5 彼女は噂を鼻で笑い、現状を考察する


 休み明けの登校日に学院に行くと、例の夜会の話題で持ちきりだった。

 割合として貴族や金持ちの上流階級子女が大半を占める学び舎である。問題の夜会に出席していた生徒も少なくなかったし、何より被害に合ったのが自分と同じ生徒ともなれば噂にならない方がおかしいだろう。

 もともと真面目に受けている生徒が全体の六割程度とは言え、皆あまり授業に集中できていないようだった。


 私は終業後、アイリスに捕まらないようこっそりと寮の自室に戻る。いつもアイリスに引っ付かれている私だけれど、終課の選択講義が異なる日は別行動を取ることもできる。……それでも捕まる日は捕まるのだけれど。

 私は自室でお茶を飲みながら、先日の夜会のことを思い出していた。


 鄙から来た少女。落下したシャンデリア。そして誰かが呟いた『呪いの令嬢』。


 私は耳によみがえるその言葉を、ふっと鼻で笑う。

 馬鹿らしい。呪いなんて、そんな非現実的なものが存在するはずないじゃないか。

 むしろ今重要視しなければならないのは、何故そんな流言飛語がいきなり発生したかだ。


 もともと噂話と言うのは、根拠のない誰かの妄言を端緒とすることも少なくない。それが人伝にされるうちに、さも実しやかに広く囁かれるようになるのだ。

 だが今回のように一気に大規模化する場合、前提として社会情勢の不安が存在することが多い。

 例えば飢饉による食糧不足、流通経済の混乱による物価の上昇、品薄。最も分かりやすいのは、戦争の直前と戦時下だろう。

 そうした状況下では、人々の間で膨れ上がった不安は事実無根の噂を、さも本当のことのように広めてしまいがちなのだ。


 しかし。

 私の知り得る限り、現状そうした事態が存在しているとは考えづらい。

 情報統制されている可能性もあるけれど、それにしては国の上層部に近いアイリスの取り巻き一行がいつも通り過ぎる。

 ならば、普通とはまったく違った要因が、今回の件では裏に存在するのではないか。それは果たして何なのか。


 『呪いの令嬢』という事は、あのシャンデリア落下の原因がモニカ・ウルマンであるというのが噂の核心部分に当たるのだろう。

 あの様子ではそれまでに参加していた夜会や茶会などでも、同様の事件が起こっていたのかも知れない。それについては早急に調べることにしよう。


 もっとも、モニカ嬢やウルマン男爵、あるいはヴィヨン地方そのものに恨みや妬みを持つ者が、噂を撒き散らしているという可能性は度外視していい。

 この国は中央集権だ。地方に行くほど、その権力は微々たるものになる。

 もちろん国境を守護する辺境伯などは、ある種の実権を握っているもののそれは中央政権に干渉する類のものではないし、問題のヴィヨン地方は東の国境に近いものの国境自体とは隣接していなかったはずだ。

