#6 詩(2)

 偉大な詩人は、確かな霊感を受けなければならない。

 優れた美意識と、普通の人よりも深い感情を持ちながら、十分に自分のコントロール下に置かなければならない。


 ミルトンは、彼らしい壮麗な言葉で、詩人について次のように語っている。


「あらゆる言葉と知識を豊かにする『永遠の精神』へ敬虔な祈りを捧げた人である。彼が好む人の唇に触れて清めるために、彼の祭壇の神聖な火とともに、彼のセラフィムを送り出す」[2]



(※)セラフィム(seraphim):天使の九階級で最高位の熾天使。神への愛と情熱で体が燃えていると言われる。



 詩を、ある視点から見ると、さまざまな心の計り知れない不平等を痛感させられる。その一方で、天才とは、身分や富・財産に関係ないことを教えてくれる。


「私はチャタートンのことを思い出す。素晴らしい少年で、眠ることのない魂を持ち、誇りを持って滅びたことを。そして、バーンズのことも思い出す。山腹にある彼が耕した後を歩くことは、栄光であり喜びである」[3]



(※)トーマス・チャタートン(Chatterton):贋作詩人。中世の古文書を発見したと称して架空の詩人をでっち上げて自作を発表していたが、生活に困窮して砒素自殺した。享年十七歳。「生前に認められなかった天才」の象徴とされる。

(※)ロバート・バーンズ(Burns):スコットランドの国民的詩人。スコットランド語を用いて、弱い立場にある者への愛情、社会の不正義への風刺、民謡などを著した。



 人は、詩人であっても、実際に詩を書かないかもしれない。

 だが、下手な詩や卑しい詩を書く人は、詩人とはいえない。


「現代人は詩人である、人でもなく、神でもなく、欄(カラム)を持たない」[4]


 二流の詩人は、二流の作家と同じように、やがて夢の国へと消えていくが、偉大な詩人は常に残っている。

 詩は、生きていなければ生きられない。


「頭から出たものは、心に届く」[5]


 ミルトンは、「将来、称賛に値するものを書きたいという望みを挫かれない者は、自分自身が真の詩人であるべきだ」と本心を語っている。


 「ミューズの狂気を魂に感じることなく、芸術の力を借りて神殿に入ろうと門前に来た場合、私が思うに、本人も作品も認められない」[6]



(※)ミューズ(Muse):ギリシャ神話で、詩歌・音楽・学問・芸術などあらゆる知的活動を司る女神のこと。



 しかし、真の詩人の作品は不滅である。


「ホメロスの詩は二五〇〇年以上、一音節、一文字も失われることなく続いてきた。その間に、数え切れないほどの宮殿、神殿、城砦、都市が朽ち果て、破壊された。キュロス、アレクサンダー、カエサル、いや、もっと後の時代の君主や偉大な人物たちの本当の姿と肖像を見ることは不可能だ。オリジナルは長続きせず、は生命と真実を失うしかないからだ。しかし、人間の機知(wit)と知識(knowledge)のイメージは、時間の過ちから免れて、永久に刷新可能な書物の中に残っている。それらをイメージと呼ぶのはふさわしくない。なぜなら、それらは、今もなお子孫を生み出している——、他人の心に種をまき、次の時代に数え切れないほどの行動と意見を引き起こすからである。だから、船の発明が、『資産と商品をあちこちに運び、その果実に参加するために最も遠く離れた地域を結びつける』という理由で、尊いと考えられてきたのだとしたら、手紙はどれほど尊いものだろうか。船と同じように、膨大な時間の大海原を通り抜け、遠く離れた時代を、知恵と光明と発見に参加させるのだから」[7]


 詩人は多くの資質を必要とする。クーザンは次のように語っている。


「この詩の構想を考えたのは誰か。理性である。

 この詩に生命と魅力を与えたのは誰か。愛である。

 では、理性と愛を導いたのは誰か。意志である」


「人は誰でも多少の想像力(imagination)を持っているが、恋をしている人と詩人はイマジネーションすべてが簡潔にまとまっている」


「詩人の瞳は情熱を帯びて回転し、天から地へ、地から天へと視線を走らせる。イマジネーションが未知に形を生み出すように、詩人のペンはそれらを形に変え、空虚な無の世界に土地と住居と名前を与える」[8]


