第15話 巫女と茶と縁
「若者がこんな時間に、感心しませんね。」
その人は拝殿の影から現れた。白と赤の巫女装束を着た女性だった。長く美しい黒髪、そして闇と同化し月の光を反射している黒目。幻想的な何かがそこにはあった。
不覚にも美しい、と見とれしまった。
だがそれは美しい絵を見て美しいと思うのと同じ感情だ。訓練された瀬名はその程度で言葉を失ったりはしないのだ。
「すみません。帰ります。」
そう素早く言い放って、体の向きを直し歩き出す。気持ち早歩きだ。
こんな時間に女性が起きていることも異常だし、巫女服であることも異常だ。つまり危険人物。外見に騙されてはいけない。なんか奥ゆかしいなんかがあるけど騙されてはダメだ。
美しいとは思った。だがそれとこれは話が別。厄介ごとはもうごめんなんよ。絶対厄介ごとの塊なんよ……ここは神社だよな?さっき祈願したよな?……所詮祈りは祈りか。神様なんて存在しない。もう二度と神社で頭を下げてやるものか。次はパワースポットで祈る。
「待ちなさい。」
その言葉に瀬名はビクッと一瞬動きを止める。まるで緑の非常口の人(徒歩バージョン)だ。だが立ち止まったのは一瞬。次の瞬間にはまた動き出す。
つい止ってしまった。反応してしまったことにより聞こえなかったとは言えない。無視しておけば聞こえていなかったと言い訳が出来たのに……まだ逃げれる可能性があるのでセーフだ。
それはそうと待ちなさいって一体どんな用があるんだろう?当然巫女服の人は今日初めて会った。いったい何を待つ必要があるのだろうか?今深夜だよ。よい子はおねんねの時間です。やはり面倒事の塊だ。
「待ちなさい。そう言った。これはお願いでも無ければ提案でも無い。待ちなさい。」
力強い言葉に。今度こそ、瀬名は足を完全に止めた。
逃げれる可能性はたった今無くなった。強引に逃げようと思えば、腹痛を我慢さえすれば出来るだろう。だがその場合は真夜中にパトカーが動き出す。サイレンこそ鳴らさないが赤いランプをピカピカしながら血眼になって俺を探す。
完全に逃げ道が無くなりました。早すぎるよ。RTAですか?
「こちらに来なさい。」
丁寧な言葉だけに怖い。怒鳴っているとか不機嫌って感じではなく、無情って感じだけどなぜか怖い。
瀬名は静かに体の向きを再度変え、巫女服の人の目の前に行く。声の通り女性だった。胸が巫女服に強調されている。やはり和服は巨乳の為にあるという伝承は真であったか。
「着いてきなさい。」
巫女服の人が後を向き、カツカツと音を鳴らしながら歩き出す。瀬名は静かに巫女服の人と3mの距離を置いて背後を着いていく。そして瀬名は静かに頭の中で疑問を疑問で埋め尽くした。
これから何処に連れて行かれるというのだ。いや何をしようとしているんだ?さすがに陰キャがタイプって訳はないだろう……では何が目的だ?…
もう考えられない、頭も痛くなってきた、喉渇いた、帰りたいと考えた所で、巫女服の人が屋敷に入っていた。
相変わらず周囲は森だというのに、雑草すらない更地で綺麗な地面をカツカツと、小さな足音を鳴らしながら拝殿を通り過ぎ、本殿との間の道の横に付けられた屋敷。
和風漂う木製の屋敷だった。拝殿よりも大きく、植物の壁が屋敷を囲っていた。そもそも周辺が森だけど意味があるの?と聞きたい所だ。
ガラガラと和風なガラス扉を開けて、中に入っていく。石のタイルで出来ている玄関で下駄を脱ぎ…下駄?……廊下に足を置く。巫女服の人は白足袋だった。
これは間違いないコスプレでは無い。もしくは超上級者だ。下駄はともかく白足袋まで装備するとは…コスプレでそこまでのガチッぷりを見せるなんてただ者じゃないね。あなた。
本職が巫女だったりするのかな?でも神社は小さい。他の従業員も見えない……そういえば深夜だったな。
ちなみに白足袋はいわゆる靴下である。
その様子を立ち止まって観察していた瀬名に巫女服の人が声をかける。
「上がりなさい。」
巫女服の人は家に上がりなさいと仰せだ。瀬名は静かに従う。もはや抗う理由は無い。頑丈さを重視した靴を脱ぎ、妙に冷たい廊下へ立ち上がる。
靴箱の中まではわからないが、玄関には靴が2つしかない。さきほど巫女服の人が脱いだ下駄と俺の靴だ。毎日寝る前に靴を靴箱に収めるなんて文化はあったりするのだろうか?几帳面?
