Vedete-08:勃発にて(あるいは、最悪e最善/マッシモ込むンディヴィゾーレ)

 今の今まで混沌に淀みし場には今や、昂揚含みのどよめき未満……形容しがたき数百余りの殺した呼吸音、および殺しきれない心音が、沈み込むように不気味にうねって横たわっているかのように感じられた。空気も空も白々と否、白々しく澄み渡っているものの、それが空虚な書割に見えてしまうほどには、澱む瘴気の如きものが地表から延々と立ち上って来ているのであった。


「……」


 その中を、外野の動向など全く意に介せずといったように睨み合う二人の将。否、お互いがお互いの存在を強烈に意識し合いながら、双方視界には入れていながらも視点は定めておらぬ的なわざとらしいにも程がある風情にて、ただただ鞍上と地上にて見下ろし見上げ合うという静の緊迫感が辺りを巻き込み支配しているばかりであり。と、


「……何でこんな薹立ち女にいいようにやられてる? あと豚はなんだ、醜態も醜態を晒しおって……ッ!!」


 そんな中、白き髪の将エカベトの言葉が、気だるげの中に苛立ちと揶揄をないまぜにしたかのように吐き落とされてくるのであって。その元で相対する銀髪の将、ベネフィクスの眼輪筋がぴくり不随意な振動を見せるが、そのようなヒトをヒトたらしめる表情を失いつつも、呼吸をまずは最優先事項と踏まえて色氣力の回復に努める構えである。エカベトはそれを尻目にというかは努めて意識しないように振る舞いつつ、自らの軍麒の手綱を軽く引くと、先ほどアザトラの手により介錯を為された豪将の首が転がりし処まで歩ませるのであったが。次の瞬間、


 糞が……ッ、の苛立ち声と共に、軍麒の右前脚は直角まで高く上げられると、その下の首を踏みつぶさんと勢いよく振り下ろされる。しかし、


「……ッ!!」


 そのなまじの丸太などより二回りは大きいであろう巨大な蹄は、いつの間に現れたのであろうか、うずくまる黒衣の少女のその華奢なる背中によって受け止められていたのであって。肋骨かどこかの骨が軋み切ってから折れ切ったかのような嫌な音がくぐもって響く。


 全身を震わせながらも無言で顔を上げしその乱波の少女は、将に向かいて何事かを訴えるかのように鋭きまなざしを向けたまま、引き結んだ薄い唇から一筋の鮮血を伝わせるのであったが。


「どけ。でなければ貴様ごと踏みつぶす」


 次の瞬間、怒りというよりはそれを上書くほどの嗜虐に歪んだエカベトの顔が、真下の少女を見下ろし告げる。それと同時に再び振りかぶられた軍麒の右前脚が、今度は明確に少女の顔を狙い、見せつけるようにして突き落されていくが。それでも、


「……ッ!!」


 幼く見える小さき顔の左半分にその獰猛なる蹄の撃を受けてなお、少女は四つん這いの姿勢のまま、その下に在る自らが「お館様」と呼び仕えていた主の首を護らんとばかりに、震える全身を突っ張るのであった。今度こそ見下ろすエカベトの顔の左半分がどす黒い怒りで引き攣っていく。が、その、


 刹那、だった……


「……ッ!!」


 自らの顔面に向けて跳ね飛んできたつぶての如き小さな「火球」を、それを視認しただけで弾き飛ばしていくエカベト。放った主の方を見やれば、やはりそこにあるのは不自然なほどに表情の欠片も無い、ベネフィクスの整いし顔なのであるが。唾棄混じりにそれを見下ろし、見下した言葉を吐き紡いでいく。


「ババァ……不意打ちとは卑怯……って言うか、そのくらいしか到底通用しないって自覚は出来てんだなぁ? イラつかせるだけの存在……要らないんだよなぁもうそういうの……」


 色氣力のうねりと共に、感情のうねりも尋常では無いのが奔嬢の基本精神である。喜怒哀楽のどれもが行き着く臨界まで振り切れたるが、また強さの証でもあるのではある。しかして傍の者共は日常からしてそれをいなし収めていくことに全力を強いられるのでもあるのでもあるが。


 刹那、だった……


 あぁ? という非常にねちゃついた語尾上がりの疑問音声が中空を跳ねたかと思いし時には、


「……!!」


 ざんぶといった感じでいきなり空中に溢れ出してきた「炎の肉厚絨毯」の如きものが、エカベトの身体をその跨りし軍麒ともどもかっさらわんばかりに迫って来ていた。しかして完全に虚を突かれた風情だったのもまさに瞬のことであり、


 命令を待っていたかのような軍麒は、主の軽く横腹を蹴った合図とほぼ同時に、その軽く曲げていた四肢を伸ばすと、高々と跳躍していたのであった。眼下をまるで激流のように行きゆく朱色の炎。


「……」


 その機に乗じ主の首をかき抱いたまま中空に溶けるかのようにして姿を消した乱波少女の黒い影を視界の隅で確認しながら、ベネフィクスは先ほどよりの表情の完全に失われし顔を目指す相手へ向けると、肚底から何故かぼこぼことあぶくが如く湧き上がってくる感情の波濤を精神の奥底で楽しむかのように、それに委ねていく。しかして、


