悪夢一覧

松山みきら

第1話 鉱山死傷事件


 『百姓昭明にして、萬邦を協和す』

 恐らく、その時代だったと思われる。

 マダユキの意識が目覚めたのは薄暗い山奥だった。

 何やら自分は発電設備の近くで身を潜めており、

 右手には旧式の歩兵銃が握られていた。

 着ている服も帽子も茶褐色のそれをしている。


「前方が見えるか。

 三つの隧道の内、最も灯りの多い右手を救出する」


 背の高い隊長らしい人物が唾を飛ばして言った。

 前方に採掘運搬用の線路が敷かれた隧道への入り口が三つあった。

 左が真っ暗で最も小さい形をしており、

 中央は隧道内がやや明るく見え、右手側が最も明るい光を放っていた。


「見張りもいるから気をつけていかないとナァ」


 へらへらとしたようにも朗らかにも聞こえる声。

 左側で歩兵銃に弾丸を装填する痩せた男がいた。

 彼の笑った口元には大きな銀歯が覗いている。

 あまり気持ちの良い印象は受けなかった。


「宮本サン、戦争から生きて帰ってきたのにこんなシゴトで笑えますか」

「何をゆっとるか、このシゴトも戦争と変わらんわ。

 子供がそこで殴り合いの喧嘩をすりゃあそれはもう戦争なんじゃ」


 銀歯の男、宮本は歩兵銃の銃床で横腹を小突いてきた。

 加減が下手なようでマダユキは痛みに顔をしかめる。


「二人ともやめい。あまり大声で話していると――」


 隊長が制止しようとしたとき、三人の間を何かが素早く掠めていった。

 鳥のさえずり。化け物のさえずり。金属たちの甲高い悲鳴。

 弾丸が耳元をすり抜け、土を抉り、砂利を飛ばしていた。


「しまった、もう見つかっ」


 隊長の言葉はそこで途切れた。

 身体を二度、三度震わせて銃を落とし、隊長は血を散らせて死んだ。


「マダユキ! 何をしとるか! 撃ち返せ、阿呆!」

「わあああああああ」


 マダユキは脂と汗で顔を濡らし、どこかも分からぬ敵に銃を撃ち続けた。

 やがて弾切れを起こしたら銃を地に落とし、宮本を置いて逃げ出した。


「おい、どこへ行く! マダユキ! 戻って来んか、マダユキーーーーッ」


 絶叫と跳弾の音が聞こえる。

 砂利をまき散らし、何度も転び、手のひらをすりむいた。

 振り返ると、後ろから腕を縛られた人々が隧道から逃げ出していた。

 その人々の一部も悲鳴を上げ、血しぶきと共に死んでいった。


「ヒィ、ヒィッ」


 息か悲鳴か分からない声が喉を鳴らした。

 どこから来たのかも分からない道をひたすら下っていく。

 知らない人々が数名、後ろからついてくる。

 言葉も交わさずにただひたすら真っすぐに逃げ続けた。


 しばらく走り続けると茅葺の古い民宿に着いた。

 民宿の前にはマダユキと同じ服を着た男が誘導をしていた。


「こっちじゃ、こっちへ避難しろ! 後は本隊が始末してくれる!」


 後から来た人々と一緒に民宿に駆け込む。

 みな息を切らしながら畳の広い部屋に倒れた。

 言葉は誰一人として交わさなかった。

 人質たちの縛られた腕をほどこうとも思わなかった。


「兵隊さん、これどうぞ」


 割烹着を着た妙齢の女がお椀に入った味噌汁を持ってきた。

 マダユキはお礼の言葉を言えず、ただ頭を下げるだけだった。

 味噌汁は幸いにも飲みやすい熱さだった。

 この際熱くても冷たくても構わない。

 喉が渇いたから飲みたかった。

 お椀を傾けて汁を口に流し込んだとき、妙に硬い物が入ってきた。

 貝だろうかと指を突っ込んで取り出してみたら、

 それは、へらへら笑う男の口元に輝いていた銀歯だった。


 悲鳴も上げられずにお椀を放り投げる。

 口の中にあった味噌の味が途端に鉄の、血の生臭い味に変わっていく。


「なんでお前が一番に逃げてくるんじゃ」

「兵隊のくせになんで戦わなかったんじゃ」

「なんで」

「なぜじゃ」


 逃げてきた人々と、味噌汁を持ってきた女が揃ってマダユキを見る。

 マダユキは銀歯を畳に落とし、みなから突き刺さる視線を受けながら、

 再び暗闇の山の中へと逃げ出すのだった。

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