靴を脱ぐ間もずっと巫女服の人に見られてとても緊張した。なぜこんなにも見られないといけないのだろうか。本当に何か悪いことをやってしまったのか?出会ってまだ分はたっていないはずだ。目と目が合う瞬間気がついたとでも言うのだろうか。
「着いてきなさい。」
巫女服の人の言われるがまま着いていく。一番近くの部屋に入っていった。
そこは居間だった。畳に障子、襖に背の低い机に座布団。シンプルな形にシンプルな模様の家具達。障子は開かれており、すぐ側は縁側だった。そして草の壁から森の木々が生えている。そして木々の葉の隙間から月の光が、居間を薄暗く照らしていた。
何とも美しいと思ってしまう状況だが、座布団だけは異質に写る。紫の布地に金が刺繍され豪華そうな座布団が4つ。周囲が素朴なおかげで、そこだけが異質に見える。
「中にお入りなさい。」
今世では初めて見る美しすぎる和室に言葉を奪われていると、声をかけられた。巫女服の人を見るとすでに座布団の上で正座していた。
瀬名も居間に入り、背の低い机を挟み巫女服の人の対面付近に移動した。そして綺麗な座布団と座布団の間にある畳の上に正座する。
そう、高価そうな紫色の座布団の上ではなく、畳の上だ。
瀬名には綺麗な座布団に座ることは気が進まなかった。そして丁度、正座したら埋まりそうな隙間があった。瀬名はほぼ無意識にその間に座っていた。
「なぜそこに座るのですか?座布団の上に座りなさい。座布団の意味がないでしょう。」
…その通りだが、この高級そうな座布団に座るのは抵抗がある。汚してしまったらどうするんだ。足の臭いが移ったらどうするんだ。弁償なんて出来る訳……示談金があったわ。最悪何とかなるわ。
納得した瀬名は静かに手をクレーンのように使い、体を平行移動し位置をずらし座布団の上に座った。それを見ていた巫女服の人は声を上げる。
「返事ぐらいしたらどうですか。」
「…はい。」
その通りだ。いつの間にか返事をしないことが普通になっていた。
「…素直なのですね。」
…その言葉にどう返事しろと?そうでしょ、そうですね、そうかもしれないです、そうだったらいいですね。…最適解が見つからない。わからない。もういい。疲れたんだ。早く帰りたいんだ。何が用じゃ答えよ。
と思うだけで言動には出さない。理由は一貫して女性だからだ。もしも国光ならば机に脚を叩き付け、オンドレラッ!?ナニヨウジャボケェ!と切れていただろう。はぁ…これが文明か。
2人はしばらく見つめ合っていた。瀬名はボーッと視界全体を見ていた過程で、必然的に目の前にあった巫女服の人の目が中心になっていただけだが、巫女服の人は瀬名の目を見ていた。何か深い意味があるようで全く意味もなく目と目を合わせていた。そうしていたら突然、巫女服の人が立ち上がる。
「少々待っていなさい。」
巫女服の人は足音すら立てずに、居間を出て行った。
そしてやっと瀬名は最初の思考にたどり着いた。
何が目的だ?ただお喋りの為に連れてきたのか。な訳ないだろう。深夜だぞ。…だめだ真意がわからない。もう何もかもを忘れて眠りたい。ちょうど寝心地の良さそうな畳があるというのに……和室がある部屋…いいな。絶対DIYで使ってない部屋を和室にする。畳一枚置くだけでもいいからしてやる。畳背負って2時間の徒歩ぐらいやってやる。
……まーたどうでもいい…ことではない。大切なことを考えていた。本題からずれていたことは認めよう。
現状を確認しよう。明かりがない部屋…なんでこの部屋には明かりが無いんだ?まぁ夜は月明かり、昼は太陽が照明ってか?エモい……エモいの使い方合ってる?