「コココココココ……ァイアイアイアィ相済みマせんことよぉぉぉん……はいハイ、キサマの享年の倍は生キ散らかしてシマって、こいつぁ御免ねごっめ~んアっさぁあっサぁ……『亜刺業炎アッサァコォォォル』ェェッ!!」


 頭蓋骨が喋ったのかと思いまごうほどの、感情筋が置き去りにされたかのようながらんどうの顔貌から放たれしは、気の弱き者ならば心の臓の脈動を止めるであろう、精神の奥の奥にある根源的な恐怖を司る場所を引っ掻き散らすが如き金属質の声であり。その人間でも魔物でも無い、正体不明の何かとの間に横たわる不気味の谷底からぬらり這い上がってきたばかりのようなモノから、瞬烈の「中空を横切る」火柱が上がるのであった。


 その紅蓮なる炎の熱線は、中空に浮かび上がったままの無防備と思われる一騎の元へ走り行く。


 溜めの間が無いに等しいとか何だよ、と「総尉」と呼ばれし奔嬢の中でも相当の手練れたるエカベトも、不快という仮面では隠し切れないほどの動揺と恐怖を感じた。感じてしまった。が、その事に怒りを覚えることで不要な感情は拭いさる。と、


 今度はその左肩に乗りし黒小龍が口をがばと開き、目には見えぬ空気の振動を発生させるとその熱線を苦も無く掻き散らしていく。一方、その下の軍麒は猛々しき身体を大仰に着地させつつ共にこれでもかと四肢を踏ん張ると、何らかの力を溜めていくのであるが。


「『陸黄リクギⅧ式はちしき』……これ以上時間は使いたくねぇえんだわぁー。貴様ごと此処は落とすッ!! ババァの干からび首一個がとこで良しとされるかは分からねぇけどなぁぁぁぁ……ッ!!」


 その鞍上、エカベトも白き軍服の肩を怒らせながら自身の右掌を差し出すと、初めて構えのような体勢を取る。


 こいつも……「杖」を使わないのか、いや、さっきから構えも何も無かったけど……と、尋常では無い外面の一枚奥で、ベネフィクスは静まり切った思考を凝らす。全身に感じる粘度のある液体に絡まれ絞られているような重みと痛みは既に痛覚の閾値を超えてしまっているのか、ただただ常態としてそこに在るところまで来ているものの、開き切った「孔」からは未だ尽きることを知らないほどの奔流が体外体内を無秩序に荒れ狂っている。凪いだ思考の内から、相手側に一瞥をくれるベネフィクス。


 そしてへぇー、さらには「御供」の二匹……やつらをも操って「射出口」にしてるってわけ……なるほど奔放な発想。ていうか何と言うか、きのう今日のあれこれで分かってきたことがある。色氣力は奔放という以上に、自由、無限。これは淑婦ヴォーコの格式張った教科書通りの色氣じゃあ、格下にも手玉取られるわけだわ。あぁ、まあいや、それよりも……


「そのバ何とかっていうのが、どこの誰を指しているかは皆目だけれどもぉおおおおッ!! 目の前のぉぉぉぉッ!! 棒切れのような身体をしたぁぁぁぁッ!! しなび×××(聞き取れずにて候)にぃぃぃぃッ!! 我が豊潤たる『Ⅷ式』をぶつけのち、消し炭にせんことをぉぉぉぉッ!! ここに誓うううううぁぁあああッ!!」


 撃てるうちに撃つ。最大を。


 今の状態でも呼吸は深く落ち着いて取れていたが、さらにの上を目指すかのように、ベネフィクスは己が胸元を大きく突きあげている双球が跳ね回るか如くに激しく、そして深く鋭い呼吸へと移行させていく。


「……」


 相対する総尉の方は、先の宣誓の何が逆鱗に触れたかは分からぬが、その白い顔をさらに透き通らせんばかりに白めかせ、反対に覗く紅き瞳の濁り渦巻き方は尋常を欠いていく。


 一触即発、というのも生ぬるいほどの、事後には草木一本残らないと思われしほどの凄まじき「力」の高まりを、やや離れたところで見守るほかは無くなったアザトラは感じている。周りに残りしヤクラの軍勢も、戦場の只中ではあるものの、最早色を喪いて茫然と見やるだけしか出来ていないのであった。


 二人の将の、数瞬後の避けられぬ激発の、その瞬間を。


 しかして互いの色氣力が極限まで達したかに思えた、まさにその瞬間、それはまた、


 空白の一瞬でもあったわけで。


「……!?」


 エカベト側、御供二頭と共に力を昂らせていた小さな白い顔が歪む。その眼前で黒い飛沫を首根元から吹き上げながら事切れていたのは、他ならぬ自らの愛麒であった。刹那、


「あああああああああッ!!」


 その黒い雫の後ろから現れしは、先ほどまで本部からの避難を請け負っていたリアルダの瞬ごとに迫りし姿。完全に意識の盲点を突いたかの瞬撃。が、


「馬鹿がッ!! この近距離ッ!!」


 その右の手刀に込められた緑色に輝く色氣力の鋭さに一瞬動きが止まるものの、無理やりに完成させた「技」を躊躇せず展開させていくはエカベト。周囲の大気が震えるほどに「重く」集中していく黄色の光。


「リアルダッ!! 離れなさいッ!!」


 味方の巻き込みを恐れ、ベネフィクスの完成されし術式は出時出方出処に迷うかのように揺蕩ってしまうが。


(あの威力ッ!! 至近で喰らっては……)


 自分の怯懦に心底不甲斐なさを感じつつも、アザトラも地を蹴り駆けるが。


「右腕一本くれてやるよ……ッ!! 『孔』の概念を知っているか? 『細い孔ほどよく飛ぶが、その分容易に塞がりやすい』ってなぁッ!!」


 リアルダの右腕全体から針金のように伸びて張り巡らされていく緑の色氣が、中空で自然に折り曲がりつつ、対するエカベトの白い軍服に幾つも突き刺さっていく。一見無作為に見えるその奇妙なる「緑の針」が、己の色氣が流入出せし通路……「孔」のことごとくに寸分の狂いも無く殺到しているのを認識し、さしものエカベトも喉奥を不随意にひくつかせてしまう。


 まずい、と意識するより疾く肌で感じ取った総尉であったものの、既に引き返すことが出来ない臨界点を超え、能力の発動は始まっているのであった。つれて巻き起こる激しい閃光が連鎖せし波濤。それが辺りを激しく獰猛に呑み込み照らし尽くす。そしてその次の刹那、周囲の物象全てをその中心一点に引き込むかのような強烈な重力を発したかと思うや否や、それら全てを突き放すかのような、


 莫大な力の炸裂が、


 周囲一面を、否、立体的な広がりをも以てして、覆い尽くすのであった。


 静寂。


「……」


 どこまで飛ばされたのであろう、軽く意識をも飛ばされていたリアルダが、後頭部と背中に感じる硬い石の感触に突かれるようにしてうっすらと目を開ける。視界に飛び込むは空のほぼほぼを覆うほどの未だ「黄色」き気流が如きうねりであるが。


 「Ⅷ式」をまともに喰らったのならこの身体ごと意識ごと消滅してて当然だからして、うん、まぁ何とか野郎の「孔」塞いでの「暴発」誘発は出来たってことか……もうこの身は使い物にはならぬかも知れんが、最後、司督のお役に立てて良かった……と、おそらくは破断以上のこととなっているであろう自らの右腕に意識をやるものの、


 ……何か重いな。


 持ち上げようとしたらままならなかったものの、それは失われているというよりかは、何かが付着しているかの如き感触なのであった。何とか首を起こして見やるとそこには、


「……」


 黒髪黒衣の青年が、身体全体で自分の右腕にしがみついているという何とも言えない図があるばかりなのであった。何とも言えない疑問が頭に浮かぶが、次の瞬間、この男が昨夜未明、自らの主に向けて語っていたことを、扉に寄り添いて聞き耳を立てていたこの耳が確かに覚えていた。


 色氣力を吸い取る。


 この者……私を庇いて、さらにはその身にあの「暴発」を受け止めたと、そういうことなのか……


 力無くうつ伏せるその細身の下の腕は、全くの無事のように感じられたのであった。べ、別に庇ってもらおうとか、そんなの期待していたわけじゃないんだからねっ、という自分でも制御出来ない謎の思考が大脳を巡り、何となく居心地が悪くなって、もぞもぞとそこから腕を引き抜こうと身を捩らせるのであったが。


 それが、いけなかった……


「……ッ!!」


 突然、伏せられていたアザトラの顔が跳ね上がり向けられる。いつもの飄々としたそれに非ず、何となく何かを我慢しているかのような、切羽詰まってぱんぱんに膨れ上がった顔貌だったのに慄かされるが。


 げ、限界まで吸い取りしゆえ、もはやそれがしの身に色氣を留め置くことは一時たりとも不可能なれば……ッ、何卒、なにとぞほんの少しだけ御身へと「沙生シャッセ」させていただくこと、構いませぬでありましょうか……ッ!! と血走った目で言ってくるのに泡食って、


「か、構うわッ!! 時機状況を鑑みよッ!!」


 何とか声を張り、そこから逃れようともがくものの、身動きは未だままならぬままなのであった。


 ほ、ほんの少しだけ、少しだけで良いですからッ!! というこの者にしては珍しいなし崩し的な何かを痛烈に感じ、あ、これ言っても駄目な奴かも……とリアルダの半開きになった瞼と唇と前頭葉の隙間から諦観が漏れ出していくかの、正に、


 刹那、であった……


 強烈な黄色き色氣の奔流が、身体の孔という孔を強引に、固く閉じ合わされていたそれを強引に捻じ入り突き破るかのように無慈悲に蹂躙していく……身体の深奥、さらには全脳の末端に至るまでの頭の中全てが黄色い何かに満たされていく中、


 あーれー、という何かを達観したかのような声がリアルダの喉奥から長く細く紡ぎ出されていき、そして、


 ……辺りには静寂が訪れたのであった。

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