3 彼女は視線に気付き、訝しむ
私が到着した時には、だいたいの決着がついていた。
「良かったら、わたしにも教えてくれないかしら。まだ貴族の作法には疎いの」
挑むようにそう言うアイリスの背後に、ブルネットの少女がひとり庇われている。
私と比べれば高いものの、アイリスよりは低い背丈。年は一つ二つ下だろう。私とは逆に最高級に近い絹が使われているドレスは、しかし一昔前の古い型で仕立てられており、有り体に言えば垢ぬけていない。学院ではこれまで一度も見たことのない顔だ。
「田舎者に教えてあげないといけないんでしょ? 遠慮しないでよ」
くすりと笑うアイリスにそう言われ、怯んだように視線を逸らすのは四、五人の令嬢だった。こちらは親しくはないものの、学内で何度か見た覚えがある。
恐らく、彼女らに囲まれ嫌味を言われたか嫌がらせをされていた少女を、アイリスが助けたのだろう。
自分に向けられる感情には冗談みたいに疎いアイリスだけれど、誰かに向けられている悪意に関してはその限りではない。
平民育ちではあるものの、今の彼女は侯爵家の令嬢だ。そして女性に極めて人気の高いテオドール・ヨゼフとルーカス・アマッツィアが口は出さないものの護衛のように睨みを利かせているとあれば、哀れ女性たちに刃向える道理はない。
彼女たちはごにょごにょと、だってとかでもとか言い訳をしていたけれど、ついに耐え切れなくなったのか踵を返して去っていく。もちろんその際、アイリスに対して憎々しげな視線を向けるのを忘れずに。
その後姿を、アイリスはふんと鼻息も荒く見送った。……と言うか、アイリス。本当にあんたの礼儀作法は酷いもんなんだからね。いっそ、真面目に教えを受けたほうがいいんじゃないの。
「あの、ありがとうございます……アイリス様」
「別にわたしは何もしてないわよ。でも、あなたは災難だったわね」
おずおずとお礼を言う少女を、アイリスは謙遜して慰める。少女はぶんぶんと首を振った。
「いいえ、前回も今回もお世話になってばかりで。本当にありがとうございますっ」
勢いよく頭を下げる少女に、アイリスはくすぐったそうに笑っていた。
少女の名前はモニカ・ウルマンと言って、ヴィヨン地方に領地を持つウルマン男爵家の令嬢だった。
彼女は数ヶ月前に、父親とともに商用で王都にやってきたという。
ひと月前の舞踏会に参加した際、落し物をして困っていたところを助けられ、一緒になって探してもらったのがアイリスと友達になった切っ掛けなのだと、頬を真っ赤にして話した。
「残念ながら、落し物は見つけてあげられなかったんだけどね」
「舞踏会での落し物なら、運が良ければ城で保管しているかも知れないよ。確認してみたらどうかい?」
一方申し訳なさそうに肩を落とすアイリスに、ルーカスが提案する。アイリスは顔を上げ、ぱっと目を輝かせた。
「そうね! 今度ヴィルに聞いてみるわ」
そもそも何故初めから、城の使用人なり女官なりに問い合わせようと思わなかったのか。そして何故ここで第二王子たるヴィルヘルム殿下に聞くという発想が出てくるのか。正直私には理解不明だけれど、気にしたら負けなんだろう。
「いったい何を落としたんだ?」
首を傾げて尋ねるテオドールに、モニカは顔を赤らめて「ハンカチです」と答える。
もっとも、目の前にいるのが将軍の息子やら公爵の甥やらであり、アイリスが気軽に聞いてみるなどと言った相手が王子殿下だと知れば、赤らめるどころかいっきに顔面蒼白になるに違いない。御愁傷様である。
「ハンカチ?」
ルーカスが不思議そうな顔をした。
ハンカチなんて消耗品だ。落としたからと言って、必死になって探すようなものでもない。
「自分で刺繍をしたお気に入りって事もあるんですけど、父様からあまり外に持ち出すなと言われていたものを、黙って持って出ちゃって……」
不安げに茶褐色の瞳を揺らすモニカを、アイリスは大丈夫よと無責任に慰める。いや、大丈夫じゃないから、彼女はそんなに困ってるんでしょうが。
私は溜め息を飲み込んで、そっと周囲を見回す。
我々が話し込んでいるのは会場の端の方なのだけれど、さっきからちらほらと遠巻きに見られているのを感じるのだ。
元々アイリスとその取り巻き一行は見た目でも知名度の点でもかなり目立っており、学院の内外問わず馬鹿みたいに人目を引く。けれど、今日はいつものそれに加え、少し雰囲気が違うものが混じっていた。
私はちらりと、アイリスと親しげに話す少女に視線を向ける。
シニヨンに編まれたブルネットの髪に、垂れ目がちな茶褐色の瞳。見るからに田舎臭くはあるものの、素直で純真そうな性格が見て取れる。寝不足なのか目の下には薄ら隈があり、色が白く腺病質のようにも見えるが、今はアイリスとの会話に頬を紅潮させていた。
どういう訳だか知らないが、注目されているのは、恐らく彼女だ。
私は気配を殺し、アイリスたちの意識から自分が外れたのを見計らって、他の人間に挨拶をしてくると席を外す。
彼女らから離れることで、向けられていた関心の視線から抜け出たことを察した。
ウルマン男爵が王都に来た理由が商用であるという事は、顔見せやら繋ぎを作るやらの為に、すでにいくつもの夜会や茶会に出席しているはずだ。
そして、その総てではなくともモニカ・ウルマンもまた、そこに同席しているに違いない。
先ほど、彼女に向けられていた視線の多くは女性のものだった。女性は一般的に、男性よりも排他的な傾向が強い。
ヴィヨン地方と言えば、ナーディアント国の東方に位置し、確か山がちで標高も高く、有名な景勝地も、他領に輸出できるような名の知れた特産品もない田舎だったと記憶している。
そんな僻地から来た少女を余所者として受け入れず、馬鹿にしたり嘲ることはまだ理解できるのだけれど、あれはそんな生易しい空気ではなかった。むしろ薄らと、怯えや忌避の感情すら感じられた。
私は階段を登り、二階までやってくる。主たる会場である一階に比べると人は少ないが、ここも随分と賑わっていた。
私は、以前繋ぎを作った令嬢や夫人に挨拶をしながら探りを入れてみたが、明確な話は聞き出せない。どうやらすべての派閥で広まっている空気ではないようだ。
まだ違和感程度の感覚でしかないので、私の気にし過ぎの可能性もない訳ではないが、どうにも気にかかって仕方がない。
「――本当に、妙な感じね……」
「何がかな?」
私はひっと飲みそうになった息を、間一髪でせき止める。
精神力を振り絞り、可能な限りゆっくり淑やかに振り返った先にいたのは黒髪に涼しげな眼差しの、いけ好かない男――エミール・クレッシェンだった。
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