ちなみに障子に貼り付けられいる和紙は光を若干通す。昼であれば丁度良い明るさになり、夜はわずかに光を通し居間を照らす。それなのに障子は風を防いで寒さも防ぐ。最強じゃん。更に風情もある。最高じゃん。
巫女服の人は出会ったこともなければ見たことも無い。なんで(恐らく)巫女服の人の家に来ているんだろうか。来いと命令されたから来た。以上。
目的ってなんだ?
ショタコンって訳があったりなかったり…あったり……あったり……頭が働かん。もう巫女服の人が無表情系むっつりスケベなショタコンにしか見れない。
考えるのはもうダメだ。固定概念満載なダメダメオタク君だ。他の事に集中しよう。
まずは5感だ。
視覚…さっき考えた。次。
聴覚…なんか音がする。カチャカチャなり水の音やら…なんか生活音っぽい?川の音とは違う。次。
触覚…服と紫の高級そうな座布団の感触。座り心地がとても良いです。以上。次。
味覚…爽健美茶。まだ残ってんのか爽健美茶。強すぎだろ。次。
嗅覚…畳の、自然の匂い。この屋敷が森に囲まれていることも理由にあるのだろうか…なんか自宅の匂いがする。頭がボーッとなりそう………
なってるやろがい!?
瀬名は腹を殴る。それは眠気を払い、今後の事態に迅速に対応するためだ。痛みでアドレナリンも引き出し、意識を覚醒させる。
だが効果はてきめん以上だ。白目を向きそうな所をなんとか耐えきり、うずくまりそうな所を必死に我慢した。結果は足だけは正座を保ったまま、両腕で腹を押さえうずくまった。唇を噛み切るんじゃないかってほど噛み、顔の無表情も保てた。
絶対殴るんじゃなかった。軽くで良かった。なんで普通に殴ったよ俺……
最終的に、少しの時間と太股をつねる事により元の綺麗な正座の状態に戻ることができた。口元から液体が流れる感触があり、その液体を拭ってみるとそれは赤かった。
口元を噛みすぎて出血してしまったようだ。手の甲で拭う、舐める、拭うを繰り返していく内に綺麗になった、と思う。鏡がないので確認が出来ない。念入りに拭っておこう。
出血が少し止ってきた頃、巫女服の人が帰ってきた。服装は変わらない。違う点があるとすればその手にはお盆があることだ。
相変わらず、足音がしない。暗殺者経験でもあったりするのだろうか。
そんなしょうも無い事を考えていると巫女服の人がお盆を机の上に置き、優雅に座った。
お盆に乗っていた物は湯飲みが2つと急須だった。
瀬名がじっと見ていたが巫女服の人は気にする様子を見せず、急須を持ち交互に湯飲みに緑色の液体を入れる。
……茶葉を急須の中に入れてお湯を注いだのなら、そのままお茶を注いで来ても良かったのではないのだろうか?いちいち目の前でお茶を注ぐ理由がわからない。
「粗茶ですが、よろしければどうぞ。」
そう言って、湯飲みが目の前に置かれた。綺麗な湯飲みだ。全体的に黒く底が茶色い。上品っぽい。そして匂いだけでわかる。お高い奴(茶)でしょう?
「ご丁寧にありがとうございます。頂きます。」
これはご厚意に甘えよう。ちょうど口直しがしたかったんだ。血の味的にも爽健美茶的にも。血と爽健美茶がコラボして最狂のハーモニーを作り出していたんだ。なんでえ茶が鉄分に勝てるんだ?どうなってんだ爽健美茶。もしや麻酔の代用として使えるのでは?
