#3 健康(1)

健康は、死すべき人間にとって最良のものである

二番目は、美しさ

三番目は、豊かな財産

四番目は、友人と過ごす青春の喜びだ

——シモーニデース



***



 富・財産(wealth)の利点について意見の相違があったとしても、健康に関してはすべての人が一致している。


 はるか昔、シモーニデースは「健康は、死すべき人間にとって最良のものである。二番目は美しさ、三番目は豊かな財産、四番目は友人と過ごす青春の喜びだ」と語っている。

 また、ロングフェローは「健康がない人生は重荷となり、健康な人生には歓喜と快楽がある」と語っている。


 古代ギリシャ時代の哲学者エンペドクレスは、汚染された沼地の水を抜いて疫病からセリヌスの民を救い、半神と呼ばれた。彼の名誉を称えるために、「哲学者がフェイボス(光と治癒の神)の手に留まる姿」を見立てたコインが鋳造されたと言われている。


 私たちは、医師にどれほどの恩義があるか、ほとんど気づいてないと思う。

 私たちの医学体系は非常に自然で自明であるため、それが新しくて例外的なものだとはほとんど思い浮かばない。病気になると医師を訪ね、薬を処方してもらい、それを受け取って服用し、報酬を支払う。


 しかし、下等民族の間では、痛みや病気は悪霊の仕業に起因するとされていることが多い。治療者は医師というより聖職者、ほとんど魔術師も同然で、彼がやる仕事は悪霊を追い払うことである。


 ある程度発達した別の国では、お守りをボードに書いて洗い流して飲む。患者ではなく医師が飲むこともある。しかし、このようなやり方は一般に一時的なものに過ぎず、当然ながら専門家から敬遠され、実践的な診療とは相容れない。


 報酬に関しても、大きく異なるシステムが見受けられる。

 中国人は、健康なときに医師を雇い、病気になるとすぐに報酬を止める。

 古代エジプトでは、最初の数日間、患者が医師に食事を与え、その後、医師は患者が治るまで面倒を見ると言われている。興味深いシステムだが、英雄的な治療への誘惑が強すぎるかもしれない。


 全体的に見て、私たちのプランが最善と思われるが、発見と研究を十分に奨励しているとは言えない。ハンターやジェンナー、シンプソンやリスターのような人たちの発見によって、私たちがどれほど助けられていることか。



(※)ジョン・ハンター:イギリスの解剖医。「実験医学の父」「近代外科学の開祖」と呼ばれる。風変わりな変人で『ドリトル先生』や『ジキル博士とハイド氏』のモデルになった。


(※)エドワード・ジェンナー:天然痘ワクチン(牛痘接種法)の開発者。「近代免疫学の父」と呼ばれる。


(※)ジェームズ・シンプソン:スコットランドの産科医。ヴィクトリア女王の侍医。クロロホルム麻酔を医学に応用した。


(※)ジョゼフ・リスター:イギリスの外科医。「術後の創傷の化膿は細菌による汚染である」と考え、術野や手術用具をフェノールで消毒して無菌手術を実現。敗血症を撲滅した。




 しかし、健康の問題に関しては、偉大な医師が患者のためにできることよりも、私たち自身が自分のためにできることの方が多い。


 すべての人が「健康の恩恵」について同意したとしても、健康を維持するために必要なわずかな手間をかけたり、わずかな犠牲を払おうとしない人がたくさんいる。

 実際、多くの人は意図的に自分の健康を損ない、「苦悩の老後」と「早期の墓場」を迎えることになる。


 ほとんど健康を望めない体質を受け継ぐ人もいるに違いない。

 ポープは、長年の病気と彼の人生について語っている。実際、多くの人が「私は患っている。それゆえに私がいる」と言うかもしれない。


 しかし、幸いなことに、これらのケースは例外的で、ほとんどの人はその気になれば健康かもしれない。病気になったのは私たち自身の不摂生のせいだ。してはいけないことをして、すべきことをしないままにしているから、健康になれないのではないかと思う。


 私たちは皆、自分が病気になる可能性があることを知っているが、健康を保つために何ができるかを認識している人はほとんどいないだろう。私たちの苦しみの多くは、自ら招いたものだ。

 古代エジプト人の間では、人生の主な目的はをしてもらうことだったと言われている。しかし、多くの人は、今でもこのこと(立派な葬儀)を第一の目的であるかのように生きている。


 旧約聖書のナアマンのように、自分の健康が奇跡的な干渉の対象になることを期待し、健康を維持するための家庭的な予防策を怠ってしまう。



(※)ナアマン(Naaman):シリアの将軍。ハンセン病を患っていたが、誇りを捨てて少女の助言を聞き入れ、預言者エリシャに会いに行った。



 これから社会に出る人たちの心に「健康の探求」が十分に根付いているかどうか、私は疑問に思っている。

 ささいな病気をこじつけたり、病気の本を読みあさったり、薬で自分を試すことが望ましいというわけではない。とんでもないことだ。

 自分を病気だと思いこんだり、ちょっとした体の不調を気にしないようにするほど、健康を維持できる可能性が高くなる。


 しかし、一般的な健康状態を探求することはまた別の問題だ。

 よく知られたことわざに「四十歳になると、誰もが愚者になるか医師になる」とある。残念なことに、四十歳の医師だけでなく病人も多い。


 健康を害しても、不機嫌の言い訳にはならない。

 ある病気にかかったとしても、少なくとも他の病気から逃れているのだから、自分自身を祝福することができる。

 シドニー・スミスは、いつも物事の明るい面を見ようとしていたが、ある時、苦しみに押しつぶされそうになり、友人に「痛風、喘息、その他七つの病気にかかったが、それ以外はとても元気だ」と書き送ったことがある。


 著名な人相学者のカンパネラは、身体のあらゆる苦しみから注意を引き離すことができたので、あまり痛みを感じずに拷問に耐えることができたと言われている。

 注意力を集中し、意志をコントロールする力を持つ人は、人生のささいな不幸のほとんどから自分を解放することができる。

 不安の原因がたくさんあるかもしれないし、体は深刻な苦しみのさなかにいるかもしれないが、心は穏やかで影響を受けないままだ。心配と痛みに打ち勝ってしまうかもしれない。


 しかし、多くの人が不必要な苦痛を経験しており、無知や不注意によって貴重な命が失われることも少なくない。

 多くの偉大な人物たちの命は、ほんの少し普通のケアをしていれば、はるかに長生きしていたかもしれない。そう思わずにはいられない。


 音楽家のみを取り上げても、ペルゴレージが26歳、シューベルトが31歳、モーツァルトが35歳、パーセルが37歳、メンデルスゾーンが38歳でこの世を去った。世界にとって何と痛ましい損失だろうか。


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