第10話

 ダイアモンドクラブは、ザイファルト家の敷地にある円柱型の塔めいた建物で行われた。壁には至る所にステンドグラスが埋め込まれ、もうじき沈みきってしまう夕日が哀愁を感じさせる光を差し込ませている。背の高い建物だが、上部をステンドグラスで覆った煙突のような構造をしており、特に上の階層があるわけじゃないらしい。なんとも贅沢な空間の使い方だ。


 中央には円卓があって、それを八つの椅子が囲んでいる。椅子はやけに背もたれが高く、植物の蔦や薔薇のような花が彫刻されていた。大理石でできているのだろうか、座り心地は悪そうだ、なんて思って近づくと、尻や背を預ける部分には赤いビロード張りのクッションが埋め込まれていた。


 他の参加者はまだ到着していないらしく、ステフと二人で幻想的な空間を眺めていると、しばらくして会場の扉が開いた。


「待たせたようだな、すまない」


 ぴんと背筋の伸びた金髪碧眼の美少年が入ってきて、こっちに歩いてくる。


「改めて、プエル・ザイファルトだ。よろしく頼む」


 右手を差し出される。俺は挨拶で握手するのなんて初めてだったので、数秒彼の右手を眺めてしまった。慌てて握る。


「あ、ああ。よろしく」


 プエルはステフへと視線をうつす。


「初めまして、ステフ・アンドーラ大司教。アリアからよく話を聞いています。大変な努力家だと」

「いえ、そのような! 恐縮です!」


 ステフは前転でもしそうな勢いで頭を下げる。緊張しているのが丸わかりだ。反対に、俺は思ったよりも落ち着いている。プエルが同年代だからかもしれない。それに、こいつにはプレタポルテで会ったカレン・ザイファルトのようなオーラがない。


 と思ったら、遅れてカレンが現れた。


「ちょっとプエル、母親とはいえレディを連れているのだから、歩くスピードは合わせなさい。ってあら、ライナ様、プレタポルテではどうも」


 相変わらずオーラが違う。いったいどういう理屈なのか、黒いドレスが明るく輝いているようにすら見える。


 彼女はふさふさの扇子を口元にあて、ステフに顔を近づけた。


「もしかして、あのお店で会ったお嬢さん?」

「は、はい。ステフ・アンドーラと申します。ライナ騎士団専属の大司教をやらせていただいております」

「あら、丁寧ね。いいのよそんなに無理しなくて、言葉遣いなんかで人を判断するのはナンセンス。普段通り、荒っぽくても結構」

「い、いえ、そのような、無理など……」

「ふふっ、まあいいわ。それより見違えた。綺麗なお嬢さんだとは思っていたけれど、やっぱり、ドレスのほうが何倍も素敵。あんな野暮ったい修道服なんて捨ててしまいなさいな」

「母上、失礼な言動は控えてください」


 プエルがたしなめると、カレンは眉をつり上げ、褒めているのだけれど、と心外そうに言う。


「申し訳ありませんステフ大司教。母上に代わってお詫びします」

「いえそのような! 頭をお上げください!」

「寛大なお心、感謝いたします」


 頭を上げたプエルは俺のほうに向き直り、

「それじゃあ、失礼する」


 と言って母親を連れ部屋の隅に寄った。


「母上、何度も言っているでしょう。あなたの価値基準でものを話さないようにと。教会の修道服は仕事着であり、一目見て聖職者であるとわかるようにするためのものです。いついかなる時も救いを求める声を受け取れるように、矜持を持って身にまとっている正装なのです。それを野暮ったいなどと、失礼だとは思わないのですか」

「ああもう、相変わらず真面目ねえ。誰に似たのかしら」

「母上! 聞いているのですか!」


 せっかく距離を取ったのに、親子げんかは丸聞こえだった。


 俺とステフは苦笑いで顔を見合わせる。


「ごきげんよう!」


 当然、バァーン! と大きな音を立てて扉が開かれた。会場にいる全員がそちらを向く。


「見たまえ麗しき妹よ。この私のオーラにみな釘付けだ」

「違いますバカ兄貴、もとい当主様。登場の仕方がうるさすぎて、あっけにとられているだけです」


 男女の二人組が入ってきた。年の頃はどちらも二十代半ばといったところか。ハインツ家の当主とその付き人だろう。性別は違うがどちらも中性的で、恐ろしく顔が似ている。髪もブロンドのロングパーマで揃っている。声もトーンを合わせればそっくりだろう。妹、バカ兄貴と呼び合っているし、これで双子じゃなかったら驚きだ。