ひと思いにズズッと一口……旨い。口の中を洗い流すと同時にうま味が広がっていく……さすがに爽健美茶は勝てなかったようだ。だが熱い。火傷してしまいそうだ。そして口の中の傷口に染みる。…もう結構です……
瀬名は両手で湯飲みを持ったまま、適当に一点を見つめる。
お茶のおかげで完全に目が覚めた。先ほど自分を殴ったのが馬鹿らしくなくなりましたね。
ただただならぬ喪失感が瀬名を襲った。だがそんな事は知らないと、巫女服の人が声をあげた。横を向き、外の景色を見ながら一言。
「月が、綺麗ですね。」
瀬名も釣られるように外の景色を見た。やはり木だらけだった。だけど木々の隙間から夜空が見え、月が綺麗に輝いていて、まるで美術館に展示される風景画のようだった。
「そうですね。」
一瞬、君の方が綺麗だよという言葉が思い浮かんだ。この言葉を何処で覚えたっけ?完全に記憶が無いな。
瀬名はボケーと景色を見ていた。いつの間にか顔の向きが外に固定された頃、無意識にその手に持つ、温かいお茶を口へと運んだ。
少し飲んだところで再び傷に染み、痛みを感じたところで現実に戻された。今度は火傷してしまいそうな程の熱さを感じなかったので、丁度良い温度になったのだろう。これで傷口に当てないように気をつけて飲んだら、ただのおいしいお茶だ。
瀬名は目を閉じながら、まるで喜ぶように苦笑しながら顔の向きを前に戻した。すると巫女服の人がこちらを見ていた。瀬名がそのことに気がついて動きを少しだけ止めた今も、巫女服の人はこちらを見ていた。
反射的に巫女服の人の目を見ると、目と目が合った。まるで金縛りにあうような感覚を覚え、瀬名は目と目を合わせたまま固まった。中途半端に持ち上げた湯飲みが重さを主張してきた。
その重さに堪えていると、巫女服の人が動いた。
巫女服の人はただお茶を飲んだ。片手を底に、もう片手で側面を支え静かに飲んだ。ズズともゴクゴク見たいな音がしなかった。先ほどズズっと飲んだ自分が恥ずかしくなった。
恥ずかしさで目を逸らした一瞬、声がした。
「事情を話してみませんか?」
再び瀬名は固まった。目を逸らしたまま、そして湯飲みを持ち上げたままだ。いま動くと、何かが進んでしまう気がして動かせないままだった。
「簡単なことで良いのです。どうしてこんな時間に起きているのか。どうしてここに来たのか。…話してみませんか?解決できないかもしれませんが、楽になると思いますよ。」
瀬名は静かに目線を巫女服の人に向けた。だが巫女服の人はそっぽを向いていた。またくつろぐように外の景色を見ていた。
なぜか、おばあさんのように見えた。まるでこちらを待つように、急かさず静かにお茶を飲みながら、自ら動くことを待っているように見えた。不思議な感覚だ。俺には前世にもおばあさんは居なかったのに。アニメの見過ぎ……なのだろうか。
それとその質問は、全く同じ言葉お返ししますよ。なんでこんな時間に起きているのですか。そう思うが、質問を質問で返さないでくださいとニャル子様に怒られてしまうので止めておく。
「大丈夫ですよ。もう解決したことです。」
返答は最初から一つだった。何も相談することはない。1つだけ聞きたい事はあるが、それ以外は何も無い。俺は今日の出来事を他言しないようにと示談金を貰っている。だからたとえ優しいお人であっても、事情は話せない。今日の俺は…そうだな。不良少年って所かな?いや、ただの事実だわ。常日頃から不良少年だわ。
「本当ですか?」
「本当です。」
どちらかといえば解決した、ではなく解決出来ないが正しいかもしれない。まぁ俺は気にしていない。つまりこれは問題では無い。なので問題は起こっていない。
「お茶、…おいしいですか?」
「はい。」
そこで一口。喉仏に、喉の奥にお茶を直接当てるように勢いよく流し込む。やはり熱さを感じるが味を嗜める程度には余裕があるので問題無い。疲れた体にお茶が染みる……あかん。また眠気がチラチラ見え隠れする。口の中の傷口を舌で強めに舐める。
うん。
眠気が覚めた。
意識を目の前に戻すと巫女服の人は、また外の景色を見ていた。
