第4話

 食堂、保健室、図書室といくつかの学校施設を姉さんと共に回った。


 私立だからだろうか。中学校のそれとは比べ物にならないくらいに設備が充実している。


 姉さんは各施設を丁寧に案内してくれるのだが……。


(案内してくるのはありがたいんだが、説明している間、何であんなニヤニヤしてるんだ?)


 姉さんは施設の説明をしている間、何を想像しているのか終始ニヤニヤ顔だったのだ。


 時折『……一緒にご飯、……放課後に読書、……私が看病』と呟いていた気がするが、何の事だろう?


 あまり踏み込みたくないので、気が付かなかった事にする。余計な事をして、また姉弟の関係が変わってしまうのはごめんだ。


 そして、始業時間まで残りわずかになった頃。最後に生徒会のメンバーに俺を紹介したいと言ってきた。


 気は進まないのだが、姉さんがどうしてもと言うので渋々付いて行くことにしたのだが、残念。俺にとっては幸いなことに生徒会室は無人であった。


「皆いないか……流石に入学式の準備とかで忙しいよね。しょうがない」


「…………」


(いや、姉さんは何やってるんだ?)


 そんな言葉が喉まで出かけたが、何とかこらえた。姉さんの事だ。自分の仕事を終わらせた上でここにいるのだろう。そうに違いない。


「もうこんな時間だし……本当はもっと一緒にいたいけど、遅刻させたら駄目よね。龍巳、今日はこれでお終い。また今度、一緒に回ろうね」


 時計を見れば、始業時間までもう幾ばくもない。確かにそろそろ教室に向かった方がいいだろう。


 俺は教室の方へ足を向けて歩き出そうとした。その背中に、姉さんが声をかける。


「あっ、龍巳。その……、気を付けてね」


「?」


 気を付ける? 何を? 


 迷子になって遅刻するとか、そういうのか? 流石にそんな子供じゃない。


「これからの学校生活そのものよ。あと……、直接はまだ言ってなかったよね」


 俺の表情を見て考えを読み取ったのか、姉さんは言葉を続ける。そして。


「入学おめでとう、龍巳」


「……あぁ、ありがとう」


* * * * *


 生徒の影が見えない静かな廊下に、始業を知らせる鐘の音と、あわただしく駆ける足音が響く。


(はぁはぁ、何とか間に合ったかっ!?)


 チャイムが鳴るのと同時に、俺は後ろの扉を思いっきり開けて教室にかけ込んだ。数人の生徒がこちらを見ている。視線が痛い……。


(まさか本当に迷って遅刻しかけるとは……)


 途中から走って向かわなければ間に合わなかった。この学校、私立だからかやたらと広い。


 さっきは姉さんが案内してくれたおかげですんなり見て回れたが、恐らくあれは姉さんがスムーズに見て回れるようにと計画を立てていてくれたのだろう。でなければ、数は絞っていたとはいえ20分やそこらで案内できる広さじゃない。あらためて姉さんの優秀さを実感した。しばらくは頭が上がりそうも無い。


 俺が教室に入ったすぐ後、担任と思わしき若い女教師が前の扉から教室に入って来た。


「ほらー席に付けー。……お前だお前。後ろで突っ立てる黒髪の」


「…………」


 ……俺か?


 周りを見回しても、立っている生徒は俺しかいない。


 周囲の視線を浴びる中、俺は空いている席(窓際の、後ろから2番目の席が一か所だけ空いていた)に、かばんを置いて着席する。


(何とか遅刻はしなかったが、確実に目立ったな。それにしても……)


 ちらりと横目で隣の席を見る。


 この席まで移動する時に気づいた。気づいてしまった。


 今朝、校門の前で見たのも気のせいではないだろう。


 今日は朝からため息を吐きたくなることが何度かあったが、これほどまで盛大に吐きたくなることは無かった。


 俺の視界の端、隣の席では、栗色の髪の女子生徒、桜井春花さくらいはるかが同じようにこちらを見ていた。


「……ふぅー」


 俺は席に着き、肩の力を抜く。


 入学式もつつがなく終わり、今はHR前の休み時間。すでに何組かのグループが完成していて、教室のあちこちで談笑しており……。


「生徒会長さん、綺麗だったよねー」


「俺は書記の先輩のほうが……」


「副会長、なんか厳しそうで怖かったな……」


「新入生主席の子、私と同じ塾だったんだー」


「あれって本当に学園長? めちゃくちゃ若くなかった?」


 そんな会話が耳に入る。その中には、桜井も混じっており、時折こちらを伺うようにチラチラと見てきていた。


「…………」


 俺はその視線に気づかないふりをする。話しかけられれば返事はするが、敢えてこっちから関わるような事はしない。


(それにしても、生徒会が全員いたって事は姉さんもいたのか……)


 そんな事を思っていると、ヒュポッとスマホから通知音が聞こえた。姉さんからだ。


 ……嫌な予感がする。


 メッセージを確認してみると、そこには『あなた寝てたでしょ』と、一文だけ書かれていた。


 朝の寝起きが悪かったのと、大人数が集められた講堂の空気にあてられて、俺は式の最初と最後以外は全て寝ていたのである。


 入学式なんて大体同じようなことしかしないし、これだけの人数だ。バレやしないと思っていたのだが、姉さんにはしっかり見つかっていたようだ。


 あの人数の中でよくもまぁ見つけたものだ。


 例え見つけたとしても表情までわかるものか。そうは思うが、実際寝ていたので何も言えない。考えが浅はかだった自分を恨むか。


 するとヒュポッと、再び受信を知らせる音が鳴る。


「?」


(また姉さんから? 今度は何だ?)


 再びメッセージを開く。


『今日は、帰ってくる? 私とお母さんでお祝いの料理作るんだけど、龍巳に食べてもらえると嬉しいな』


 そんな、少し遠慮がちなメッセージが届いていた。


(どうしたものか……)


 久しぶりに家族3人揃っての食卓。正直行きたい。だが、気まずい空気にならないだろうかという不安もある。


 それに、今日は夜に少しだけ外出する予定がある。折角2人が祝ってくれているのに水を差すようで申し訳ない。


 しかし、ふと今日の姉さんとの会話を思い出す。


 昔みたいに。とまではいかないが、それでも普通に話ができていた。少し前までを考えれば大きな進歩ではないか。きっと母さんとも上手くできる。


 そう思い、俺は了承の意を伝えるため姉さんに返事を返すことにした。


『夜に少しだけ外に出る。それでもいいなら』


「…………」


 返信を一瞬躊躇う。こんな簡単な文章でいいのか?


(迷っていても、何も始まらないか)


 俺はもうなるようになれ、とやけくそ気味に返信ボタンを押した。


「……ん?」


 返信して数秒もしない間に、再び受信音が鳴る。


(……早いな)


 まるで、返事を今か今かと待っていたようである。


 スマートフォンの液晶と睨めっこして返事を待ちわびる姉さん。


(駄目だ。違和感が……)


 頭を振って、おかしな想像を振り払う。


 姉さんは何と返してきたのか。そう思いスマートフォンの液晶を見ると……。


『本当に! 嬉しい! 腕によりをかけて作るから楽しみにしていてね! 龍巳は何か食べたいものとかある? 何でも作ってあげるから! それからケーキとかも用意しようと思うんだけどどんなのがいい? 昔はチョコレートケーキが好きだったよね。今もそうなのかな? あと、入学祝のプレゼントとか――」


 ポチッと、たまらずスマホの電源を落とす。


(な、なんだ今の)


 姉さんからの返事は、先程の一瞬ではどう考えても入力しきれない長文(あれで1/5くらい)になって送られてきた。


 途中、『プレゼントは私』などと頭のおかしい文字が見えた気がしたが、見間違いであってほしい。


「……ふぅー」


 宙を仰ぎ、目をとじる。


(さっきのは……一旦忘れよう)


 でなければ、このあと姉さんとどんな顔をして会えばいいかわからない。家族3人の食卓が、別の理由で気まずくなってしまう。


 俺は先ほどの衝撃をスマホと共に制服のポケットにしまい込む。


 するとタイミングよくHRの開始を告げるチャイムが鳴り響いた。気持ちを切り替えるにはちょうどいい。散らばっていた生徒たちが自分の席に戻り始める。もちろん桜井も。


(こっちはこっちで、また別の問題があるな……)


 前途は多難であった。


* * * * *


ここまでご覧いただきありがとうございます。


よろしければ作品のフォローやレビュー評価をよろしくお願いします。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る