 ウルマン男爵家は力のある貴族ではなく、領地もさほど裕福ではない。それは男爵本人が、領内事業を中央に売り込みに来ていることからも明らかだ。


 ならば、ここ王都では新参者である彼らに対して、誰かが敵意を抱く蓋然性は乏しい。

 今回ウルマン男爵が主導する事業を妨害しようとする者がいるということも考えたが、それにしては標的となるのが男爵ではなく、その娘であるというのが妙な話だ。


 私は少しぬるくなったお茶を飲みほして、ふうと息をついた。

 やはり、今手元にある情報だけでは、事件の全容を知るには不十分であるらしい。

 もう少し、調査を続ける必要があるだろう。



「あの、失礼いたします、シャーリンお嬢様。シアに聞いたのですが、まだ手紙は預かって頂けますか?」


 お茶のお代わりを入れてくれていた侍女が、おずおずと口を開く。

 彼女は先日ドレスの注文をお願いしたシアとは、一番仲の良い侍女だったはずだ。確か、名前はマリアンといったか。


「ええ、明日の集荷で出そうと思っていたから、急いでくれれば大丈夫よ。シアの分もまだ出てきていないし」

「では、ぜひお願いします」


 マリアンはほっとしたように笑みを浮かべる。


「実家にお願いしたい事があって、手紙を出そうと思っていたんです」

「お願い?」


 私は首を傾げる。

 ここで私に仕えてくれている侍女には、色んな立場の人間がいる。

 彼女は確か遠方の裕福な商家の娘で、シアは貴族の分家の出。どちらも出稼ぎではなく、行儀見習いが目的だったはずだ。


「はい、今女性の間ですごく流行っている本があるんです。それの続きが出たらしいから、実家から送って貰おうかなって」

「あら、そんなものがあるの?」

「ええ、かなりの人気ですよ。お嬢様の周りでも、読んでいる人は多いんじゃないですか?」


 そんなものが流行ってるなんて、ちっとも知らなかった。政治に経済に社交にと、様々な情報を集めているけれど、そういった他愛もない娯楽に関しては完全に関心の範疇外だった。

 私は少し考える。

 活字が苦手なアイリスは間違いなく読んでいないだろうが、ルーカスあたりの女たらしならば、女性との会話を弾ませる為に読んでいるに違いない。

 私もまた情報収集のための会話の糸口に、一度目を通しておくのが良いだろう。


「そうね、あたくしも読んでみたいわ」

「おすすめですよ。ちょっと怖いんですけど、それもまた刺激的で」

「あら、怖いの? 最後まで読めるかしら」


 私はくすくすと笑みを零す。

 どうやら同じ題材で吟遊詩人たちも歌っているらしい。そのうち、夜会や茶会などの余興で聞く機会もあるかも知れない。


「そうそう、次の休みにアイリスたちと知人のお見舞いに行くわ。アイリスは真っ直ぐ寮に帰るらしいけれど、あたくしお呼ばれしている茶会に顔を出すことにするから、別に馬車を手配してくれないかしら」


 私は侍女のお茶を口にしながら、楽しみにしている態で自分やアイリスのそれぞれの詳しい予定を語っていった。





 ◆   ◇   ◆






「わざわざ有り難うございます、アイリス様。それから、ええと……」

「グィシェント子爵家のシャーリンと申しますわ。どうかシャーリンと呼んでくださいませ」


 私は小首を傾げながら、ふわりと微笑む。小動物的な愛くるしさと無力さを前面に押し出しながら挨拶をすると、彼女はほっとしたように肩の力を抜いたのが分かった。

 でしゃばるつもりはないが、基本的に好印象を与えておくに越したことはない。緊張で身を強張らせている時よりも、気を抜いている時の方が、格段に口が回りやすいのがこの手の人間の特徴だ。


 今日は、先日の夜会で顔を合わせたモニカ・ウルマンの見舞いとして、彼女が滞在している屋敷に足を運んでいた。

 夜会は例のシャンデリアの落下事件によって急きょお開きとなり、その際卒倒した彼女はあれからしばらく寝込んでいたという。

 ようやく起き上がれるようになったので、こうしてアイリスと私とで見舞いに来たのだ。

 もっとも男どもは軒並み留守番である。すでに床から起きているとは言え、病み上がりの女性を尋ねるのは、よっぽど親しい場合を除き慎むべきと言うのが慣例だからだ。


 彼女は普段は自領で暮らしているので、この屋敷は今回の長期滞在にあたって一時的に借りているらしい。

 しかしこの短い間ですでに部屋は、色鮮やかな染布や本絹の端切で作られた手縫いのクッションや布小物などで溢れており、彼女の素朴な趣味が伺えた。

 だが一方で、いささか多すぎる小物の数は、彼女があまりここでの生活に馴染んでおらず、現実逃避に没頭していることも匂わせている。


「体調は大丈夫? まだあまり顔色は良くなっていないみたいだけど」

「ご心配をお掛けしてしまって、すみません。もともと寝不足だったせいで、大ごとになってしまって」


 慌てたように深々と頭を下げる少女に、アイリスは気にしないでとあっけらかんと笑ってみせる。

 実はこのところずっと、誰かに見られているような気がして、良く眠れていないのだとモニカは言う。

 王都に来て、神経が高ぶっているのかも知れないですね、と苦笑してみせるが相変わらず目の下に浮かんだ隈が痛々しかった。


「アイリス様には、お会いするたびに迷惑を掛けてしまっていて、本当にどうお詫びをすればいいのか……」


 恐縮して小さくなるモニカに、アイリスは不思議そうにきょとんと目を瞬かせる。


「別に、迷惑なんて思っていないわよ。この間の夜会では、たくさん珍しい料理があったのに、途中でお開きになったせいで食べ損ねちゃったのは、お互い残念だったわね」


 あのお肉料理とか美味しそうだったのになぁと、悔しそうに唇を尖らすアイリスを見て、モニカはくすりと笑った。

 モニカはそれを自分を気に病ませない為の冗談だと思っているが、実際は掛け値なしにアイリスの本心からの言葉だ。アイリスは基本、色気よりも食い気が勝っている。


「全部の料理は無理ですけれど、一部の料理でしたらこの屋敷でも召し上がって頂くことができますわ」


 モニカの言葉に、アイリスが目を輝かせる。


「昔、うちの領地に沢山の難民の方たちを受け入れたことがあって、その関係でうちの料理人はそこの郷土料理も得意なんです」


 アイリスが喜びの声を上げるその陰で、私はぴくりと反応する。

 そして傍からはごく自然に、世間話の態でモニカ・ウルマンに話しかけた。


「あら、それって九年前の?」


 私の言葉にモニカは驚いたように目を見張り、それから頷く。


「はい、そうです! シャーリン様は、随分と博識でいらっしゃいますね」


 感心したようにほうっと息を吐くモニカに、何故かアイリスが胸を張る。


「そうなんだ。シャーリンは小っちゃくて可愛いのに、頭もすごく良いんだよ」


 うん、それは知ってる。知ってるから、黙れ。

 私の照れの混じった笑みに、モニカも微笑ましそうに笑って二の句を継ぐ。


「国からの命令で、旧夜琅国の難民さんたちの一部をうちの領地で受け入れたんです。うちは田舎だから土地だけは広いし、あと山がちな所もその人たちが暮らしていた場所に似てるからって」


 今から九年前、大陸の東側に位置する国の一つ、夜琅国が近隣の大国と戦をし地図上からその名を消すという出来事があった。

 もともと土地の貧しい小国であり、経済的にも決して裕福ではなかったため、戦後その地域はかなり荒廃してしまったと聞く。国民の多くは難民となって大陸中に散り散りになっており、もちろんここナーディアントにも、夜琅国の難民たちが来ていた。

 モニカはちょっと苦笑するような表情で、懐かしそうに口を開く。


「当時はすごく大変だったんですよ。文化も常識も、何もかもが違う人たちがやって来て、領民もわたしたちも難民の皆さんも大混乱。でも、少しずつ彼らもこの国に慣れていってくれたし、わたしたちも彼らの技術や料理なんかを教えてもらって、ゆっくり馴染んでいったんです」

「そうなのね」


 目を細めて笑うモニカに、私もまた微笑ましい気持ちで表情を緩める。

 彼らの苦労は並大抵のものではなかっただろうけれど、それでも今のモニカの様子を見れば、両者の関係は良好であることが伺えた。

 故郷のことを思い出しようやく緊張が解けたらしく、モニカは気を緩めるように肩の力を抜いた。私はその隙を突くように、さりげなく口を開く。


「でも、そんなモニカ様も王都にはあまり馴染めていらっしゃらないみたいね」


 私の無遠慮な言葉に、すっとモニカの顔から色が消える。私はすかさず心配する態を装って、モニカに話しかけた。


「もしかすると、これまでの夜会や茶会でも嫌がらせを受けていたのではないかしら。良かったら話して頂けません?」

「わたしたちが相談に乗るわよ!」


 予想通り、アイリスが乗ってくる。

 目を無駄に暑苦しくきらめかして手を取るアイリスに、色を失くしていたモニカの頬に赤みが戻った。冷え切った身体をようやく暖炉で暖められたような、そんなほっとした表情を浮かべたモニカは、ぽつりぽつりと口を開いていった。





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