巻き戻りはしないため、俺的には不自然な記憶の空白がある時間が経過したことになる。

 もっとも、違和感を感じても、この時の俺にはそれが何なのかを理解できなかったが。


 そうして、俺はノートを引き出しに放り込もうと、手が触れる。

 空白の記憶が戻った。


「えっ? マジ? これ本物?」


 少なくとも記憶に関係するルールが適用されたのを体感した俺。

 ここへきて初めて、俺は「このノートの有効な使い道は何か?」を真剣に考える。

 とりあえずは記憶を失わずに済むように、所有権を得るべきだろう。

 それは確定なのだが、では何を書くか?

 それが問題である。


 俺が叶えたい望みで、零%じゃなく尚且つ一%未満の確率が存在する事象。

 彼女が欲しい! 

 これじゃね?

 俺は、迷わず、大好きなアイドル歌手の名前と、彼女が俺の恋人になると書き込んだ。


 わかってましたよ!

 普通に三十秒後にノートはまっさらの白に戻ったよ!

 ちくしょうめ!


 ならば、次は小学校の同級生を書き込もう。

 学校で一番の美少女と言われていたあの子だ!

 俺は同じ学校に六年間通っていたし、今日から通っている中学校だって同じだ。

 つまり、”可能性は零じゃないだろ?”と、思った。思ってしまったんだ。


 薄々、わかってましたよ!

 普通に三十秒後にノートはまっさらの白に戻ったよ!(二回目)

 どちくしょうめ!


 そうして、俺は過去に知り合った(一方的に名前と容姿を記憶しているだけ)の可愛い子の名前を、次々と同じようにノートに書きこんだんだ。

 もうここまで来れば、当たりを引くまで意地になるしかないのである。


 わりと惚れっぽい俺は、同じ学級になった女子の中で「ちょっと良いな」と思ってしまった子に、毎年のようにほのかな恋心を募らせた。

 それは、”拗らせた”のほうが表現としては正しいかもしれないけど。

 しかも、大概が、”脈がなさそう”と一定期間で諦めてしまって、恋心を向ける対象を他に変化させるまであった。

 つまるところ、俺は年に二~三人好きな子ができては諦めを、繰りかえしていたのだ。

 でも男の子ってそんなもんだよね?

 俺が異常ってわけじゃないよね?

 異論は認めるけど。

 それはさておき、要するに、だ。

 俺には書き込むことができる名前のストックが、多数あるのだ。




「なん……だと……」


 二時間後。

 ノートはまっさらのままだった。


 俺には、0.00000000001%すらも、彼女たちと恋仲に成れる可能性がないだと?

 ノートにそれを証明されてしまったと言うのか?

 ゼロですよ!

 ゼ・ロ!


「無から有は生み出せない」


 そんな言葉が俺の頭を過った瞬間だった。


 ちなみに、前述の極小の%の数字は、値に特に意味はない。

 単に、俺の感覚を数値で表現してみたものである。


 だが、俺は諦めの悪い男。

 良いだろう。

 ここまできて止められるか?

 否! 

 断じて否である!

 こうなったら、手当たり次第書き込んでやろうじゃないか!


 とりあえず、俺は今日、同じ学級になったばかりの女子で名前をなんとなく憶えていた子のソレを書き込んだ。

 彼女は担任から、「暫定で級長を務めるように」と指名されたため、俺の記憶に名前が残っていたのだ。


「なんでやねん!」


 関西人でもない俺なのに、なぜか思わず口から咄嗟に出た言葉はそれだった。

 たぶん、メガネの少年探偵のアニメに出てくる西の人の影響だろう。

 そう信じてる。


 今日初めて会ったばかりの子だぞ?

 彼女は、「俺のお付き合いする恋人になる可能性がある」と言うのか? 

 つまり、彼女は、俺に好意があるってことなんだな?

 そうなのか!

 そうに違いない!

 よし、明日にでもこの子に告れば、俺もついに彼女持ちの男に成れる。


 そんな妄想がガンガン頭を過ってから、俺はふと我に返ってクールになったよ。

 俺は冷静になって考えたんだ。

 このノートのルールが正しければ、今の状況は俺がこの相手に告っても失敗する可能性が九十九%あると証明されたってことなのだ。

 しかも、しかもだ。

 ノートのおかげで成功確率が一%に上昇したのだ。

 つまり、素の状態での可能性を考えるとですね。

 やべぇ。

 リスキー過ぎるだろうよ!

 九十九%フラれるってなんだよ!


 そこまでで、更にクールになる俺。

 今の俺は超冷静ボーイだ。

 なんなら賢者タイム並みに思考が落ち着いてくる。


 ちょっと待てよ?

 俺は”彼女が俺の恋人になる”ってノートに書き込んだ。

 ノートのルールが適用されるのなら、俺が告白しなくても良いはず。

 今日も一%、明日も一%と三十日後まで毎日自動で抽選判定がある。

 しかも一旦恋人に成れてしまえば、その後の抽選は関係なくなり、彼女は俺の恋人のままでいるはずだ。

 ま、恋人としてお付き合いを開始してから、フラれる可能性は普通に存在するだろうけどな。


 だがしかし。

 そもそもだ。

 俺の初期目的はそこじゃなかった。

 ノートの所有権を得る。

 初期目的は無事達成してるじゃないか!

 いやーめでたい。

 今夜の食事は、母さんに赤飯を頼んでこようか。


 この日の俺はついに気づくことはなかったが、ずっと後になって気がつく。

 ノートに書いた名前が消える条件は可能性が零%だからだけではない。

 可能性が一%を超えていたものも、ルール上確率を下げる変更をしないため、ノートに書きこんでも零%の時と同様に、三十秒で消えてしまうのだ。

 ルールに書かれていた”条件に該当しない事象”とは、零%だけではなかったのである。

 俺がそのことにそこそこ長い間気づかなかったのは、ある意味幸運でもあったのだが、その件に関してはまた別の話になる。

 ま、実際のところ、この日の件に限れば、一%を超えていた人物は、一人を除いて存在しなかったのがおそらく真実なのであろうがな。

 

 波乱万丈? 

 数奇な運命?

 そんな物語の主人公に。

 俺はきっとなって見せる。

 無駄にカッコイイ感じの決意で、悦に入っていた大馬鹿者の俺だ。


 この時の俺は、たぶん精神状態がおかしくなっていた。

 未来の俺が過去の自分自身を振り返るのなら、そう断言できる。

 人生平穏で無難が一番なのだと、俺がシミジミと悟るのはちょっと先の話だ。


 こうして、俺は謎の1%ノートなる物を手に入れた。


 夕日に向かいはしないが、「俺の人生の主役は俺じゃぁ~」と、誰に言いたいわけでもないが、叫んでみた。

 尚、母さんは、その叫びに対して、聞こえていない振りをしてくれた。

 実に素晴らしい母である。


 十二歳のとある麗らかな春の一日。

 俺が不思議なノートと共に歩む日々は、そんな感じで始まったのだった。

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