静かな空間。月明かりに照らされ、巫女服の人の横顔が強調されていた。よく見ると左の目尻の辺りに濃い黒い点があった。ほくろだろうか?泣きほくろ?初めて見たかも。
ただ、妙な気遣いもなく、お茶を嗜む関係……なんだそれ?もう攻めるか。このままでは、ばあさん……お茶、おいしいですね。おじいさん……おいしいですね…と永遠に続きそうだ。…なに未来予想図を考えてんだ。おい。
「なんで、声をかけたんですか?」
いろいろと慎重に考えた結果、最初の質問はこれしか考えられなかった。どうして起きていたんですか、とかなんで巫女服なんですか、とも思いついたが、一番大切な所を聞きにいくことにした。
巫女服の人にはあのまま放置することも出来たはずだ。あのまま声をかけなれば、ただ俺は帰っていた。だが巫女服の人は呼び止めた。そして今現在も目的は判明していない。
巫女服の人の表情を見るに焦りや緊張は見られない。少なくとも、間違いなく、むっつりスケベでは無いだろう。つまりただの善意なのだろうか。先ほどの事情を話してみないかと問うていた。だがその証拠を持ってしても女性が優しい訳ないだろう!と対抗馬がある。
いやこんな時間に巫女服を着ている異常者。つまり少数派。なので世論の真反対を行く存在?つまるところ優しい?…母性本能を刺激したかもしれん。なんか……こう……ふてくされ少年に見えて、ズキッ……と?…馬鹿みていな思考だな。オタクゥぅ………頭バグりそう。気絶して良いっすか?あかん。今気絶して翌昼こんにちはにでもなって見ろ。
もしもしお父様ですか?息子さんが登校していないんですが……なに?…(電話替わりまして…息子?……電話が繋がらん……行くか、息子ハウスへ。
かーらーーのーーー修羅場。ジ・エンド。終わり。end。二度と明るい未来があると思うなよ未成年。カスゥッ。
……落ち着いた。全然落ち着いていないけど、いったん落ち着いた。はず。かもしれない。かもしれないけど。可能性はある。よね?……
「そうですね………やはり若者がそんなにも真剣に祈る姿なんて初めて見たからでしょうか。」
「姿?」
「もっとも、こんな時間にこんな場所にいることも気になりましたし。」
これは単純な好奇心なのだろうか。いいや好奇心だ。これは好奇心なのだ。この事実は固定であり、確定事項だ。これ以上考えることを増やすな妄想脳。そして好奇心の半分は優しさだ!QED!証明完了!終わり!
…自分でこんな場所って言っちゃんだ。
「今……何時ですか?」
「はて?……4時、でしょうか。どうしたんですか?」
巫女服の人はそっと手を顎に添え、湯飲みを見ていた。まるで考えるように、思い出すように。
「スマホを亡くしてしまいまして…」
「なるほど、無くしてしまったのですね。」
巫女服の人は何処か幼稚にうんうんとうなずいた……よくある事なのだろうか?もしかして機械音痴だったり……妄想がはかどる…感謝…
瀬名は続けて質問をする。一番知りたかった内容を、だ。
「ここって何地区ですか?」
「升儀(ますぎ)地区ですね。」
知らない地区だ。これでは県内か県隣かすらわからない。もう素直に智美中学校がどの方面にあるか聞いた方が良さそうだ。
「…恵宜地区はどの方向にありますか?」
恵宜(えぎ)地区とは智美中学校がある地区だ。
「恵宜地区?そこであれば、山に従って存在している道路を進んでいけば着きますよ。」
「その山は遠くにありますか?」
「いえ。ここです。道路も鳥居の目の前にある物です。階段を降りて右に進むとたどり着けると思いますよ。」
「ありがとうございます。」
どうやら神社の目の前にある道路を、あのまま歩いて行けば智美中学校があるらしい。思ったより近そうだ。今の時刻は4時ぐらい。あと4時間ほど余裕がある。
これは何とかなりそうだ。
「少し遠くからこられたんですね。」
「まぁいろいろありましてね。」
本当にいろいろあった……知ってるか?昨日の日の出から今日の日の出まで11話もたってるんだぜ?全15話中だぞ。
「大丈夫でしたか?」
「とりあえず眠たいですね。」
