柔らかい人
午前の授業を無事全て乗り切った。つまりは英語もクリア!よし、
「ハル!飯食お」
「んえ、あ…‥ちょ、ちょい待って!」
と、意気込んで立ち上がったところを侑司に呼び止められ、なんなら今まで一緒に食ったことはないのに昼メシに誘われてしまった。やらなければないこととやりたいことを頭の中で整理し、大丈夫か、と思うもののやはり時間が足りない。申し訳ないけど、ちょっと今日は無理っぽい。
「なんかあったん?」
「あー、うん。ちょっと行かなきゃねぇとこあんだ」
そっか、と言った侑司は明らかに落ち込んでいて尚のこと胸が痛む。ホンット、ごめん。
ついでにメシも買わなければ、とバッグから財布を取り出して教室を出る。バタバタと足音を鳴らしながら一階まで降りると、もうそこは人で溢れていた。
「オバチャン、唐揚げ弁当一個!」
「ハイハイ、順番ね」
少し間延びした返事をしながら購買のオバチャンは唐揚げ弁当をひとつだけ後ろに置いた。目の前の人集りがだんだん減っていき、やっと俺の番が回ってきた。
「オバチャン、こんちわ!」
「晴樹くん、こんにちは。ハイ、唐揚げ弁当、四百円ね」
「いつもありがと!」
んじゃ、と小銭と弁当を交換して、また階段を駆け上がる。教室に一度戻り、バッグの中から水筒とおにぎりを抜き取って、そのまま七組へ向かおうと廊下へ足早に--
「ハル、どこで食べんの?」
俺を見付けた侑司は、どうやらまだ弁当に手を付けていなかったらしい。弁当箱の蓋は閉じられたままで、なんなら箸すら握っていない。俺が購買に行っているまでの間、ただクラスメイトと談笑していただけだったようだ。意外と頑固なんだな。
「え、いや、ごめん!今日はちょっと清水と……」
「清水?なら、俺も行ってい?」
どうしてそうなる、と喉まで出かかったのをパッと明るくなった顔を見て飲み込んで、また考える。
「ああ、まぁ……いーよ」
行くか、とニッと笑うと侑司は小さく、よっしゃ、と言って破顔した。まぁ、仕方ねぇか。なんとなく、侑司は懐っこくて弟みたいな、同い年だけどそういう位置付けで頼まれると断れない。だってほら、今だってただ隣の教室に行くまでの短い時間なのに、すごい嬉しそう。
「あ、ねぇ、清水いる?」
「清水?いるー……ね、いるいる」
「サンキュー」
一年の時に同級生だった女子に清水がいるかを確認し、一緒になって教室内を見渡す。清水を見付けた彼女が指差した先には、黙々とおにぎり片手に卵焼きやウィンナーを頬張る清水がいた。
「清水〜。来てやったぞ」
「呼んでねぇよ。って、髙橋も来たのか」
「お邪魔しまーす」
「いいけど……スペースねぇぞ」
ダイジョブダイジョブ、なんて言いながらニコニコと笑って空いている椅子を引っ張る侑司と少し無愛想な清水の組み合わせは、見ていて面白い。真逆にも程がある。
「なぁ、マジでどうすんの」
「個人だけでいいんじゃね?剣道部に花持たせるの癪だし」
「てーか、エントリーだけでもしてくれたら話は早ぇんだよなぁ」
「なんでダメなんだろな」
朝に引き続き道場から大会に出場できないことについて、清水とふたりで文句を言う。事情は分かっているけれど、エントリーさえしてくれれば道場のヤツらと組めるからこんなに悩まないのに、と溜息が出る。
「剣道部じゃ何がダメなん?」
あんのに、と事情を知らない侑司がきんぴらごぼうを口元に運びながら言う。俺も清水も思わず苦笑いして顔を見合わせると、侑司は不思議そうな顔をした。清水が口を開く。
「うちの剣道部、俺らの二個上には俺らの道場出身の人が二人?いたんだけど、それ以外初心者ばっかでさ」
「その先輩達は入部しても週末は道場に来てたんだよ。んで、去年見学行った時に今の三年とやって、俺も清水も一本勝ちしちゃったんだよね」
「え、すげぇじゃん」
「だろ?」
おい、と清水が俺を嗜めるように肘で小突いてくる。溜息を吐いておかずが入っていたタッパの蓋を閉めた。
「あの人達、足捌きも適当だし負ける方が有り得ねぇから」
「清水はいっつも俺に厳しいよなぁ」
不貞腐れたように言って清水を見遣ると、清水は清水で眉根を寄せて俺を見ていた。それが面白くて、笑って斜め隣に掛ける侑司に顔を向けると、困ったような、なんとも言い難い顔で俺と清水を見ていた。
「どした?」
聞いてもただ首を振り、なんでもない、と言うだけで弁当を食っている。おにぎりを包んだアルミホイルを剥がし、齧り付く。
「その後連絡はねぇの?」
「清水にはなんも行ってねぇの?」
