その20 歴史修正主義

 東京都千代田区にある私立ケインズ女子高校は本来の意味でリベラルな学校で、在学生には(後略)



「志乃先輩の彼氏さんって確か正智しょうち大学の歴史学科志望でしたよね? やっぱり歴史マニアなんですか?」

「ええ、将来は日本史研究者になりたいからって社会の選択も日本史Bと世界史Bにしたそうよ。その組み合わせで大学受験する生徒は例年ほとんどいないみたい……」


 ある土曜日の練習後、私は2年生の宇津田うつだ志乃しの先輩と一緒に帰りながら話していた。


 志乃先輩の彼氏である水戸みとまなぶさんはケインズ女子高校の近くにある中高一貫の男子校でそこそこの進学校でもある私立アダムスミス高校の2年生であり、先輩からもたまに話を聞かされていた。


「でも歴史オタクすぎて一緒に大河ドラマとか見てると隣でぺらぺら解説されてちょっとうっとおしいのよね。まあ私のことを大事に思ってくれてる証拠でしょうけど……」

「へえー、いい関係じゃないですか。あ、何か向こうで演説してる人が」


「区民の皆様、私は新政党『立ち上がる日本国民の生活が第一党』の最高顧問、政治評論家の杉浦すぎうら良子よしこと申します。本日は今の時代を生きる日本国民がいかにあるべきかについて皆様に演説をさせて頂きます」


 空き地に演壇を設置して演説を行っているのは小規模政党の最高顧問を務めている女性評論家らしく、政党名も女性の名前も初めて聞いたが雰囲気からすると右派系の人らしかった。


「近頃は日本国内においても同性愛者をはじめとした性的少数者の権利擁護が取り沙汰され、東京都内でも同性パートナーシップ制度を導入する自治体が増加しつつあります。少数者の権利を守るという趣旨は理解できますが、その一方でフェミニズムやダイバーシティの名を借りて通常の男女間での恋愛や婚姻を否定する動きがみられているのは大きな問題です。かつて江戸時代に『好色一代男』という物語が流行したように積極的に女性にアプローチして恋愛関係を構築する姿勢は日本男児のあるべき姿であるにも関わらず、最近では男性から女性への告白までもをハラスメント扱いするおかしな風潮さえあります。私たちは今一度日本古来のあるべき恋愛像に立ち返り……」

「ちょっと待った! あなたが仰っている江戸時代への言及は歴史修正主義的で問題です!!」


 文章にするとものすごく長文になりそうな演説を遮ったのは私立アダムスミス高校サッカー部のスポーツバッグを持って学ランを身にまとっている男子高校生で、顔をよく見るとその男子は先ほど話していた水戸さんだった。


 水戸さんはサッカー部の練習の帰りに演説を見学していたらしく、近くには2人の部活仲間がいて様子を見守っていた。


「あなた、私の演説を妨害するつもりですか! それに私の歴史認識が修正主義的などとはひどい言いがかりです!」

「何を言ってるんですか、井原いはら西鶴さいかくの『好色一代男』では主人公は数千人の女性のみならず数百人の男性とも性的な関係を持っていますし、同作者の『男色なんしょく大鑑おおかがみ』という作品に至っては当時一般的であった男性同性愛を主題として赤裸々に描いています! 男女間の恋愛だけがあるべき姿というのはせいぜい明治時代からの価値観に過ぎず、日本古来などという発言は歴史修正主義でしかありません! そんな歴史観修正してやる!!」

「な、何ですって……」


 歴史認識の正確性について水戸さんに論破された女性はそれからは演説をトーンダウンさせ、集まっていた聴衆が離れていったこともあって最後はすごすごと立ち去った。



「水戸さん、さっきはすごかったですね。政治家とか評論家の人って確かに割といい加減な知識で歴史を語ってたりしますし、水戸さんみたいな詳しい人が歴史学者になったら絶対に社会のためになりますよ」

「どうも、いつも志乃ちゃんがお世話になってます。俺なんてちょっと歴史に詳しいだけですけど、流石に間違った歴史認識のもとにフェミニズムやダイバーシティについてどうこう言うのはひどいと思ったのでさっきは色々言っちゃいました」

「ミト君のそういう謙虚な姿勢、私も好きよ。今度何か恩返ししてあげようかしら……」


 志乃先輩に褒められた水戸さんは照れながら頭をかき、私は志乃先輩がこの人と付き合っている理由がとてもよく分かる気がした。


「えー、フェミがどうとか言うけど水戸ってこの前『俺の彼女って細身に見えるけど実はDカップもあるんだぜ!!』とか俺らに自慢して」

「そっ、それは誤解だ! そんな歴史認識は今すぐ修正しごふっ!!」


 部活仲間の証言を否定しようとした瞬間に志乃先輩の右ストレートで顔面を潰された水戸さんを見て、私は人のふり見て我がふり直せという言葉を思い出した。



 (続く)

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