愛しい人へ、素直になれなくてごめんなさい
しろねこ。
第1話 愛しい人
「あれは……」
愛しい人が女性と話しているのが見える。
可愛らしい女性と話す彼の表情はとても楽しそうで笑顔が溢れている。
女性は公爵令嬢で彼は王族、身分としても釣り合いが取れていてお似合いだ。
「あの、好意とか、そういう他意は特にないのです」
二人を見て明らかに落胆した自分に、隣にいたマオが慰めの言葉を掛けてくれた。
本当にそうだろうか、口からはため息が出てしまう。
このところ毎日話をしているのをよく見かけているのに、他意はないなんて信じられない。
それに今話をしている彼女は、彼の新たな婚約者になるのだと伝え聞いていた。
だから毎日ああやって楽しそうに話をしているのではないか、もやもやを抱えたまま、マオに向き直る。
「この後用事があることをすっかり忘れていました。だからごめんなさい、お話はまた後日に聞かせてくださいとティタン様に伝えてくださいな」
下手な嘘だとすぐわかるだろうが、そう言うしか出来なかった。
「あの、ミューズ様」
引き留めようとしたマオの言葉を振り切り、足早にその場を離れる。
小さな唇を噛み締め、涙を堪えながら。
ミューズは、幼い頃にとあるきっかけでティタンに会い、そして助けたことがある。
ティタンは早く騎士として認めてもらいたいと、武者修行として一人森に入り、魔獣の毒を受けててしまった。
同じく薬草集めがどうしてもしたくて、一人秘密裏に森に入っていたミューズが、傷ついたティタンを偶然見つける。
幼い頃から薬草が好きで、薬学の勉強をしていたから、何とか対処できた。
「大丈夫、すぐに治るよ」
解毒の葉を潰して患部に擦り込み、ハンカチを巻く。
なんとか歩けるくらいに回復したが、大人に無断で森に入ったのがバレると酷く怒られると思った二人は、お互いに絶対誰にも言わないようにと約束をして、その場で別れた。
ミューズは身を隠す為にと、マントを羽織って顔も肌も見せないようにしていたから、大人になって社交の場でティタンと会っても気づかれず、見かけても近づくことをしなかった。
入学の際に顔を合わせても、俯いて目線を合わせないようにし、声も出さないようにしていたから、何とかバレずに済んだ。
言い出せなかったのはティタンが王族だと後から知ったこと、そして森に入った後ティタンは怪我の為に数か月療養すると発表があったからだ。
(きっと私が処置を間違えたから悪化したのだわ。だから療養に時間が掛かってしまったのね)
ミューズは落ち込んだ。
以来罪悪感と申し訳無さが消えず、声を掛けることなんて絶対に出来なかった。
それなのにふとしたきっかけでティタンにバレてしまう。
校外学習で似たように怪我をしたクラスメイトを治すためにと回復魔法を使った時だ。
「大丈夫、すぐに治りますよ」
その一言を聞いてティタンはきづいてしまったのだ。
「君は、あの時の少女か」
ふらりとティタンは小声でそう呟くと、ミューズに近づき手を取る。
(大変だわ、余計な事をしてしまった)
咄嗟の事で、つい反射的に使ってしまった。
大人しく先生に任せておけば良かったと後悔する。
何を言われるのだろうとビクビクしていたら、すっとティタンが跪き、ミューズの手を取った。
「俺と結婚してくれ」
唐突に言われた言葉に周囲も動揺する。
言われたミューズは誰よりも驚きながら、恐る恐る言葉を出した。
「お、お断りします」
傷ついた顔をするティタンを見てもおろおろとするばかりだ。
「だってティタン様には、婚約者様がいますよね?」
更に打ちのめされ、ティタンは肩を落とした。
ティタンは隣国との王女との婚約が決まっていると伝え聞いていた。
だからこんな告白は世迷言としてしかとらえられない、ミューズはどきどきする胸を押え、深呼吸する。
(びっくりした。急にプロポーズなんて)
幼いあの日の少女がミューズと気づいたようだが、でも何で求婚?