「来てねぇ」
清水は携帯を開き、メールを確認してすぐに閉じた。俺もポケットからスマホを出そうと漁るけど、それらしい重みは全くない。どこにやったか、と一瞬考え机の中だと思い出して椅子から立ち上がる。
「ちょっとケータイ持ってくる」
「あ、おう」
食べかけのおにぎりをアルミホイルで包み直し、そのまま八組へと向かった。
***
ハルの背中を見送る。ハルは他のクラスのヤツとも仲が良いから、声を掛けられて答えるハルの声が小さく聞こえた。
「なぁ、ハルって好きなやつとかいんの?」
清水と二人きりになって、思い切って聞くことにした。清水は片眉を吊り上げるような顔をして、少し考えているようで直ぐには答えない。そんなに長いこと考えることでもないはずだけど、焦らすように清水は濁す。
「俺から言っていいのかは分かんねぇけど、いるといえばいるんじゃね?」
「なんだソレ」
清水とハルがそういう関係ではない、と察することは出来た。けど、清水の歯切れの悪い言い方が腑に落ちなくて、今度は俺が考え込む番だった。
「あいつ、ちょっと厄介なもん抱えてっから」
え、と音が口から溢れてグルグルと思考が巡る。厄介なもの、って例えば?例えば、俺と同じとか、もしくはなにも感じないとか、と都合のいいものも悪いものも挙げていくと止まらない。
「え、ハルって意外とカノジョいない歴イコール年齢?」
「いや、いなかったわけではない。……長続きしねぇんだよ」
アレ。
さっき沈めたはずの思考がまた浮き上がる。バツの悪そうな顔をしている清水がなにを隠しているのか、なんて想像がつく訳もなくて、耳の奥と目頭がだんだん熱を持つ。ああ、イヤだ。痛い。耳も、目も、熱い。
「……髙橋?」
「んえ?あ、悪ぃ」
なに、と咄嗟に笑顔を作って答えるけど、清水はなぜか心配そうな顔のまま話し始めた。
「八古ってすげぇデカい家住んでるのな」
「え……あ、ああ!そうなのよ。俺も初めて行った時ビビったわ!」
努めて明るく。いつもの俺に戻れ、と自分に自分で魔法をかけるように言い聞かせて、必死に笑顔を作る。こんなふうに笑うなんて、初めてだ。
「その割に、八古ってなんか物足りなさそうな顔してるよな」
いつもなのかは知らんけど、と付け足す清水はマサに興味があるのかないのか分からないけど、なんとなく気にかけてくれているのが伝わってくる。世話焼きなのかな。ほっとけない、とかそういうこと?
「あー……なんか、親が昔からすんげぇ忙しいらしいよ。だから、家のことすげぇって言ってもあんま嬉しそうにしないし、なんならちょっと怒る」
「え、ダル」
「ひっでぇの」
落ち着いた雰囲気の清水がちょっとだけ嫌そうな顔をするのが面白くて、なんとなくハルが清水を揶揄う理由が分かった。それと、だんだんとイヤな思考が落ち着いていく。
「清水の髪って地毛?」
ハルばかり見ていたから気が付かなかったけど、短いながらも緩いカーブを描く髪は細く、その毛先はあちこちと好きな方向を向いている。自分の髪に手櫛を通して、清水は柔らかく笑った。
「ああ、そう。親父譲りで天パなんだわ」
「そうなんだ。でもなんかいいな!俺直毛だからパーマかけてみてぇもん」
「梅雨の時期とか面倒だぞ」
緩く笑うところとか、あっさりしてるだけで冷たいわけでは話し方とか。清水を見てるとハルだけではなく、親父さんまで見ているようだ。
「親父さん、優しい?」
気になって、口を突いて出た言葉に清水の色素の薄い目が揺らいだ。
「おまたおまた、クラスのヤツに捕まっちまった」
声の方へ顔を向けると、くしゃくしゃな俺の好きな笑顔があった。
「……そのまま捕まってりゃよかったのに」
「はぁ?清水はいつになったら俺にデレんだよ」
「はぁ?俺がお前にデレるメリットを言ってみろよ」
清水の隣に座って、ハルは不服そうな顔をしながらも清水の肩に腕を回す。
あ、ヤダ。
ガン、と椅子をどこかにぶつけてしまったけど、気にしていられない。
「あ……ごめん、俺戻るわ」
驚きを露わにしたままの顔で、ハルと清水が俺を見上げた。その表情も、似ている。
「侑司、どした?」
「柳田、ちょい。お前離れろ」
「え、なんで」
いいから、と清水はハルに腕を痛めない程度の強引さで、自分の肩から退かせた。俺を見る清水の目が優しくて、それが俺を余計に惨めにさせる。
「すまん」
「……いや、ダイジョーブ」
上手く笑えただろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます