第16話 公爵の心配の種1

「アレウス皇太子殿下がいない?」


 バレッタ公国の属国化が決まり、落ち着いた頃に皇太子殿下の失踪宣告を受けた。執務室で共に報告を聞いていた姉のカサンドラ皇后陛下の目が段々吊り上がっていく。「嫁探しの旅に出ます。探さないでください」と言った内容の置手紙を部屋に残して出奔したようだ。


「……あの馬鹿息子が」


 般若の顔になっている皇后陛下姉上に恐れをなしたのか、報告しに来た若い侍従は金縛りにあったかの如く動かない。


「朝の閣議には出席されていましたから、恐らくその後……もしくは数分前に出たのではないでしょうか。それならばまだ間にあいます。国境警備隊に連絡を。皇太子殿下のこと、アンベール伯爵子息のレイモンドを共に連れて行っている筈です。若い少年に二人組を見つけ次第保護するように伝えなさい」


「畏まりました」


 秘書の一人が真っ先に行動に移した。慣れの具合を感じさせる行動の速さだ。硬直したままの侍従も後数年すれば慣れて素早い行動に移せるだろうに。


「ホホホホホ……皇太子は自ら嫁を探すと申すか……全く、困った皇太子だこと。古今東西、世界広しといえでも皇太子自ら花嫁探しをするなど我が国位でしょう。本当に、この母の予想を超える行為をなす」


 艶美な微笑を浮かべているものの、背後に夜叉が視える。姉上……侍従が立ったまま失神していますので、もう少し怒りを抑えていただけないでしょうか。と言えたらいいのだが、生憎、こうなった姉に何を言っても無駄である。


 

 甥のアレウス皇太子は誕生した瞬間からそれは手のかかる子供だった。

 

 食力旺盛で最初の乳母などは乳首を食いちぎられた程だ。回復魔法で傷一つない体に戻ったとしても乳母の皇太子に対する恐怖心はなくならなかった。鬱状態になった乳母に退職金を上乗せして辞めさせなければ彼女の心は壊れていただろう。それからは五人の乳母が交代で乳を飲ませる事で最初のような惨劇にはならずに済んだ。


 普通よりも泣かない赤ん坊ではあったが、一度泣き出すと手が付けられなかった。

 魔力量が並外れて多い事も災いしていた。魔力暴走を起こして周囲を殺しかけたのだ。その一件があってから、皇太子は外に出せなくなった。魔道具で封じた結界の中でしか過ごせない日々が続いた。ハイハイが出来るようになると猛スピードで結界から脱走を繰り返すようになった。

 最初は部屋の周りだけだったが、すぐに城中を徘徊するようになった。


 ある日、執務室の扉を開けると横から入ってきた赤ん坊を見て驚愕したものだ。


 そして「魔の二歳児」が到来するとそれまでが如何に生易しかったのかを実感させられた。


 城中を走り回るだけでは済まなくなった。

 いたるところで質の悪い悪戯を繰り返し、暗殺者を跳ね返し、皇帝陛下の側妃達をノイローゼに追いやり、使用人達を怯えさせた。

 

 悪戯は兎も角、暗殺者と側妃達の件は私と姉上以外にはバレていない。というのも、僅か二歳児が暗殺者が放った攻撃魔法を逆に跳ね返して、その遺体を串刺しにした挙句に送り主側妃達にプレゼントするとは誰も思わない。




 そういえば、当時の姉はそれを大層褒め称えていた。


『流石、私の子です』


『よくやった! これで愚かな女達は二度と日の目を見ることは無いでしょう!これを機に白い壁の向こう側精神病棟に行って貰うのも一興!!』


『ホホホッ。下賤な血と馬鹿にする割には根性のない。たかが肢体如きに怯えるとは!』


 

 ……あの時、褒めたのがいけなかったのではないだろうか。

 そういえば、姉上のお気に入りの首飾りを皇太子がバラバラにしてしまった事件があった。


 それからだ。

 姉上が教育方針を見直したのは。

 机に向かっての勉強以上に外での実地訓練に重きを置いた。「将来を見据えての教育。帝国を動かすには頭と力、両方が不可欠」と言い放ち、早い段階で武術と魔力を学ばせていた。名目上は「帝王学の習得」だったが、あれは間違いなく皇太子の破壊活動が自分の方に向かってきたことを察知したせいだろう。


 武術で体を鍛え上げ、騎士団で暴れ回っているお陰で破壊活動は鳴りを潜めた。


 それでもまだ油断できなかったのだろう。


 姉上は宣言した。


『大国の次期皇帝が芸術に無知であってはならない』


 音楽、ダンス、美術と一通り習得させた。

 姉上自身が舞の名手でもあったせいか、ダンスへの力の入れようは凄まじかった。皇太子が踊り始めると、その場にいる誰もが魅了された。

 天賦の才に恵まれたアレウス皇太子に掛かる期待は大きい。とうの本人は周囲の期待にどこ吹く風。プレッシャーに押し潰される心配がないのは頼もしいが、その分、自由人に育ってしまった。自由闊達に動き回りながらも帝国に利益を運んでくる皇太子殿下に周囲は手を焼いている。




 





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