「自己紹介はいらないだろう。この私を知らない人間などこの国にはいないだろうからね。さっそくダイアモンドクラブを始めようじゃないか」

「待てバカ兄貴、もとい当主様。ドン家の当主がまだいらしてません」

「なんと、この私が最後ではなかったか。これはぬかったな。主役は最後と相場が決まっているというのに。看板役者らしからぬ失態」

「チッ、なんでこのバカのおもりなんて……」

「それはこの私の輝きにかき消されないのがお前だけだからだ、麗しき妹よ」


 妹と呼ばれている美女は、バカ兄貴と呼んでいる美男子の頭をスパンと叩き、行儀正しく一礼した。


「お初にお目にかかります。こちら、ハインツ家当主のマスター・ハインツです」


 自己紹介はせず、叩かれた頭をさすっている兄だけを紹介し、双子の妹っぽい美女は後ろに下がった。


 これで六人の参加者が揃った。あとはデイガールだが、遅いな。開始時刻まであと五分を切っている。


 そして数分後、開始時間きっかりにデイガールは現れた。眠そうに、あくびをしながらの登場だった。牙はなく、瞳もブラウンで、髪も焦げ茶だ。昼間はただの町娘だと自称していたが、マフィアのボスみたいな格好を除けば、確かに普通の女の子にしか見えない。


 デイガールは挨拶もなしに席につき、頭に乗せていたサイズの合っていない大きなハットをお腹に抱える。そしてそのまますっと目を閉じた。


「お嬢」


 付き人――ブルドックのような仮面をつけた黒服が声をかけた瞬間、デイガールのまぶたがぱちっと開く。


「寝ていない。それとドンと呼べ。捻り殺すぞ」

「……失礼しました」

「さて、デイガール嬢の準備もととのったところで、仕切り役は最年長であるこの私に任せてもらっても?」


 マスターが言うと、全員が頷く。いや、後ろにいる妹だけ舌打ちしたな。


「麗しき妹以外は賛成らしい。ではまずは自己紹介だ。なにせ今回は顔合わせがメインだからね」


 さっきは自己紹介いらないとか言ってただろお前――これは俺の心の声ではなく、マスターの後ろにいる妹が実際に声に出したつぶやきである。マスターはそれを気にすることなく、自己紹介を始めた。


「それではこの私から。ハインツ家当主、マスター・ハインツだ。後ろにいるのは麗しき妹、アイネ・ハインツ。この私に似て美しいだろう? 見とれるのは構わないが、妹の恋愛対象は十四歳までだから、残念ながらここにいる男は」


 スパン! とアイネがマスターの頭をぶっ叩いた。


「余計なことを言うなバカ兄貴。それに最近は伸びた。十八まで許容範囲だ」

「いたた……このように、とても二十六歳とは思えな――いたっ! お、おい、麗しき妹よ、そう何度も当主の頭を――いったあ!?」

「悪いが、眠くなる前に進めるぞ」デイガールがため息交じりに言う。「このまま時計回りでいいな? よし、それじゃあ、知っての通り、ドン家当主、ドン・デイガールだ。後ろにいるのは側近のマフィオズ・ブルド。よろしく頼む」


 彼女のすぐ後ろに立っていたブルドという男も頭を下げた。


 時計回りってことは、俺か。とりあえずデイガールの真似しとこ。


「トイバー家当主の代理で来た。ライナ騎士団団長、クニツ・ライナだ。こっちはステフ・アンドーラ大司教。よろしく頼む」


 背後からステフが頭を下げる音がした。大げさだったらしく、カレンがクスクス笑っている。プエルがそれを睨みつけたあと、自己紹介をする。


「このたびザイファルト家の当主になった、プエル・ザイファルトだ。隣に座っているのは……ん? 母上? なぜ隣に座っているのですか?」


 付き人はカレン以外、それぞれ代表者の斜め後ろに立っている。


「心配なんですもの」

「母上、当主になって早々恥をかかせないでください」

 流石に怒鳴りはしなかったが、怒りで声が震えていた。


 カレンは立ち上がる気はないようで、眉をつり上げて背もたれに深く背を預ける。プエルは諦めたのか、それ以上はなにも言わず、カレンを紹介する。


「失礼した。付き人のカレン・ザイファルトだ。僕の母上でもある」

「全員顔見知りだし、今更って感じでしょうけど、よろしくお願いね。息子のほうもどうぞよろしく。見ての通り力みすぎているけれど、温かい目で見てあげてちょうだいね。それより付き人の皆さんも座ったらどうかしら?」


