第19話 無限の塔

 無限の塔はその名の通り、無限に伸びていると思えるほど巨大な塔である。

 当然、雲の上まで届いていた。晴れ渡った日でも、その最上層を見ることはできない。

 昔、とある竜が、塔の高さを確かめてやろうとしたらしい。だが登るにつれて空気が薄くなり、いくら羽ばたいても手応えがなくなった。それでも重力魔法で加速していったが、呼吸が苦しくなってリタイアしたという。


 どんなに大きな山でも山頂がある。だから登山家たちは挑む。

 しかし無限の塔に終わりはない。なのにどうして冒険者たちは塔に登るのか?

 理由は人それぞれだが、魅力的なお宝が眠っているというのが一番大きいだろう。

 登れば登るほど、人知を超えたアイテムが現われる。


 飲み干しても一晩で満杯になる酒瓶。

 祈りを捧げると成長する金塊。

 霊的な存在をも切り裂く剣。

 水に沈めても消えないランプ。

 失われた手足さえ再生する薬。

 自分の死に顔が見えるという鏡。

 望む夢を見られる代わりに、夢で死んだら二度と目が覚めない安眠マスク。

 最も愛する人の命と引き換えに、最も憎い人を確実に殺せる呪いの人形。


 使い道がないものでも、貴重であるというだけで金を出す好事家がいる。

 ダンジョンからアイテムを持ち帰って売れば、一攫千金も夢ではない。

 そして上に行くほど難易度が上がるという分かりやすさから、無限の塔は六大ダンジョンの中でも人気があった。


 一階から十階くらいまでは、いつでもほかの冒険者を見かける。

 人が多いのでアイテムが湧き出す速度が間に合わず、取り合いになる。しかしライバルであっても憎き敵ではない。動けないほどの怪我をしても、そのうち誰かが見つけてくれるという安心感がある。

 上に行くほど人が減る。そのくせモンスターが強くなり、トラップも増える。


「おい、毒の床だぞ! 風魔法で体を浮かせて、落ちないように慎重に進むんだ!」


 三十階で冒険者のパーティーを見かけた。

 彼らの前には、紫色の液体が湧き出す床が広がっている。あれに体が浸かったら、強烈な目眩、吐き気、頭痛に襲われ、最終的には呼吸困難になって死に至る。

 その危険を承知しているから、彼らは風を操って、ふわりふわりと空中を進んでいく。あまり風を強くすると天井に頭をぶつける。加速して一気に毒床を越えてしまうのも作戦の一つだが、勢い余って壁に激突して潰れるという笑えるようで笑えない死に方をする者が過去に何人もいた。


 テオドールは彼らの風魔法に干渉しないように、魔法を極力使わずに毒沼を越えることにした。壁から壁へと跳びはねて進むのだ。


「な、なんか今、もの凄い速さでなにかが飛んでいかなかったか……?」

「えー? あたしは見えなかったけどぉ?」


 テオドールはあっという間に七十階まで来た。

 ここまで来るとモンスターもなかなか歯応えがある。しかも群れで現われる。

 一匹でワイバーンを倒せるくらい強いオオカミ型モンスターが、十数匹で飛びかかってきた。


「こういうとき二刀流が役に立つ」


 左右に剣を持ち、踊るように弧を描く。

 刃が描く剣筋にオオカミたちが重なり、鮮血と臓物を撒き散らす。

 無論、テオドールはそれらを浴びるような真似はしない。一歩の踏み込みで血のシャワーから逃れ、次の一歩で別の群れに襲い掛かる。

 このオオカミの毛皮は頑丈で、耐寒性も高いことから、高額で取引される。肉も臭みがなく美味である。が、回収して売る時間が惜しい。無視して突き進む。


 テオドールは前世でも二刀流の練習をしていた。

 切っ掛けになったのは『双剣のジェラルド』の名で呼ばれた剣士との出会いだった。その男は何度も勝負を挑んできた。テオドールは魔法技術で毎度勝利したが、冴え渡った二刀流の技だけは正直、感服していた。

 ジェラルドの動きを参考に練習を重ね、テオドールの二刀流もそれなりになった。

 しょせん、それなりだ。

 もう一度ジェラルドと斬り合えば、二刀流への理解が深まるはず。しかし彼と戦ったのは大昔のことだ。もう生きていまい。


 テオドールは前世を懐かしみながらモンスターを倒し続け、そして百階に辿り着いた。


「んん? 兄ちゃん、初めて見る顔だな。若いのに一人でここまで来たのか? たまにいるよなぁ、そういう天才。なんにせよ、おめでとう。これでお前さんも、無限の塔を本格的に攻略する足がかりを得たってわけだ」


