その9 アスリート盗撮

 東京都千代田区にある私立ケインズ女子高校は(後略)



「来月からプール開きだねー。小学校以来だからすっごく楽しみ」

「ええ、わたくしも同じなのでとても楽しみです。泳ぎ自体は忘れていないと思うのですが」


 ある日の昼休み、私は硬式テニス部仲間で同じクラスの同級生でもある三島右子ちゃんと並んで廊下を歩いていた。


 中高一貫の女子校であるケインズ女子高校には開校以来プール設備がなく、十数年前に近くの市民プールが廃業してからは水泳の授業自体がなくなっていたけど、数年前から建設されていたプール設備が先日ようやく完成したため今年度から水泳の授業が再開されることになっていた。


 指定のスクール水着をそろそろ購入しなきゃと思いつつ高校校舎の2階に続く階段に向かっていると、1階にある高校職員室へと黒服を着た集団がぞろぞろと歩いているのが見えた。


「あの人たちって何なのかな? 業者さんには見えないけど……」

「菜々さん、おそらく私のお父様と組員いえ社員の皆さんだと思います。何の用なのか見てきますね」


 和服を着た集団は右子ちゃんの実家である「民族政治結社大日本尊皇会」という一般社団法人の方々だったらしく、黒服の皆さんには小指がなさそうなスキンヘッドの男性もいたので私は恐る恐る右子ちゃんに付いていった。


「あなたが教頭先生ですね? 私は高1の三島右子の父です。この中高では来月から水泳の授業が始まると娘から聞きました」

「ええ、そうなんですよ。わが校もようやく自前のプールを持つことができまして」


 ふくよかな中年女性である教頭先生は唯一和服を着ている三島行成ゆきなりさんに笑顔で答えたけど、その瞬間に行成さんはカッと目を見開いた。


「そのような寝ぼけたことを仰っている場合ですか! いいですか、この中高は女子校であるにも関わらず、新たに完成したプールには屋根がないのですよ。組員いや社員に命じてこの学校の周辺を調査させましたが、近くにはプールを盗撮できる建物が何軒もあり、そうでなくとも人工衛星からは地上の様子など丸見えなのです。昨今では女性アスリートへの盗撮が社会問題になっていますが、もしうちの可愛い可愛い右子が不埒ふらちやからに盗撮されたらこの学校は責任を取れるのですか!?」

「そ、その視点はありませんでした。女子校ですので保健体育の教諭や運動部のコーチは全員女性としていますし、校内の防犯にも気を配っておりますが、遠方からの盗撮という発想は流石に……」


 行成さんは若干ヘリコプターペアレントのがあるし人工衛星がどうこうは考えすぎだけど、近くの建物からの盗撮の被害には確かに私も遭いたくないと思った。


「そうですね、根本的な解決にはなりませんが、お父様のご意見を受けて水着は指定したもの以外も可としたいと思います。今時は他者からの視線に配慮したジェンダーレス水着といったものもありますし、右子さんに身体があまり露出しない水着を着て頂くことでご容赦頂けませんでしょうか」

「分かりました。完成したプールに今すぐ屋根を付けることも難しいでしょうし、娘にはそう伝えておきます。この度は保護者の意見を聞き入れてくださりありがとうございました」


 和服姿で深々と頭を下げた行成さんに従って周囲の黒服の皆さんもビシッと頭を下げ、教頭先生はほっとした表情で校長先生に事情を伝えに行った。



 そして翌月、水泳の授業の初日……


「灰田さん、意外と挑戦的な水着着てきてんじゃん。私なんて学校指定のスクみずだよ?」

「そうかな? でもスクール水着を着れるのも今だけだし、それはそれでうらやましいかも」


 着用する水着が自由化されたとお母さんに話したら節約のためにとアウトレットで買ったビキニの水着を渡されてしまい、同じクラスの女友達は照れている私を茶化していた。


「あら、最後の1人ね。……三島さん、その鎧は一体……」

「遅れて申し訳ありません、この水着は着るのに時間がかかってしまいました」


 授業開始時刻ギリギリに入ってきたのは右子ちゃんで、彼女は頭以外ほぼ全身を覆う金属製の鎧のような水着を着てきていた。


「あの、ガシャンガシャンいってるけどそれ泳げるの……?」

「大丈夫です、三島家では代々古式泳法が伝授されていますから、この程度の鎧型水着など造作もありません! それではよろしくお願いします」


 体育の先生は右子ちゃんの水着にドン引きしていたけど、右子ちゃんは平然とプールサイドに並んでそのまま準備体操に加わった。


「それでは、まずは飛び込みの練習から始めます。ええと、今日の日付は……あっ、じゃあ、三島さんから……」

「分かりました! 古式泳法でも飛び込みは通常と同じ、では行きます!!」


 ガン!!


 右子ちゃんはガシャンガシャンと歩きながら鎧型水着のままプールに飛び込み、重量で勢いよく水に沈むと思ったより水深が浅かったせいで頭を勢いよくプールの底にぶつけた。


「嫌ああああああ、三島さんが息をしてないわあああああああ!!」

「先生、動転してる場合ですか!? 右子ちゃん、今助けるからー!!」


 意識を失ったまま水面に浮いてきた右子ちゃんを、私は友達と協力してどうにかプールサイドへと引き上げたのだった。



 (続く)

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