 詩は才能の結晶である。しかし、作業なしには生み出せない。

 最も風流な詩人の一人であるムーアは、自分について「ゆっくりとした、骨の折れる仕事人」だと語っている。


 偉大な詩人たちの作品は、人類史が始まって以来、人間の才能が作り出した「一つの偉大な詩」の中の「すべてのエピソード」である。


 ある著名な数学者が、「ミルトンは『失楽園』で何を証明したのか」と疑問を呈したと言われている。

 他人にこういう質問をすることをためらうとしても、詩が何の役に立つのか、喜びを与えること自体が役に立たないかのように自問する人がいるのは確かだ。

 しかし、真の功利主義者は、こういう疑念を抱くことはない。最大多数の最大幸福こそが哲学のルールだからだ。


「たとえ快楽が目的だったとしても、天才の作品を、単に快楽だけを基準にして評価してはならない。私たちは、それらが前提とし、行使する知性も考慮しなければならない」[9]


 詩を深く楽しむためには、自分自身を制限するのではなく、より高い理想を目指して昇華する必要がある。


「そう。詩を読むときには、真に優れていて、そこから引き出される力強さと喜びに対する最高の感覚が、いつも心の中に存在している。その感覚が、読んだものを推定・評価することを支配するはずだ」[10]


 キケロは、詩人アルキアスを弁護するために次のように語っている。


「この男には、私の愛、私の称賛、私が彼を弁護するために可能なあらゆる手段を受ける権利があるのではないか? なぜなら私たちは、人類のもっとも偉大で学識ある人たちから、『教育と戒律と実践は、学問のすべての分野で卓越性を生み出す』と教えられているからだ。詩人は自然の手で作られる。詩人は精神的な活力によって目覚め、神性の精神によって鼓舞される。したがって、私たちのエンニウスは、詩人たちに『聖なるもの』という呼び名を与える権利がある。[11] 詩人とは、いわば神々の寛容な恩恵によって人類に貸し出された存在だからだ」



(※)アルキアス(Archias):ギリシャ出身の詩人。ローマの市民権なしに不法滞在していると起訴され、追放刑が処されるところを、キケロが弁護した。『アルキアス弁護論』で知られる。

(※)エンニウス(Ennius):ローマの詩人。ラテン文学の父。



 また、シェリーは次のように語っている。


「詩は、無数にある『理解されていない思考』の組み合わせの受け皿となることで、心そのものを目覚めさせ拡大させる。詩は、世界の『隠された美しさ』からベールを取り去り、見慣れたものを見慣れないものにする。表現可能なすべてのものを再現し、そのエリュシオン(Elysian)の光をまとった表象は、共存するすべての思考と行動に広がり、それを見た人の心の中に『穏やかで高尚な記憶』としてずっと残る」



(※)エリュシオン(Elysian):ギリシャ神話で、神々に愛された人々が死後に住む楽園。



 さらに、「あらゆる高次の詩は、無限である。それは『すべての樫の木』を潜在的に含んでいた『最初のドングリ』のようなものだ。ベールに包まれていてもベールを剥がされ、意味の奥底にある剥き出しの美しさが露呈することはない。偉大な詩は、知恵と歓喜の水が永遠にあふれる泉である」と語っている。


 あるいは、『雲雀ひばりの歌(Ode to a Skylark)』の中で表現しているように、


「大地からさらに高く

 火の雲のようにおまえは湧き出る

 おまえは蒼き深淵を飛翔し、

 高らかに歌い、さらに歌い続ける


 思想の光の中で、隠れた詩人のように

 禁じられた讃歌を歌う

 世界が希望と不安に共感を抱くまで

 それは見向きもされなかった


 露に濡れた谷間で、黄金色に輝くホタルが

 視界をさえぎる花々や草むらの間で

 空中の色彩を惜しみなく振りまくように」





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