 足を踏み入れた瞬間、エルフの男に声をかけられた。

 百階にいるのは、そのエルフだけではない。大勢の人が歩いている……というより、町があった。

 レンガや木材で新しい建物を作ったり、塔の壁をくり抜いたりと、様々な方法で居住スペースを作り、ここに定住できるようにしてある。

 人が町を作ろうと、モンスターはお構いなしに湧き出る。が、ここには塔を上ってきた強者が大勢いる。よってモンスターは顔を見せた瞬間に絶命する運命だ。


「それで兄ちゃん。ここまで来て疲れただろう? 塔を上っている最中だけじゃない。その若さでそれだけの強さを身につけたってことは、さぞ禁欲的な生活だったろうさ。百階まで来たんだから、ここで少し休んでも、どこからも文句は出ないぜ。いい宿を紹介してやるよ。ちと値が張るが……綺麗で若いお姉ちゃんが癒やしてくれる最高の宿だぜぇ」


 エルフは男女ともに美形揃いで、高貴な顔立ちをしている。この男もその例に漏れず顔立ちは整っている。しかし欲がにじみ出ており、気品は感じられなかった。

 テオドールはこのエルフを知っている。何十年か振りに顔を見たが、さすが長命の種族。若々しいままだ。


「久しぶりだな、マイズロス。まだ同じ商売をしていたんだな。調子が良さそうでなによりだ。しかし俺は、今も昔もアンリエッタ一筋だ。いくら誘われても、お前の店にはいかないぞ」


 名乗っていないのにマイズロスと呼ばれたエルフは、目を見開いた。


「その口調……顔つき……なによりも気配! お前、まさかテオドールか!?」


「ああ、俺だ。転生して帰ってくると言ったら、お前らは笑って本気にしなかったが……どうだ。帰ってきたぞ」


「おお、スゲェ! おい、みんな! テオドール・ペラムが帰ってきたぞぉ!」


 マイズロスが叫ぶと、ゾロゾロと人が集まってきた。

 鬼族やドワーフなど長命の種族は、記憶にある顔と同じだった。人間は年寄りばかりで、誰が誰だか判別が難しい。

 テオドールを知らない若者たちは、年寄りがなにか集まっているなぁという表情をしながら通り過ぎていく。


 無論、集まった者たちも、すぐにテオドール本人だと納得したわけではない。

 まずマイズロスのように気配を感じて幾人か信じ、それからテオドールでなければ知らないようなエピソードを聞いて幾人か頷く。

 最後に剣さばきを見て、一人残らず全員が認めてくれた。


「うぉぉぉっ、抜剣が見えねぇぇ! 刃どころか手の動きがよく分かんなかった。こんな頭のおかしい剣術を使うのはテオドール以外にありえねぇ」


 頭のおかしいという褒め言葉は気に入らないが、昔なじみに受け入れてもらえたのは嬉しかった。


「ところでランモルはいるか?」


「おう。ここにいるべ」


 低い位置から声がした。そして人をかき分けて、背の小さい髭もじゃの男が現われた。ドワーフという種族だ。

 ドワーフは成人になっても百センチ程度にしか背が伸びない。だが筋肉質で、力は強い。寿命が長く、エルフのように千年以上とまではいかないが、三百年は軽く生きる。

 エルフは二十歳くらいで老化が止まり、死ぬまで若々しいままだが、ドワーフは逆。二十歳になる頃には初老の顔つきで、男女ともに髭がとても濃くなる。

 そして最大の特徴は、種族全体が鍛冶を好むことだ。

 誰かに教育や強制をされなくても、彼らは自然とハンマーを握る。

 普通の鉄は当然として、オリハルコンのように加工の難しい金属も、ドワーフが扱えば粘土のように自由自在だ。


「アヒレスの町で、お前が作った剣を買ったぞ」


「おお、そうか。たまに塔の外に買い出しに行くんだけども、そのついでに武器を卸してるんだ。オラの作る武器はどれも、百階より上で採れた金属を使ってる。外の連中からすれば、どれも伝説の武器に見えるべな」


「実際に、ここに来るまで使ってみた。使ってる素材だけじゃなく、制作者の腕のよさが分かる、いい剣だった」


「……テオドールに褒められるとは、オラも鼻が高い。精進してきた甲斐があった……へへ」


 ランモルは照れくさそうに鼻をかいだ。


「しかし、剣としての出来は合格だが、付与されている魔法効果はまだ課題が残るな。俺が術式を直しておいた」


「なに? 見せてみろ……ぬ! これは……効果そのものは同じだけんども、効率が段違いだ。ざっとみただけでも術式が三カ所は変わってる……そうか、こうすればよかったべ!」


「熱心に観察してるところ悪いが、俺の剣だ。返してくれないか?」


「ま、待つべ! いくらなら売る?」


 買値の五割増しで売れた。

 テオドールは少々ぼったくり過ぎたかと思ったが、ランモルは目を輝かせて剣を見つめている。

 買ったほうが満足しているなら、売り手が気に病むことはないだろう。


 昔なじみたちと少し話してから、テオドールは目当てのものを回収するため歩き始めた。するとランモルとマイズロスが並んでついてくる。


「それにしてもテオドール。本当に転生を成功させるとは驚いたぜ。今のお前なら、アンリエッタを送ってやれそうか?」


「……可能性は高い」


 マイズロスの問いに、テオドールは短く答える。

 前世では知識と技術を磨いた。しかし、それらが蓄積するにつれ、体は老いていった。頭の中で技を思い描いても、それを実現できなかった。

 今ならできる。

 アンリエッタとの絶望的な差が、埋まっているはずだ。


「可能性ね。つまり確実じゃないってわけか」


「当然だ。相手は死体とはいえアンリエッタだぞ。俺は白騎士の座を継いだが、それは実力で並んだことを意味しない」


「慎重なお前さんらしいセリフだ。しかしよぉ。お前さんの師匠が最強のアンデッドとして君臨しているせいで、ただでさえヤバかった不確定都市の探索難易度が、更に一段階上がっちまった」


「それでも挑むのが冒険者というものだろう」


「まあな。ところで知ってるか? アンリエッタがアンデッドになってから百九十年……実は犠牲者は一人もいないって噂だぜ」


「……それは本当か?」


 前世でも今世でも、最強のアンデッドの噂には気をつけていた。討伐されたという話は、一度も聞こえてこなかった。

 だが、その犠牲者がいるかどうかまでは考えていなかった。犠牲者がいて当然だと思っていた。


「さてね。ダンジョンってのはパーティーが全滅して当然の場所だ。死んだ奴がどういう理由で死んだかなんて、目撃者がいなきゃ確かめようがない。しかし俺は、アンリエッタの死体と遭遇して生還したって奴と会って話をした」


「あれと戦って生きているなら、かなりの実力者だな」


「まあ……弱くはねぇ。だが五色と比べるような強者でもない。そいついわく、攻撃の尽くが障壁で止められた。逆に向こうの攻撃は、避けることも防ぐこともできねぇ」


「おかしな話だな。それだと生きているわけがない」


「そう。更に奇妙なことに、アンデッドの攻撃は尽く急所を外したらしいんだ。いたぶって遊んでいるのかとそいつは思った。しかしアンデッドに感情はない。生前の気質が、アンデッドになっても残るって仮説があるが……」


「アンリエッタは人もモンスターもいたぶらない。聖人君子ではないから、己を守るために人を殺めることもあった。しかし一撃必殺だ」


「俺が知ってるアンリエッタもそういう奴だ。そんで、いくら急所から外れても、ダメージは蓄積していく。回復薬も尽きた。アンデッドが目の前に立ち塞がる。絶体絶命のピンチ。ところがトドメの一撃がなかなかこない。それどころかアンデッドは動かない。動こうとしているのを必死に止めている……そんな感じだったらしい。アンデッドは虚な声で呟いたそうだ。『逃げて』と。そんで、必死に這って逃げて、なんとか助かったんだとよ」


 逃げて。

 意思のないアンデッドが、そんなことを呟くはずがない。

 常識で考えればそうだ。

 しかしテオドールはなにも言えなかった。

 なぜなら自分自身、アンリエッタの死体がそう呟いたのを聞いた気がするから。


「なあ。もしかして死体の中に、アンリエッタの意識が少しだけ残ってるんじゃねーか?」


「考えにくい。そんなアンデッドは聞いたことがない。だが……もしそうだとしたら、凄まじい精神力で無理矢理、意識を保っている……」


 そこまで呟いてテオドールは首を横に振った。


「いや。いくら師匠でもありえない。死体は死体だ。その冒険者が逃げおおせたのは偶然。声は、風の音かなにかがそう聞こえたんだろう。アンデッドになっても想いの強さで人を殺さないよう二百年も耐えるなんて、話が美しすぎる」


「まあ、現実的じゃないよな。おっと、いつの間にやら、お前さんの拠点に到着したな」


 テオドールの拠点。

 それは塔の壁をくり抜いて作った部屋だ。

 無限の塔の外壁は、いくら穴を開けても貫通することはない。外側から内部に侵入しようとしても同じだ。


「お前さんが死んだって聞いてから、この扉をこじ開けようと、俺を含めて色んな奴が挑戦した。扉を開けられないから壁をぶっ壊そうともしたが、永続型の障壁が硬すぎて無理だった」


「俺は帰ってくると宣言したのに開けようとするんじゃない」


「へへ。そう言うなよ。死んだ奴が本当に生き返るなんて思わなかったんだ」


 マイズロスは悪びれもせず言う。

 そして、ここまでずっと剣と睨めっこしていたランモルが、話に加わってきた。


「テオドール・ペラムの拠点。どんなお宝が眠っているのか気になって仕方がねぇ。早く見せてくれ!」


「なぜ見せることが前提になっているんだ……まあ隠すようなものはないから構わないが」


 テオドールは扉に手をかざし魔力を流す。

 すると重たい扉が左右にスライドしていく。

 自動的に魔法のランプに明かりが灯った。

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