誰しもが驚愕したその話はすぐに噂となって学校中に広まってしまった。
周囲に波紋を齎した一件から数日後、ティタンはミューズと話がしたいといって来た。
「この前は突然の話を済まなかった」
謝罪の為に頭を下げるティタンに慌ててしまう。
「お顔を上げてください、驚きましたが、大丈夫です」
本当は全く大丈夫ではないのだが、それ以外何と言っていいかわからない。
それに一刻も早く穏やかな日々を取り戻したいので、出来ればこうして話をすることも控えたいのだ。
(早く終わって欲しいわ)
あまり長く一緒にいたくはない。
そんな思いと裏腹にティタンが立ち去る様子はなかった。
「本当に済まない、君がそうなのだと知って周囲の目も考えずに口からつい出てしまった。あれから皆にも怒られたよ」
従者たちからも説教を受けたと苦笑していた。
「一応確認なのだが、その、どことは言えないが昔会ったことがあるよな?」
後ろに控える従者を気にしてか、小声でそう問われる。
「気の所為です」
はっきりと否定する。
お互いに秘密と言ったし、今更名乗り出て責められたくはない。
何より家に迷惑をかけることは避けたかった。
「いや、そんなはずはない。俺はずっと君を探していたんだ。あの優しい声掛けや気遣い、君しかいない」
「人違いです。ですからあの求婚の方もぜひ否定してください、このままでは隣国までお話がいってしまいますから」
自分のせいで国同士の軋轢が生まれてしまうのは嫌だ。
この学校には隣国からの留学生もいる。
何とか冗談として噂の流布を止めて欲しい。
「それも断る。俺はもう君だと決めているからな」
「ティタン様でもそのようなご冗談を言うのですね、すみませんがこの後用事がありまして。失礼します」
頭を下げ、逃げるようにその場を後にした。
(何とか逃げ切らないと)
自分から話掛けることもなく、出来るだけ二人になる事を避けるが、もちろん諦めてはくれるはずもなく、寧ろ避けるほどに声を掛けられるようになった。
そしてティタンが付き纏ってくるにも関わらず、ミューズの方から言い寄ってるのだと噂になる。
非常に困った。
そうして避け続けているのに、ランチにまで誘われる始末。
断ろうにも一緒にランチをするものもいないし、庇ってくれる人もいない。
それにどこに行ってもついてきてしまうから、いっそ王族が使用できる個室の方が人の目にはさらされづらいだろうと覚悟をして一緒にランチをするようになった。
ティタンの従者がいるから二人きりになる事はないが、他の人との交流は極端に減る。
「あの、ティタン様には婚約者様がいるのですから、このように誘われては困ります。それに、昔のことというのも、何のことかわかりませんし」
そう言ってもティタンは納得しない。
「ユーリ王女の事は気にするな、直に片がつく。それにミューズには婚約者がいないと聞いた。こんなに綺麗で優しいのだから、一人にしたら他の者が寄ってくるかもしれん。心配だ」
悪い虫が近寄らないようにという意味なのだが、ミューズには伝わらない。
(何の裏があって? 一人なのはティタン様のせいなのに……もしかしてこれが昔のことに対しての報復なのかしら?)
そんな事を考えたが、面と向かって聞くのも恐ろしく悶々としていた。
あの時の少女は自分だと言って、これ以上責められては堪らない。
そんな中ティタンと従者が話しているのをこっそりと聞いてしまった。
「ミューズ様が件の少女だと確認が取れたらどうなさるつもりですか?」
「王城に来てもらうつもりだ。父と兄がぜひお礼をしたいと言っていたしな。あの怪我のあとは本当に大変で、暫く王城から出られなかったから、ぜひ積もる話もしたい。思い出したくない忌まわしい記憶だが、当事者としてミューズにも聞かせたいことがあるからな」
苦々しげに呟くティタンの言葉にミューズは震える。
やはりあの後悪化したのだ、そしてただの子どもが無責任にも薬師の真似事をしたから国王様達も怒っているのだ。
ではやはり皆の前で婚約者がいるにも関わらずプロポーズをしたのは、わざとミューズの評判を下げるためだろう。
疑心暗鬼になり、それからは幾度となく愛の言葉を囁かれたが、どれも本気には出来なかった。
それでも何度も好きだというティタンの言葉に時々絆されそうにはなる。
欲目なのかもしれないが、ティタンは好みのタイプでもあるし、嘘を言ってるようには見えないからだ。
大きな鍛えられた体躯は、小柄な自分にはないから憧れるし、ティタンの剣を振るう姿もかっこいい。
ミューズの祖父が騎士なのもあり、騎士になりたいというティタンに少なからず親近感も湧いている。
しかし彼には婚約者がいる。
仮に本当に好意を持ってくれているとしても、このままでは愛妾とか、不倫相手にしかなれない。
望めるならば両親のようにお互いを愛し、愛される関係になりたい。
「本気にしたくないのに、意識してしまう」
あれだけ好きだと言われればやはり嬉しい
日が経つにつれ、その思いはどんどん大きくなり、彼の事を思うと胸が苦しくなるようになった。
想いを吐露できる場所もなく、途方に暮れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます