#8 自然の美しさ(1)

大地に問いかけてみよ、教えてくれるだろう。

——ヨブ記


この生活は、世俗の喧騒を離れて、

見い出したものは、樹木に言葉、小川のせせらぎに書物、

石ころに説教あり、すべてのものが心地よい。

——シェイクスピア



***



 旧約聖書『創世記』第一章によると、六日目の終わりに「神は造ったすべてのものを見られたところ、それは、はなはだ良かった」と記されている。単に「良かった」ではなく、「はなはだ良かった」である。

 しかし、私たちが住んでいる美しい世界を評価する人がどれほど少ないか!


 これまでの章では、偶然ではあるが「自然の美しさ」について何度か触れてきた。

 しかし、人生の祝福を描こうとする試みは、どれほど不完全だとしても、ギリシャ人が「コスモス」と呼んだこの美しい世界そのものに特別な言及をしない訳にいかない。


 ハマートンは、『ランドスケープ』という魅力的な著作の中で、次のように語っている。


「四つの初体験は、どんな説明でも十分に準備させることができない。初めて見る海、砂漠の旅、流れる溶岩、そして、大きな氷河を歩くことだ。いずれも純粋なそのもので、見慣れたイギリスの荒野と同じでありながら、別の惑星にいるような非日常を感じる」


 しかし、言葉の力では表現できない現象よりも、言葉で説明できる「自然の驚異」を挙げる方が簡単だろう。


 私たちの多くは、まるで幽霊のように世界を歩いている。

 この世界の中にいるようでいて、いないかのようだ。

 目があるのに見ていない、耳があるのに聞いてない。

 「見ること」は、「見過ごすこと」よりもはるかに簡単ではない。

 見えるものを見ることができるのは偉大なギフトだ。


 ラスキンは「人間の魂が、この世でおこなう偉大なことは、何かを見て、見たものをわかりやすく伝えることだ」と主張している。

 私は、ラスキンの目が私たちより優れているとは思わないが、彼はその目でどれほど多くを見ていることか!


 見る(See)ことを期待する前に、見なければならない(Look)。



(※)見る(See)と見る(Look):Seeは自然に視界に入ること。Lookは意識的に見る動作のこと。



 エマーソンは「注意深い目」について、次のように語っている。


「注意深い目は、一年間の瞬間ごとにそれぞれの美しさを見ている。同じ平野でそれまで見たことのない、そして二度と見ることのできない絵を毎時間見ている。天は刻々と変化し、その栄光と暗闇を下界の平原に映し出す」


 自然を愛することは、すばらしいギフトだ。

 もしそれが凍り付いたり、砕かれたりしたら、その人は喪失感から苦しまずにいられない。

 自然を愛さない人が必ずしも悪いとは言わないし、自然を愛する人が必ずしも良いとも言わないが、ほとんどの人にとって、自然は大きな救いとなっている。

 コッブ女史が言うように、多くの人は「美」という名の門から神殿に入る。


 自然の美しい驚異に、何も感じない人もいる。

 朝日や夕日の輝きも、果てしなく広がる大海原も、穏やかな静寂の中にある雄大な姿も、強大な力で威厳に満ちている姿も、嵐に騒ぐ森も、生き生きとした鳥のさえずりも、氷河や山も——。

 これらの壮大な光景のどれにも心を動かされず、「天と地のすべての栄光が、心に触れることも精神を高揚させることもないまま、日々がただ通り過ぎていく」[1]、そういう人も間違いなくいる。


 このような人は確かに哀れだが、幸い、彼らは例外だ。

 私たちの誰もが、自然の美しさを十分に理解できないとしても、少しずつ理解し始めている。


 初夏は、多くの人にとって特別な魅力がある。生活そのものが贅沢だ。

 空気は香りと音色と陽光にあふれ、鳥のさえずりや虫の声が聞こえる。

 草原は金色のキンポウゲで輝き、芽吹きと草が伸びるのが見えるようだ。ミツバチは楽しそうに鳴き、空気は千の香りに満ちていて、とりわけ新しく刈り入れた干し草の香りがあふれている。


 田舎の晴れた夏の日の絶妙な美しさと喜びについて、リチャード・ジェフリーズの『夏のページェント(Pageant of Summer)』ほど真に迫り、美しく描写したものはないだろう。


「長い草、豊かな葉、空気に満ちる歌声の中でだらだらと身を置いている。陽光がもたらす輝きと、南風が呼び起こす生命をすべて感じることができる。果てしなく伸びる草、どこまでも続く葉、大きく広がるオークの力、小鳥やブラックバードの純粋な喜び、そのすべてから少しずつ受け取っている……。ブラックバードのさえずりも、草葉の影で彼らが求愛のダンスをする軌跡でできた迷路も、私のものだ。千の顔を持つ花々が朝のキスを集めている。彼らと一緒に感じることで、私は彼らの旺盛な生命力を少しだけ受け取る。決して充分ではないし、長く滞在することもできない……。美しさに心を奪われている時間は、本当に生きている唯一の時間だ。この中に長くいればいるほど、避けがたい時間からより多くを奪われる……。魂を吸収して美で満たすこの時間だけが、無駄にはならない唯一の時間だ。これこそが本当の人生であり、他のすべては幻想か、または単なる我慢にすぎない。精神的な恐怖を感じることなく、美しく穏やかであることが自然の理想だ。それが叶わなくても、少なくともそれを考えることはできる」


 この章はすでに長くなってしまったので、「一年の娘たちが光の中で踊り、影の中で死んでいく」[2]ような、季節のコントラストや多様性、それぞれの魅力と面白さについて、これ以上触れることはやめておこう。


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