今一番の問題はそれだ。定期的に眠気が襲ってくる。痛みで抑えられる程度なので軽度だろう。最初のようにガッツリ口の中を噛まなくても大丈夫だ。
「それは大変ですね。泊まっていきますか?」
「遠慮します。まだやることがあるので、それじゃもうそろそろ行きますね。」
瀬名は口ではそう言うが動き出す様子がなかった。
4時間も時間が残されているのなら一度家に帰れるかもしれない。それにここに居る理由がない。帰れるなら帰りたいのだが……
「そうですか。」
巫女服の人は落胆とも納得とも違う返事をした。
「はい。」
特に呼び止める理由はないということか。よし帰ろう。ならば帰ろう。どうせ1月以内に徹夜することになる。つまり予行練習だ。学校で変な事を口走らないようにだけ気をつけよう。
瀬名がそう思い、立ち上がろうとした矢先、巫女服の人が声をあげた。
「また入らしてください。粗茶であればいつでも出せれます。」
「それも良いですね。機会があればまた。」
社交辞令には社交辞令を。
「いつ頃来ますか?」
……はい?と出そうになった言葉は肺の中で反響して消えていった。もしも変な事を口走らないように、無駄に、早くに覚悟を決めていなかったら、飛び出ていただろう。
「……1年以内には…?」
「半年以内にまた入らしてください。」
間を置かずに声があがる。
「え?」
それに対し瀬名は素っ頓狂な声をあげた。言葉だけでわかる。信じられない。そう言っている。
社交辞令じゃ無かった?まじで来いって言ってたの?なんで?今日だってただお茶を飲んだだけじゃん。また来て何をするんだよ。またお茶を飲むだけ?それって完全に俺の役得では?ただ茶うまーするだけの時間でしたよ……それなら問題無いのでは?
いいや巫女服の人が何を考えているかまだ定かでない以上、不確定要素。つまり厄介事の塊。俺は鼻先ににんじんをぶら下げられた馬かよ。あまーい言葉に飛びつくな。
「待っておりますよ。」
「…はい。」
容赦はないようですね。この神社はどれだけ遠いんだろうなー……往復3時間で終わらないかなー……ここならタクシーが使えるのでは?やったね。でも金がかかるので使いません。走りましょう。
半年以内だから、10月あたりに来れば良いか。一応9月に行った方が安全かな?
「それでは失礼します。」
瀬名はそっと立ち上がる。
正座は俺が好きな座り方No.1だ。そして一番嫌いな座り方が体操座り。体操座りをするぐらいなら正座をする。これは智美中学校にも通用するのだろうか?
つまりまとめると、俺は正座24時間でも足は痺れないぜ。これは地味に特技兼誇りだ。
「見送ります。」
「ご丁寧にどうも。」
ここは断るよりさっさと終わらせた方が良い。瀬名は丁寧に今の障子を静かに開け、すすすと素早く歩く。そして靴を履いて、振り返る。
「ここまでで大丈夫です。」
「それではお気を付けて。」
「はい、今日はありがとうございました。」
「ええ、なかなか良い時間でした。待っていますよ。」
瀬名は軽く笑って「さようなら」と言って歩き出した。後で「さようなら」と返ってきた。そのまま神社の外へ歩く。
巫女服の人にとってどこが良い時間だったんだ?
…考えるのはやめよう。誰かが言ってた。持ってる人にはわからないんだ。
そういう人もいるんだって留めておくことが大切。世界には何十億と人がいて考えある。天才がいれば凡人がいるし、馬鹿がいれば阿呆もいる。
そう考えた所で、最後の階段を降り終わった。少しだけ歩いた。そこで不意に後を見た。
この階段の上に、先ほどの神社がある。左右は石で作られた塀があり、赤い鳥居が生えている。月はすでに傾いており、雲の姿がほとんどない。
そんな中で瀬名はただ、雨が降らなくて良かった。そう考えていた。
瀬名はすぐさま前を進むべき道を見る。
とりあえず、太陽が現れるまで走らなくても余裕だよね。
そうして歩き出す。少しだけ問題はあったが、概ね良かった。一番の感想はお茶おいしい、だ。そして爽健美茶は敵。二度と飲むか。
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