1-2


 硬い床の上で目が覚め、起き上がった正面があまりに現実離れしていたからそちらにばかり気を取られていた。

 真後ろからかけられた声に振り向けば、こちらを気遣わし気に伺う青年。その奥にも数人の男性。全員がこちらを心配そうに見ているけれど、


(なに?コスプレ?)


 チャコールグレーの髪。その長髪を後ろで束ねた青年は白いローブに身を包んでいる。まるでゲームに出てくる神官のような格好。見れば後ろの男たちも同じものを着ており、髪の色も赤、緑、橙……ああ、よく見ると瞳の色もカラフルだ。顔立ちも日本人とは違っている。

 

 もう結慧には意味がわからなかった。

 だって、さっきまでいつもの駅前の交差点だったのに。いつもどおり、信号待ちで止まって、渡ろうとして前から来た女子大生とすれ違って、


 そう。確かに彼女も一緒に穴に落ちたのを見た。

 ばっと視線を周りに向ける。右側、少し先に倒れているのは確かにあの時の子だ。身体を寄せ、意識のない彼女を背に隠す。少しめくれたスカートをささっとなおす。最大の警戒を。だってここには、見渡す限り男性しかいない。


「ああ、怖がらせてしまって申し訳ございません。貴女方に危害を加えるつもりはありません」


 青年が片膝をつき、目線が合う。深緑色の瞳はカラーコンタクトにはみえない。

 

「ここは太陽教会。私はここで聖職につきますルイと申します。突然のこと、大変驚かれたかと存じますがどうかお力をお貸しください」

「なにを、」

「貴女方をここにお呼びしたのは我々なのです」


  ゆったりとした、けれど意志の強い話し方。真っ直ぐに結慧を見つめる視線は逸らされない。


「……詳しいご説明を求めても?」

「ええ、もちろんです。そちらのお嬢さんがお目覚めになったら」

 

 すぐにでも。そう続けたルイの言葉は結慧の耳には入ってこなかった。


 ぞわり


 なにかが蠢いた。


 それは流れる長髪を揺らし、後ろに控える男性たちの神官服の裾を揺らして吹き抜ける。ルイは、彼らは、気付いていないのか特に気にした様子もない。結慧だけが生理的な嫌悪感に全身を粟立たせて硬直している。

 

 気持ち悪い。

 まるで巨大な舌に身体を舐められたような。

 それが後ろから。正確には背後。真下。

 そこにいるのは、

 

「んん……あ、れ、?」


  すり、と衣擦れの音。起き上がる気配。けれど、結慧は動けないまま。


「なぁに、ここ……どうして」


「ああ、聖女様がお目覚めになられた!!」


 突然ルイが叫び、結慧を突き飛ばした。


「きゃっ!」


 どん、と冷たい床で肩を打つ。衝撃でかけていた眼鏡がずれて、慌てておさえる。なにをするの、と言いかけた声は音にならずに消えた。いや、声に出したかもしれないけれど沢山の声にかき消された。

 先程までルイの後ろで成り行きを静かに見守っていた男性たちがどやどやと結慧の周りを、違う、今起きた彼女の周りを取り囲んだからだ。彼らは口々に「聖女様」だの「よかった」だのと言い合って、結慧のことなどまるで目に入っていないようで。

 蹴られ、踏まれそうになるのをなんとか這い出て避難する。

 

「なんなの、」


 振り返る。ズレた眼鏡の間から何かが見える。


「なん、なの……?」


 靄だ。ピンク色の、靄。

 まるで触手のように蠢くそれが、彼らの身体に擦り寄り巻き付き絡まって。食虫植物が獲物を捕食するような光景に結慧は後ずさる。

 彼らにはアレが見えていない?

 きっとそうだろう。だって誰も何の反応も示さないのだから。


(あれ?)

 

 震える手を抑え、なんとかかけ直した眼鏡。

 

 いなくなった……?

 今まで見えていたおぞましい触手が消えた。

 一瞬で?でも、どうして?

 訳がわからなくて首を傾げた結慧の視界の隅。

 霞む、ピンク色が、

 

「ッ……!!」

 

 引ったくるように眼鏡を取った、眼前。視界いっぱいのピンク。触手に口はないはずなのに、生温かい息がかかる気さえする。


 バチン!

 音を立てて触手は弾かれた。

 

「……は、」

 

 未だそこにある一本の触手は結慧の目の前をさまよって、近づいて来てはまた弾かれる。どうしてかはわからないけれど、これは結慧には触れられないようだ。

 絶対に触りたくはないからそれはとてもラッキーなのだけれど、理由が全くわからない。どうして眼鏡ごしだと見えないのかも、どうして弾かれるのかも。

 そして、そもそもこれが何なのかも。

 

 視線で辿る。この触手の発生源を。

 あの人だかりの中心、そこいるのは。


「あ、お姉さん!」


 あのとき、一緒に落ちた、女子大生。



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