 マイペースな人だ。緊張がほぐれるという意味ではありがたい。息子のほうは顔を真っ赤にしてぷるぷるしているが。


「カレン婦人の言うとおりだ。あまりかしこまられても性に合わん。座ってくれ」


 デイガールが言うと、その後ろでブルドが低い声を出す。


「俺は結構です」

「お前には言ってない」

「……はい」


 なんだかブルドを可哀想に思いながら、ステフに声をかける。


「ステフも座れよ」

「いえ、私も結構です」

「じゃあ、俺も立つか」

「ええ!?」


 大きな声を出したステフに、みんなの視線が集まる。俺が実際に立ち上がると、ステフは「わかりましたから、お座りください」と言いながら隣に座った。


「ハッハッハ! 確かに、レディにだけ立たせるのは紳士ではないね。麗しき妹よ、座ってくれたまえ」

「いえ、私は結構です」

「では、この私も立つとしよう」


 マスターが立ち上がる。俺と同じ事をしたつもりらしいが、アイネは座ろうとしなかった。それどころか、マスターが隣にくるのを避けるように一歩下がる。


「麗しき妹よ、ここはこの私の紳士ぶりに感銘を受け、座る場面ではないかな? 先ほどのやりとりを見ていただろう?」


 語りかけるマスターを睨みつけ、アイネは「いいから座れバカ兄貴」と小声でドスを利かせる。


「ん、ああ、すまない、そうだったな」マスターは足元に視線を落とし、何かに気づいたような顔で座り直した。なんだろう、なにか座れない事情でもあるのだろうか。痔を煩っているとか。それともよほど兄が嫌いで、隣に居られるのすら嫌なのかもしれない。もしそうだったら可哀想だなマスター。


「すまない、時間を取らせたね。それでは、ダイアモンドクラブを始めようか。といってもまあ、今回は顔合わせがメインだから、特に話し合うことはないのだが、誰かなにかあるかい?」


 マスターが全員を見渡すと、さっそくプエルが手を挙げた。


「議題ではないが、この場を借りて言っておきたいことがある」


 プエルは立ち上がり、真剣な表情でデイガールを見る。


 途端にデイガールの顔が怖くなる。


 思っていた数倍は軽いノリなんだなー、とか思っていたら、一気に空気が張り詰めて、心臓がきゅっと締まった。


「ドン家先代当主、ドン・ヴァルロスの死についてだ」


 プエルが言った途端、ブルドの体が前に動いた。


「抑えろブルド」


 すぐさまデイガールが言い、ブルドは動きを止める。


「プエル、終わったことを蒸し返すな」

「そういうわけにはいかない。僕はザイファルト家の当主になった。知らなかったでは済まされない」


 デイガールが不機嫌さを隠そうともしない態度で舌打ちをしてみせた。ブルドも仮面をつけていても怒りが透けている。


 それでもプエルは一切の怯えをみせず、まっすぐ、そして深く、頭を下げた。


「ドン家とザイファルト家の争い、それによるドン・ヴァルロスの死……すべての非はこちらにある。本当に、すまなかった」


 デイガールの瞳が赤く染まる。焦げ茶の髪がブロンドに輝き、食いしばった口から鋭い牙が突き出る。日が沈んだのだ。それと同時にステンドグラスの継ぎ目に刻まれていたルーン文字が浮かび上がり、美しいガラスのアートを色とりどりに発光させる。幻想的な光が会場を満たしたが、それに見とれる暇も無く、バガンッ! という轟音が鳴った。デイガールが座ったままテーブルを蹴り上げたのだ。巨大なテーブルの四分の一ほどが派手に砕け散り、大理石の破片がぱらぱらとプエルの頭にふりかかる。それでも微動だにしないプエルに向かって、デイガールが低い声を出す。


「おいプエル、貴様の自己満足に付き合う義理はない。私にフラれた腹いせか知らんが、自慰行為を見せつけてくるのは我慢ならん」


 怖い、帰りたい……と思っているのは俺だけなのか、カレンは興味なさそうにネイルを眺め、マスターは爽やかな顔で場を見守っていた。アイネは無表情でなにを考えているのか分からない。後ろをちらりと振り返れば、ステフも平気そうな顔をしていた。むしろさっきまでの緊張がなくなっている。みんな肝が据わっている。びびっているのは俺だけらしい。


 プエルは頭を下げたままだ。オールバックに固めた金髪に引っかかった破片を払うことすらしない。


 重苦しい沈黙が場を満たし、やがて、デイガールが大きく舌打ちをした。


「チッ、クソ真面目が。もういい、頭を上げろ。これで本当に手打ちだ。貴様の父は私の父を死に追いやった。私は復讐として貴様の父を殺した。息子である貴様は父に代わり謝罪した。これ以上なにも必要ない。正真正銘、終わりだ」


 プエルが頭を上げる。


「すまない。恩に着る」


 プエルは座り、髪についた破片を払う。


 空気を変えるように、マスターが、軽く手を叩いた。


「さて、両家のわだかまりも解けたところで、他になにかあるかな?」


 マスターが整った顔で笑顔を作ると、不思議と空気が和らぐ。俺は思わず大きく息を吐いていた。


 誰も手を挙げないのを見て、マスターが世間話のように話し始める。


「それにしても、この私以外全員十七歳とは。普通であれば、この私の劇を見に来て、きゃあきゃあ騒いでいてもおかしくない年頃だ。偉いね、君たちは。いやあ、優秀な若者ばかりで、この国の未来は明るい」

「子ども扱いするな。僕たちは当主としてこの場に来ている」


 プエルが噛みついたが、マスターは笑顔だけで受け流した。


「話というなら、一つある」


 デイガールが手を挙げずに言う。


 マスターは視線で続きを促した。


「スター・イン・マイ・ハーツとかいう、馬鹿げた名前の義賊が最近噂になっている」

「ああ、それはこの私も耳にしている。劇の題材にもなりそうな面白い事件だ。正体不明の義賊、かの怪傑ゾロを彷彿とさせる」


 なにそれ、とは恥ずかしくて訊けない。ていうかさっきから口を挟めない。ただの置物と化している俺である。しょうが無いので昔見た怪傑ゾロの映画を思い出していた。格好良かったなあ。ヒロインの名前がロリータだったのは笑ったっけ。ていうかこの世界にもいるんだ。


「その件だったら僕が片付ける。被害に遭っているのはザイファルト家傘下の商人たちだ」

「そういうわけにもいかん。やつが狙うのは金持ちだ。いずれ私のシマにもやってくる」

「その前に僕が解決する。君が出張る必要はない」

「当主になったばかりで意気込むのは分かるが、ああいう輩は調子づく前にさっさと捕まえるべきだ。それに、犯罪者への対処はうちの管轄だ。嫌でも協力させてもらうぞ」

「……分かった」


 意固地な印象だったが、プエルは思いのほか早くに折れた。


「それじゃあプエルくん、今分かってる範囲で、スター・イン・マイ・ハーツについての情報を共有してくれるかい?」

「やつは典型的な義賊だ。持つ者から盗み、持たざる者に配って回る。物語に出てくる怪盗のように派手な格好で現れては、お目当てのものを盗んでいく。それをどこかで金に換えて、貧しい者に配っている。被害はすでに五回。いずれもザイファルト家傘下の商人だ」


 なるほど、要するに鼠小僧か。


「問題はやり口だ。完全に舐めきってる。犯行予告を出して、宣言通りの時間に、宣言通りのものを盗んでいく」


 おいおい、まさに大怪盗じゃねえか。わくわくするな。


「もちろん全力で警備にあたったが、すべて突破された。おそらく魔術の使い手だ。そうじゃないと説明がつかない。魔術法則の特定だが、現場にルーン魔術の痕跡は無かった。同じように儀式魔術の痕跡もない」

「なるほど。マスター、この場合、白魔術は候補に入るか?」

「入らないだろうね。義賊とはいえ、賊は賊だ。やっていることは泥棒と同じ。世界の認識からすればはっきりとした黒だとも」

「であれば候補は、黒魔術か、混沌魔術か」

「まあ、普通に考えれば黒魔術だろうね」


 さっきから魔術の名称が飛び交っているが、なんのこっちゃ分からん。あとで勉強しておこう。今はとりあえず真剣な顔で話を聞いているふりしかできない。


 その後も話し合いは続き、次の犯行予告が出たら四家総出で警備に当たる、という結果に落ち着いた。ハインツ家は魔術対策、ザイファルト家は警備の準備、ドン家は盗品を売りさばくルートを探るそうだ。俺のところは柔軟な対応を、と言い渡された。


 わかった、任せろ、と力強く言ってみた俺だったが、はたして柔軟な対応ってなんだろう?

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