第31集:踊る鯉のような恋をして

 ここは、とある豪華な屋敷の一角。

 辺りが夜になっても、執事室は日中と変わらず慌ただしいままである。


 だが——それは当然!

 お嬢様の執事たる私の仕事に、休息はありえないのである!


 はてさて。もうすぐで午後11時。

 そろそろ私を呼ぶお嬢様の声が、屋敷中に響く時間である。


「執事ー!ちょっと来てくれるかしらっ!」


「はっ。ただいま向かいますお嬢様」


 執事は足早にお嬢様の部屋へ向かう。すでに彼女は薄い桃色の頬を膨らませており、ベッドの横に佇んでいた。

 

 そして待ち侘びた様子で、


「執事。池の鯉が美し過ぎて、寝られないわっ!」


 幼さの残る声色を跳ねながら言葉を紡いでいく。


「一体どうしてくれるのかしらっ!!」


 …はてさて。

 ここからが私の仕事である。


「申し訳ありませんお嬢様。ではお嬢様の願いとは?」


 するとお嬢様は意地悪気な笑顔を浮かべてみせた。どこか憎らしくも思えるが、年齢相応の無垢な少女の微笑みである。


 彼女はおもむろに執事を指差して、


「私を寝かしつけなさい。以上よっ!」


 不敵な笑みを浮かべており、まるで執事を試している様子だ。しかし言動は、やはり子供そのものである。


 池の鯉が美し過ぎて寝られない――ふむ。まったく関係は無い。


 だが!

 ここでお嬢様の願いを叶えられないようでは、それは三流執事!


 残念ながら私は、一流執事なのでございます…。


「承知しました。それではここで一つ提案がございます」


 執事は下げていた頭をゆっくりと上げて、瞼を細めてお嬢様を見つめた。

 心做こころなしか彼女の瞳は、従順な仔犬のように期待に満ちているようだった。しかしこれもまた見慣れた日常の一幕である。


 その瞳に応えるように、執事は答える。


「私、実は詩を書くことが趣味でございまして…」


「ふふっ。今夜も待ってたわ執事」


 彼女は待ち侘びたように、乾いた唇を小さく舐めてみせた。





 ◇◆◇◆




【第31集:踊る鯉のような恋をして】


 満天の月 揺れる影

 水面に咲く 名も無い花は 君に問う

 徒然つれづれなる思い出の波に置いた

 あの日の ときめきは色褪せていないか


 ここは千年目の 今日

 君だけの夜を くぐる時

 夢でまた逢えると

 誰かが ささや


 心が咲く季節

 麗らかな薫風くんぷうに 魅せられて

 どこまでも 登るよ

 高く 高く 高く


 今宵 踊る鯉のような恋をして

 八千代の夢物語 口にして

 隠して通せない この純情

 あなたという池の中 

 静かに 波風を起こして



 紡ぐ指 注ぐ光

 千重に続く 歴史の終着は 君に問う

 爛漫らんまんなる未来の輝きに満ちた

 あの日の 産声を忘れていないか


 ここは千年目の 今日

 何も無いところから

 産まれるのが恋と

 誰かが 呟く


 運命が咲く季節

 子どもみた愛の菜種を

 人生の畑に 撒いてゆく

 そっと そっと そっと


 今宵 踊る鯉のような恋をして

 心のにしき 清らかに掲げて

 伝えに向かうよ この想い

 あなたという湖のしずく

 朱の唇 柔く重ねて


 

 舞い踊れ 慕情ぼじょうの限り

 あなたに逢うために

 私は この世に産まれてきた


 今宵 踊る鯉のような恋をして

 紅白の微熱 形にして

 朝まで 語っても構わない

 あなたという海に添う

 この気持ちは 誠だと


 踊り明かす

 今宵 鯉のように

 君に 恋をして




 ◇◆◇◆




「――さて如何でしょう?お嬢様」


「すー…すー…」


 おやおや…。

 どうやらお嬢様は、眠ってしまったようでございます。


 はてさて。もう夜も深い。

 それではあなた様も、どうか良い眠りを。


 え?

 私はいつ眠るのか、ですって?

 

 いやはや…お優しいお心遣いありがとうございます。


 しかし心配はご無用でございます。


 執事たる者。

 お嬢様のためならば休息など必要ございませんゆえ…。


 それにまたすぐに、お嬢様から呼ばれるかもしれませんから――ね。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る